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9月11日を振り返る(01.12.05の日記より)



 そろそろアフガニスタンの話題も終息しつつある今日この頃。実際には何一つ終わっていないのだが、「話題」としては、新聞・TVとも終息しつつある。すっかり消化試合の様相を呈している。

 事の起こりは、今年9月11日の旅客機によるテロだった。姿を見せないテロ組織とUnited Statesの対決。非政府組織が進んだ現代にあって、この対決構図は「非対称戦争」「新しい戦争」と呼ばれた。国民国家の概念に囚われない不定形な組織に、国民国家の牙城とも言えるUnited Statesが、どこまで戦えるのか?そんな論調も多く見られたように記憶している。
 しかしながら、蓋を開けて見れば「国民国家概念」の強固さを再確認しただけだった。U.S.は国民国家の概念を徹頭徹尾、貫徹させる事で「国民国家概念」の限界を唱える机上の空論を簡単に薙ぎ倒してみせた。実に面白くない。
 国民国家は国民がいて、国境があって、国土があって成立する。その全てが作為的なものだが、やはり国土は曲者だった。全ての土地が、いずれかの国家の傘下に入る以上、いかなる組織であれ、拠点を構える限りにおいて国家の世話にならざるを得ないワケだ。
 あくまで仮定だが、アルカーイダがタリバーン政権の協力者でなく、単なるアフガニスタンの地方政権であったなら、もう少し別の形になったのだろう。タリバーン政権が、今回のパキスタンの役割を果たしつつ、しかも明確な(アフガン-パキスタンのような)国境が存在しない分、厳格な国境封鎖はできず(敢えてそれをせず)、タリバーンはアルカーイダをカードに優位な外交を展開できたのではないだろうか。
 こんな反U.S.に凝り固まった仮定(夢想)はどーでもいーや。何にせよ、今後U.S.に挑戦しようと思ったら、正体を見せないか、拠点を持たないか、どちらかの選択肢が必要になる。後者が一般化した時、初めて国民国家は存在意義の危機に立たされるだろう。あるいは内部から、国民が国民であることを否定する動きが強まれば、国民国家は倒れ得る。尤も、これは第一義的には当該国の否定であって、国民国家概念の否定に結び付くとは考えがたい。
 話を戻せば、「非対称戦争」も「新しい戦争」も単なるお伽話に過ぎなかったという事だ。U.S.がアフガニスタン攻撃を決めた時点で、みんなわかっていたのかも知れないが、私はしばらくお伽話に騙され続けた。誕生から僅か230年。世界は国民国家に塗り潰されたままだ。その解体を、どうしても見たいという願望が先に立っていた。しかし国民国家概念は何ら打撃を受けなかった。U.S.は最強の国民国家として、堂々と国民国家アフガニスタンを打倒した。それが事実だ。
 9月11日の大規模なテロリズムは、政治体制、国家形態といった根本的な次元で、何ら変化をもたらさなかった。その意味では、人類史の上でいかなる画期ともならなかった。
 後付で意味を付けるなら、9月11日ってヤツは国民国家の優位が確認され、各種独立運動が益々窮地に立っていく端緒となる日なのだろう。

 「独立=善」とは思わないが、「独立弾圧=悪」とは思えてしまうので、大変面白くない今日この頃なのである。


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