古事記と日本書紀はどう違うか

(要旨)
 
 古事記と日本書紀はどう違うのか。わずか8年くらいのうちに、同じようなものが何故2つも作られたのか。これについての私の認識を整理したのがこの論稿である。そして、両者の違いを具体的に示すために、記紀のいずれもが記載している記事の中から5つばかりを採り上げて、両者の違いを述べ、その原因について考察を加えた。
 結論を簡潔にまとめると、
 @両者は神話の世界観が全く異なり、編集目的も全く異なっている。本来、両者は全く別のものである。
 A古事記は、語り部によって伝えられた「日嗣ぎ」の伝承を、忠実にほぼそのまま記述したもので、要は、大王家が歴代統治してゆくことの正当性を述べようとしたものである。
 B日本書紀は、白村江の大敗、2千人の唐軍の進駐と云う状況下、失われた我が国のアイデンティティを再構築するために、中国風の史書を作ることを目的としたものであり、原資料として多くのものを用いているが、王権にとって都合の悪いことを隠蔽すべく、意図的な取捨・改竄が随所に行われている。



【それぞれの成立】
  古事記 日本書紀
成立 和銅5年(712)     * 養老4年 (720)
巻数 3巻 本文30巻、系図1巻
取り扱い範囲 33代推古まで
 (ただし、24代仁賢以降は旧辞なし)
41代持統まで
執筆 太安万侶 舎人親王ほか数人共同   **
所要時間 前年9月稗田阿礼に口誦を命じてより
4ヶ月
天武10年川嶋皇子ら12名に命じてより
38年
*古事記は複数存在したとも云う
               ** <日本書紀の執筆区分>(森博達氏の分析による)
1〜13 巻
14〜21
22〜23
24〜27
28〜29
30
神代〜安康
雄略〜崇峻
推古〜舒明
皇極〜天智
天武
持統
日本人の執筆
中国人
日本人
中国人
日本人
中国人
 
 

【神話の世界観が全く異なる】(別の神話である)(神野志隆光氏の示唆による)
 
古事記 日本書紀 (本文)
天地と神の発現 初めから高天原が存在し、そこに神が現れ、その働きで地上が出来る 何もない混沌より天地が分離し、その中に神が現れる。 
創世の原動力 高天原にいる天神の命令による 陰陽の作用で自発的に行われる
天上 天神の世界高天原が地上世界を統べる 天つ国はあるが、地上とは対等的(高天原と云う言葉はない)
天照大神 高天原の主宰者 単なる日神
地下 黄泉国あり 黄泉国はない
イザナミ   死んで黄泉国へ行く 死なない
地上(葦原中国) への高天原の主権 始源的に定まっており、統治権 は保証されている 譲渡を迫ることにより獲得
天孫降臨の企画 タカミムスビと天照大神の共同 企画 タカミムスビ(ここで初出)で 天照大神ではない
(あえて云えば) 伝統的(縄文的) 中国的(道教的)

【記紀神話の相違の要約】
(古事記)
天にある高天原に神々の世界があり、その指令(意志)によって地上の国(葦原中国)は作られ、かつ、統括支配される。すなわち、高天原の意志で総てが動く。
その高天原の主宰者は天照大神である。
葦原中国は先験的に天照大神の子孫が治らす国であると定められている。
(日本書紀)
総ては陰陽の理によって自動的に進行する。天の世界があり、そのスポークスマンとしてタカミムスビがいるけれど、その指令で世界が動いているのではない。天と地(葦原中国)とは基本的に対等である。
葦原中国の主も、予め予定的に定められているのではなく、武力的に奪うのである。



【記紀神話に共通していることは】
(1)天皇神話
どちらも、あくまでも天皇神話である。人間(人民)については始まりを述べることもない。
(2)世界認識
世界は(天上の国)と(地上の国)で構成されてる。
天上の国は古事記では高天原と呼ばれるが、書紀には名はない。
地上の国はいずれにおいても葦原中国と呼ばれる。
この外に、古事記には黄泉国と呼ばれる死者の国がある。
また、いずれにおいても、根の国なるものが出てくる(古事記では1箇所のみ)。これが何なのかは明らかにされていない。地下の国か、地上の国としても隔絶した遠方の果ての国であり、すべてスサノオが逐われた国として出てくるのみである。



<参考資料:原文による記紀神話の比較>
(1)神々の化生
  (古)天地の初発(はじめ)の時、高天原に成れる神の名は (一書4も)
  (書)天先ず成りて地後に定まる、しかして後、神、その中(天地の中)に生れます。
     天地の中に一物生れり、------ すなわち神となる。 (第1段)
(2)国産み
  (古)天つ神諸々のみこともちて、天の沼矛を賜いて(一書1も)
  (書)共に計らいて、瓊矛をもって(第4段)
(3)天孫降臨
  (古)天照大神の命(みこと)もちて「葦原中国は我が御子が知らす国ぞと」と言よさし、
  (書)(タカミムスビ、ニニギを立てて)「葦原中国の主にせんと欲す」(第9段)
(4)国譲りの談判
   (古)我が御子が知らす国ぞと(こと)よさしたまいき。故(かれ)、汝が心いかに。
   (書)皇孫をこの地の君としたまわんとす。汝が心いかに。避(さ)りまつらむや否や。(第9段)
                               
<参考資料:日本書紀神代紀(第1・2巻)の構成>
一書の数 記に近い一書








 6
 2
 1
 10
 11
 3
 3
 6
天地の初め、神々の化生、
神々の化生(続き)
イザナギ・イザナミの誕生、
国産み
山川草木・三貴子を産む
アマテラスとスサノオの誓約による子産み
天岩戸とスサノオの追放
出雲神話
   4


   1
   6


10
11
 8
 4
 4
天孫降臨
海幸山幸物語
神武の兄弟

    1
 

【編集目的が全く異なる】
  古事記 日本書紀
目的
性格
記事の重点
王統(統治)の正当性を語る
天皇家の歴史
古い時代(神代が3巻中1巻)
中国のような史書を作る (*)
国家の歴史
新しい時代(神代が30巻中2巻)
旧辞
歌謡
形式
別伝
外国記事
少(55)(33代中21代はなし)
多(112)(崇神以降90)
書き下し
なし
なし
大部分
少(推古まで104)(崇神以降90)
編年実録風
あり(一書、或本、旧本、など)
あり(対等的優越的に改竄)
原資料
外国文献
宮廷語部の日嗣ぎの語など
使用せず
有力部族などの伝承を加える
引用多し
改竄 原資料に比較的に忠実か 改竄が多い   
      
       
(*)更にその目的は、中国(唐)に対抗して、自分たちのアイデンティティを築くことであった。
天武天皇が日本書紀の編纂を命じた天武10年は、白村江の大敗より19年目、唐軍が2000人をもって我が国に進駐しようとした天智10年より9年目に当たる。
すなわち、唐は天智10年12月、郭務宗を将とし、47隻の船団をもって2000人の軍勢を送ってくる。折しも、その12月、天智天皇が薨去したので、近江朝廷はこのことを郭務宗に告げ、大量の甲冑弓矢、絹布綿布を贈って、やっとお引き取り願った。それらは、降伏した我が国が、彼に戦利品として渡したものに他ならない。このような背景が、そこにはあったのである。

 
 
【古事記と日本書紀の記事の比較】
  古事記のみ 古事記・日本書紀に共通 日本書紀のみ(主な)
綏靖     庶兄手研耳誅殺
崇神





 






 
三輪祭祀 
大田田根子
三輪伝説 
境神祭祀 
三(四)道将軍 
埴安彦の乱
調役の制定
出雲振根 
笠縫邑




 
垂仁


 



 
狭穂彦の乱 
唖の王子  
円野比売  
田道間守  
ツヌガアラシト
野見宿祢
天日矛の神宝
 
景行
 

 
倭建
大碓命 
景行の西征 
上毛野氏
神功



 
懐妊鎮め石



 
仲哀の死(仲哀) 
新羅征討 
忍熊・香坂
気比大神 
酒楽の歌 
九州掃討



 
応神




 
矢河枝姫(S) 
イズシオトメ



 
三子分掌      
髪長姫       
国栖奉仕      
工人博士の渡来   
大山守の反逆(仁徳)
天日矛の来朝(垂仁)
甘美内宿祢
吉備兄媛



 
仁徳





黒比売(1)  





 
土木工事  
民のかまど 
磐之媛の筒木遷幸  
雌鳥と隼別     
雌鳥の玉釧     
雁の卵       
枯野という船(応神)
玖賀媛
トガノの鹿




 
履中
 

 
住江中王の反逆   
反正の隼人殺害
磐余池の桜
馬飼の刺青


 


 
病気治療・ 
クガタチ  
軽兄妹の相姦
衣通郎女
玉田宿祢誅殺
 
安康   押木玉縵  
雄略










 
若日下部王に求婚 (2)
赤猪子(S)     
和邇のオドヒメ求婚(S)
三重の采女(S)    







 
目弱王の乱・円大臣殺害市辺忍歯王殺害   
蜻蛉野、吉野行幸
葛城一言主神   







 
池津媛殺害
少子部のスガル
吉備前津屋事件
吉備田狭事件 
紀小弓と吉備大海
吉備小梨ら
蘇我韓子
田辺伯孫 
根使主誅殺
秦氏の由来
伊勢朝日子 
浦島子
清寧
 

 
二王子発見  
志毘との女争い(武烈)
星川皇子事件
 
顕宗

 


 
皇位相譲   
父王の骨   
雄略陵破壊未遂


 
(合計)          8          47        29以上
 
  *古事記には仁賢天皇以降に記事がないので、日本書紀も仁賢以降は省略。
  *日本書紀のみの欄は、主要な記事のみとした。
  * 古事記日本書紀に共通の欄で、括弧は書紀が別の天皇の紀に記しているもの。
 
<考察>
○この表によると、古事記のみの記事は極めて少ない。当時存在した伝承の殆どを日本書紀は収録したと云うことであろうか。(S)は歌謡が主体で、その詞書きに過ぎないので除いたと考えられる。(1)は形を変えて応神紀にいれ、(2)は安康紀と矛盾するために除いたと思われる。
○下線は、吉備関係の記事である、吉備関係記事の古事記における欠落は特徴的。その他に、比較的有名な話で古事記にないものには★印をつけた
 

【記紀の相違の例】

 

(1)垂仁天皇の時の狭穂彦反乱事件と唖の皇子物語

古事記 日本書紀
・狭穂彦が妹狭穂姫に天皇弑殺を求める
・狭穂姫が弑殺に失敗
・狭穂彦を稲城の中に囲む
        〃
・狭穂姫が自白する
        〃
・姫は稲城に入る
・姫が稲城の中で皇子を出産
・姫が皇子のみ稲城の外へ出し天皇に渡す
・姫を連れ出そうとするが失敗
・天皇が姫に命名を依頼、(本牟智和気)
・姫が後妻を推薦
・兄妹ともに殺される
・姫が皇子誉津別を抱いて稲城に入る
        ××××××
        〃
        ××××××
        ×××××× 
        〃
        〃
・皇子は成長するも唖者
・皇子が白鳥を見て言葉を発す
・その鳥の捕獲を山辺大鷹に命ず
・10国を追い行き、越国で捕獲
・それでも皇子は言葉を発せず       
        〃
        〃
        〃(湯河板誉に命ず)
・出雲(但馬)で捕獲
・皇子が言葉を発す
・出雲大神が宮の修理と皇子の礼拝を求める
・曙立・菟上王を添え皇子を出雲へ行かす
・出雲国造が皇子を饗応
・皇子が言葉を発す
・皇子が一夜肥長比売と婚す
・比売が蛇のため、皇子は逃げ帰る
        ××××××
        ××××××
        ××××××
        ××××××
        ××××××
        ××××××
                                                (人物名は日本書紀による)

<相違点>
(1)媛は、記では稲城の中で出産するが、紀では出産後に稲城に入る。
(2)紀には、白鳥を追って十か国を遍歴する話と、皇子が出雲へ行く話が欠落している。
(3)紀は皇子の出雲行きを削る代わりに、鳥を出雲で捕らえたとしている。
 
<考察>
(1)前段は、自らを焼く(野焼き)ことによって春を招く春の女神佐保姫の物語が狭穂彦と云う歴史的人物と結びつき、それに火中出産して神聖な御子が生まれる(コノハナサクヤヒメなど)と云う思想が加わって、古事記の中に取り入れられ、それが童話的要素を除いて、書紀のなかにも収録されたものであろう。
(2)後段は、斉明天皇の愛孫で、唖で8才で亡くなった建皇子(たけるのみこ)について、かくあれかしの願望に、鳥取部や鳥飼部などの祖先伝承が加わった物語が、史実のように考えられて古事記の中に入り、更に書紀にも入ったものか。物語は恐らく斉明天皇の後宮で生まれたに違いない。
 

(2)日本武尊物語

古事記 日本書紀
・大碓命が美濃の大根の娘を横取り
・大碓命を殺す
・大碓命が美濃の神骨の娘を横取り
・大碓命を美濃に封ず
・熊曽建兄弟を殺す(童女に変装し)
・山・河・穴戸の神を平定
・出雲建を殺す(太刀を取り替えて)
・川上梟帥を殺す(童女に変装し)
・吉備の済・難波の済の神を殺す
        ××××××
・東国討伐下命(副に御鋤友耳建日子)
・倭姫に草薙剱を賜う
・尾張の宮簀媛に求婚
・焼津で野火の難
・走水で弟橘媛入水
        ××××××
・足柄山で白鹿の神を殺す
・足柄山で「あづまはや」と嘆く
・甲斐の酒折宮に居る
        ××××××
・尾張宮簀媛と交合
・伊吹山の猪の毒を受ける
・伊勢の能煩野にて薨去
・白鳥となって河内へ
・東国討伐下命(副に吉備武彦、大伴武日)
        〃
        ××××××
        〃
        〃
・海路、陸奥国に至り蝦夷を平定す
・信濃坂で白鹿の神を殺す
・碓氷峠で「あづまはや」と嘆く
        〃
・吉備武彦を越に派遣
        〃
        〃
・伊勢の能褒野で薨去
        〃
                                             (人物名は日本書紀による)
 
<相違点>(粗筋において、ほとんど一致している。細部で若干差異があるのみ)
(1)大碓命は記では小碓命に惨殺されるが、紀では美濃に封ずるとする。
(2)紀には出雲建誅殺の話はない。他方、陸奥国まで赴いている。
(3)紀では宮簀媛への求婚の話はない。
(4)紀では、吉備武彦が途中で別軍として越へ向かっている。
 
<考察>
(1)大碓命については、古事記は兄を殺す凶暴な弟という類型を描こうとしたものである。しかし、書紀は、壬申の乱の功臣で美濃国武儀郡出身の身毛君(むげつぎみ)広の祖として大碓命を取り扱わねばならなかったし、更に、彼らは祖先が日本武尊に従軍したと云う氏族伝承を持っているので、修正したものである。
(2)記の出雲建の話は、垂仁紀に出てくる飯入根を殺す出雲振根の話を主人公を変えて、ここに入れたものである。
(3)熊曽建の話は、童女に変装して強敵を殺害したと云う物語が別にあって、それを日本武尊の事績にしたもののように思われる。
(4)このようにして、日本武尊の話は結局は東海道・東山道の経略を述べたものである。景行紀が日本武尊の話に続いて上毛野氏(彦狭島、御諸別)の話を書くのも、この故であろう。
(5)日本武尊もまた、唖で8才で死んだ愛孫建皇子に対して斉明女帝が抱いた願望が作り出したと云う面もなしとはしない。
 

(3)仁徳天皇の皇后磐之媛の筒木遷幸

古事記 日本書紀
・媛の嫉妬により吉備黒日売が帰国
・天皇が黒日売を恋い吉備へ行幸
        ××××××
        ××××××
        ××××××
・媛の嫉妬により玖賀媛を速待に賜う
        ××××××
・媛が紀国に御綱柏を取りに行く
・天皇が八田若郎女を妃とする
・媛が帰途にそれを知り柏を捨てて筒木へ
        ××××××
・媛が筒木の奴理能美の家に入る。
・八田皇女の妃採用を媛は許さず
         〃
         〃
         〃
・舎人鳥山を遣わし姫に帰還を乞う
・筒木宮に入る
・舎人鳥山を遣わし媛に歌を贈る
・丸邇臣口子を遣わし媛に歌を贈る
・媛は蚕を見るためと口子ら天皇に報告
・天皇も蚕を見るため筒木を訪問
・奴理能美が媛に蚕を献上
         ××××××
・的の口持臣を遣わすが媛は帰らず
         ××××××
・天皇が筒木を訪うが媛は会わぬ
         ××××××
        ××××××
        ××××××
・媛が筒木にて崩御
・八田皇女を皇后にする
                                             (人物名は日本書紀による)
 
<相違点>
(1)紀には黒日売の話がなく、代わりに玖賀媛の話が入っている。(紀では、天皇の吉備訪問の話を応神のこととしている)
(2)記紀のいずれも、媛の筒木遷幸をの動機を嫉妬とするが、記は話の途中から、次第にずれていって、養蚕の技術導入になってゆく、紀の方は最後まで徹底的に嫉妬話にしている。
(3)紀では媛は和解しないまま筒木で亡くなっているが、記ではその後難波へ帰っている。
 
<考察>
(1)玖賀媛の話は嫉妬話にはなっていない。磐之媛が嫉妬するから玖賀媛を誰かにやると云うのは変な話である。仁徳の侍女は玖賀媛一人ではないから。この話は速待に侍女の一人を与えだが、女の方が嫌って自殺したと云う「よくある話」で、嫉妬とは何の関係もない。また、黒比売の吉備帰還も、嫉妬によるとは必ずしも云えない。
(2)従って、磐之媛を嫉妬の女とするのは作為のように思われる。特に、記において、媛の筒木遷幸が嫉妬話から次第にずれて養蚕の話に変わるのは、媛の筒木遷幸が本当は嫉妬のためでなく、何か隠された別の目的のためであることを暗示している。紀が徹底的に嫉妬話で通したのは、この点を疑われるのを恐れたためと考えられる。
(3)隠された目的とは、和迩氏への威圧であり、それを必要とした遠因の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)暗殺を隠蔽したかったものと私は考えている。
 
 
(4)允恭天皇の木梨軽皇子と軽大娘皇女の兄妹相姦事件
古事記 日本書紀
・允恭崩御直後に発覚
        ××××××
・允恭在位の半ば頃に発覚
・軽大娘を伊予に流罪
・允恭崩後、群臣は軽皇子より離反し穴穂に付く
・軽皇子が大前小前宿祢の家に逃げる
・穴穂が宿祢の家を囲む
       〃
       〃
       〃
・宿祢が軽皇子を捕らえ穴穂に渡す
・軽皇子を伊予に流す
・軽皇子が宿祢の家で自害 (*1)
      ××××××
・軽大娘皇女が軽皇子を追って伊予へ
・伊予にて兄妹心中自殺
      ××××××
      ××××××
・穴穂が大草香皇子を殺しを后にする
        ××××××
      〃     (*2)
・穴穂は大草香の妹を弟雄略の妻にする
・雄略が大草香の妹に求婚する       ××××××
                                              (人物名は日本書紀による)
                      *1 伊予に流罪にしたと云う別伝を註記している
                           *2 雄略紀は大草香の妻(従って安康の妻)の中磯に、亦の名は長田大娘皇女と註を付けている。
  
<相違点>
(1)軽兄妹の相姦の露見を記は允恭崩御直後としているが、紀はそれ以前のこととする。
(2)軽大娘は、記では兄の失脚後に兄を追って伊予で心中するが、紀では兄の失脚以前に伊予に流されている。
(3)大草香皇子の妻は記では長田大娘であるが、紀は中磯皇女にすり替えている。しかし、中磯皇女の亦の名は長田大娘皇女と註記している。
 
<考察>
(1)大草香の妻を紀が中磯皇女にすり替えているのは、長田大娘では穴穂と同母兄妹になり、軽皇子の兄妹相姦を非難する穴穂自身が兄妹相姦することになるからである。
(2)穴穂自身が同母兄妹結婚をしているので、兄妹相姦のために軽皇子が人心を失ったとするのは、穴穂のクーデターを正当化するための、記紀の作為的表現である。
(3)軽兄妹の相姦露見を紀が允恭在位中のこととするのは、兄妹相姦だけが穴穂のクーデターの名分ではないことを示そうとしたものであろう。
(4)相姦事件で、男を許し女を罪にするのはおかしいと指摘されている。この点においても、紀に作為があると云える。
 
 
   
(5)飯豊皇女と二王子発見
古事記 日本書紀
         ××××××
         ××××××
         ××××××

・清寧天皇没
・二王子発見
・兄を皇太子、弟を皇子とす
・飯豊皇女が初めて性交する  (*3)
・清寧天皇没
         ××××××
・飯豊皇女が執政 (*1) 
・二王子発見
・飯豊皇女は二王子を宮に上らせる
         ××××××
・二王子は位を譲り合うも、弟が嗣ぐ
・二王子が位を譲り合い後継決まらず
        〃  (*2)
        ××××××
        ××××××

・飯豊皇女没
        〃
                                             (人物名は日本書紀による)
 
(*1)ここに日継知らしめす王を問うに、・・・・ 飯豊王葛城忍海の高木の角刺宮に坐しき。
(*2)飯豊青皇女、忍海の角刺宮に、みかどまつりごとしたまう。、
(*3)飯豊皇女、角刺宮にて、まぐわいしたまう。
 
<相違点>
(1)二王子の発見を、記は清寧没後飯豊執政中とするが、紀は清寧在位中とする。
(2)飯豊の執政を、記は在位しているように記しているが、紀は臨時的とする。
 
<考察>
(1)雄略没後、ほとんど空位状態となったのであろう。清寧は不具で幼少で、何の意味もない存在で、しかも、すぐに死んだ。巫女飯豊がいたが、政治力は全くなかった。あえて云えば、飯豊天皇の治世ということができたが、女帝と云う習わしが当時はなかった。そこへ播磨から二人が出てきて、それなりに王権を握った。記紀の違いは、この状態についてのの認識の違いである。
(2)紀は何故か飯豊の在位を否定したかった。二王子発見を清寧在位中としたのは少しでも清寧を飾るためである。さりとて、飯豊の執政を全く消し去ることも出来ず、二王子が皇位を譲り合ったと云う美談を作って、その間の臨時措置と云う形で残したようである。(扶桑略記、皇胤紹運録は飯豊天皇と記している)
(3)飯豊は誰と交わったのか。それは雄計(顕宗)と私は思っている。
 

2002-8-15
(戻る)