アラール先生を偲んで

2004年5月、バソン界の巨星、 モーリス・アラール氏が天国に旅立たれました。以下は、愛弟子シャンタル・コラ、フランソワ・キャリー夫妻(若林通夫訳)による追悼文の要訳です。

先生は、デランの弟子であり、早くからその非凡な才能により、抜きん出ておりました。ジュネーブ国際コンクール優勝の後、パリ・オペラ座の首席奏者に就任。 楽員や指揮者からも深い尊敬を受けました。同僚の一人は、「彼は、いつも本番で、命が尽きるかのように演奏しました」と語っておりました。
先生は、デラン氏がパリ音楽院引退の後、ごく自然にその後任者になりました。 在任中、多くの作曲家が先生のために曲を書き、こうして20世紀フランスの多くの作品が私たちに残されました。 教授としての先生は、生徒たちに対して厳格であり、先生ご自身に対しても同じ姿勢でした。 著名な作曲家トニー・オーバン氏は「パリ音楽院の教授にあって、一人際立っている人、それがモーリス・アラールである」と言いました。
先生は、音楽そして作曲家に敬意を表し、生徒たちに「常に美しく、より美しく」と助言し、模範を示しました。 こうして先生は、生徒のみならず、パリの著名な弦楽器、管楽器奏者にもレッスンを行いました。 先生は、自信のキャリアよりもまず生徒の事を優先しました。 ある時カラヤン指揮ベルリンフィルと共演という話も、パリ音楽院のレッスンをつつがなく行う事を理由に断られました。
先生は、世界中の奏者たちから尊敬されておりました。1980年にエディンバラで行われたIDRSフェスティヴァルに参加した人達は、 先生の演奏したサラサーテのサパテアードの後の「スタンディング・オベーション」を生涯忘れる事はないでしょう。私たちは感嘆の念に打たれ、目には涙、先生の弟子としての誇りに満ち溢れ、先生から授かった御恩に対する感謝の念で一杯でした。
ある音楽家がその活動を終えた後、あまりにも早く忘れ去られるということはよくあることですが、偉大な芸術家である先生のような人は、オイストラッフ、ロストロポービッチ、メニューインと同じクラスの人であり、決して忘れ去られることは無いでしょう。