最近日本では、外資系ファンド、村上ファンド等の投資事業に対する激しい毀誉褒貶がみられますが、マーシャル・S・コーガンはウォール街の傑出した、著名な投資戦略家です。彼はハーバート大学を卒業、ハーバートビジネススクールでMBAを取得しました。
1984年Foamexインターナショナルを設立、10年間で全米の自動車産業が使用するウレタンフォームの65%のシェアを獲得するなど自動車部品業界の中で重要な働きをしました。こうした投資戦略家としての実績と共に高く評価されるのが、彼の文化に対する貢献です。
イスラエル美術館、アメリカで最も古い公立学校であるボストン・ラテン学校への支援、更にニューヨーク近代美術館(MOMA)の理事を20年間務め、その内10年は建築・デザイン部門のチェアーマンでした。
1986年6月、シカゴのシャーマン夫妻は私のノール・ジャパン社社長就任を祝って、シカゴ、ジョン・ハンコック・センター64階の自邸に建築家、デザイナーを招き小さなパーテーを開いてくれました。高さ160メートルのパーテールームからは、闇の中に光り輝くシカゴの街が隅々まで見渡すことが出来ます。それから16年間、私がリタイヤーするまで毎年全米家具フェアー・ネオコンに合わせてこの小さなパーテーは続きました。
シャーマン夫人は、シカゴの富裕な実業家の家に生まれ、少女時代は熱烈なフットボールのファンでした。ご主人の、ソウル・シャーマン氏は、シカゴ・ベアーズのスタープレーヤー・クォターバックでした。二人は熱烈な恋愛の末、結婚、その後、シャーマン氏は実業界に転じ、夫婦は、若いアーチストの良きアドバイザーであり、パトロンでした。そしてノール社の大株主でした。
パーテーには家族も出席、長女でフラワーデザイナーのキャサリンは建築家ミース・ファン・デル・ローエ関係の資料を送ってくれましたが、使用している切手は、野鳥を含めネーチャー関係の切手でした。
デボラ夫人からの手紙も勿論ネーチャー関係、ニューヨークのマキシムで晩餐に招待されたときのワインは野鳥のラベルのついたワイン、帰るときにはラベルを[Memoire
du Vin]として、心温まるもてなしの連続でした。
1990年孫娘のクロエさんが、ノール社長コーヘン氏の母である伯母と彼の妹と一緒に来日しました。クロエさんの父は有能な外科医であり、祖父母は裕福ですが、飛行機、宿泊、お土産など、来日の費用は、高校生の彼女がすべて彼女自身のアルバイトで準備したとのことでした。帰国後の礼状は鶴のグリーテングカード、切手は鴨のデコイ、驚き尽くめの素晴らしいファミリーです。
(June 11,2006)


1990年、セントラルパークに面した彼の自宅に招待され、同席したMOMAのキューレーターS.リードさんから私は、『日本の建築家の展覧会をMOMA で開きたい』と言う相談を受けました。M.S.コーガンは多くの事業をやってましたがその一つが『Knoll社』でした
Knoll社は1937年自由の地を求めアメリカに渡ったドイツ人ハンス・ノールと、ナビスコファミリーの一員としてミシガン州で生まれたフローレンス・シューによって創立されました。


友あり遠方より来る・海外の友人達からの便り
メールはスピーデーですし、整理も簡単ですが、なんとなく物足りなさを感じさせるコミュニケーションツールです。私がナチュラリストであり、愛犬をつれて、山野を駆け巡り、野鳥達の歌声に耳を傾ける生活をしているのを知っている海外の友人達は、プライベートな連絡は勿論のこと、ビジネス関係の書類を送る場合にも、「郵送料支払い済み」のスタンプではなく、犬や野鳥の切手を一枚づつ張って送付してくれます。最近は、日本人より外国人の方が、こうした細やかな心配りをするようです。
彼らは、ヒットラーの迫害を逃れアメリカに亡命したミース・ファン・デル・ローエやマルセル・ブロイヤー等がバウハウスでデザインした家具、また幼くして両親を亡くし、クランブルック芸術大学院大学の創立者の1人であった建築家エリエール・サーリネンの家庭で養女同様に育てられた妻フローレンス・シューの関係で、兄妹同様だった建築家エーロ・サーリネン、大学院で共に学んだ彫刻家ハリー・ベルトイヤーなどのデザインした家具等を中心にKnoll社を創立しました。いわばバウハウスを父、クランブルックを母としてKnoll社はスタートしたのでした。
そしてKnoll社はアメリカの建築家、デザイナーのサロンとなり、アメリカを代表する建築家、デザイナーは挙ってノールのデザイン開発に協力をしました。
1955年ハンス・ノールは不慮の自動車事故により死亡、フローレンス・シュー・ノールが後を継承しましたが、1968年デザインに専念する為にKnoll社を売却、その後数回、経営者が代わり、経営不振に陥っていたKnoll社を1977年M.S.コーガンが買収しました。
そして、再びロバート・ヴェンチューリ、リチャード・マイヤー、フランク・ゲーリー、エットーレ・ソットサス、ガエ・オウレンテーなど当代を代表する建築家、デザイナーがデザインに参画、世界中にKnoll社ブレンチを設けるなど、新たな経営感覚によりKnoll社を再生させました。
1990年M.S.コーガンはKnoll社をウエスチングハウス社に譲渡しました。その後もオーナーは代わり、現在M.S.コーガンはKnoll社との資本関係は一切ありませんが、売却後もKnoll社に残った、ハーバート大学出身の子息、アンドリュウ・コーガンが新しいオーーナーの下で同社の代表取締役CEOとして経営に当たっています。
美食家で文化を愛するM.S.コーガンは、当時、ニューヨークのレストランの歴史ともいえる禁酒法時代に創立された『21クラブ』のオーナーでした。私がワイヤーヘヤード・フォックス・テリアを飼ってると話すと、早速同クラブのコレクションだった、1928年鋳造のワイヤーヘヤードフォックステリアのドアストッパー、木彫家カルメロ・シファノの作品、また私が大学の卒論でヘミングウエーを研究テーマにしたことをを話すと「FOR
WHOME THE BELL TOLLES」、「THE OLDMAN AND THE SEA」「ACROSS THE RIVER INTO THE
TREES」の3冊の初版本を誕生日お祝いとして贈ってくれました。バードハウス、関係図書も多数もらいました。このバードハウス、書籍はすべて北海道・東海大学 織田デザイン研究室に寄贈しました。
私が現在バードハウスを研究することが出来るのもM.S.コーガン並びに世界中のノール・デザイン社員の協力アドバイスによるものだと言えます。(JUNE
15,2006)
手紙を整理してみると、海外の友人達の心のこもった手紙が沢山あります。ある美術館の館長の封筒には、私とのヘミングウエーの話から、ヘミングウエーの記念切手を、ドイツのノールの代表者からの手紙には、バウハウスの学生の作品をと、今更のように友人知人たちの好意を感じます。
(JUNE 18,2006)

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シャーマン夫妻
投資戦略家であり、ニューヨーク近代美術館 建築
デザイン部門のチェアーマンだったマーシャル・S・コーガン








ミシガン湖から見た
ジョン・ハンコックセンター



ノール・インターナショナル・ジャパンの米国人社員からのクリスマス・プレゼント・・ビスケット、チョコレートで作ったバードハウス




