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「三観教育」と「東北工程」(03.09.19の日記より)



大前提:毎日新聞本日9面。(→

▼記事のあらまし
 韓国の「在外同胞法」は、U.S.移民や、日本国籍取得の元在日韓国人に対しても、内国民と同等の法的地位を与える法律であるらしい。
 2001年末に議員46名が提案し、継続審議になっている同法改正案は、これを「民族の血を引く者全て」に対象を拡げるコトを謳っているという。
 これに黒竜江、吉林、遼寧の東北三省に合計200万人の朝鮮族を抱える人民中国が対応を迫られたワケだ。
 主な施策は二本立てで、一つは昨8月から、朝鮮族80万人以上が住む延辺朝鮮族自治州(吉林省東部,州都は延吉市)において開始した「三観教育」。もう一つが、社会科学院傘下の研究機関による高句麗研究「東北工程」であるそうだ。

▼三観教育
 記事によれば、「三観教育」とは「歴史観」「民族観」「祖国観」の三つで構成される。
 「朝鮮族の歴史は、中国に生きる少数民族としての歴史である」
 「朝鮮族は、中国の多様な民族の中で生きる民族である」
 「朝鮮族の祖国は中国である」
 という主旨三点がワンパッケージで教えられるワケだ。明らかなのは「民族観」「祖国観」は歴史的事実というよりも為政者の主張であると言うこと。「多様な民族の中で生きるべき民族である」「祖国は中国であるべきである」と補って読むことができる。問題となるのは「歴史観」だ。これも「べきである」を語尾に付ければ、すんなりと読めるのだが、「べきである」で語られる歴史は、偽歴史、物語、創作、オハナシ、与太話、法螺話、説話であっても、それは断じて「歴史」では無いと、強く主張したい。
 「朝鮮族の歴史」については、「東北工程」も絡むので後述する。

▼東北工程
 記事によれば、「東北工程」とは、中国東北部発祥の高句麗を中国辺境の民族政権と位置付け、高句麗を古代朝鮮の国家であるとする韓国、北朝鮮の主張を退ける研究作業のコトらしい。
 まず前提が誤っている。
 中国東北部が、「中国内地の東北地域」になるのは、辛亥革命以降のコトであり、それ以前はマンジュ・グルンの本拠地である。清朝を以て中国を語る暴論を容認したとしても、内地になるのは17世紀を降らない。
 また、「辺境の民族政権」なる語が、大陸王朝のインパクトを受けて成立するカウンターであるならば、それは高句麗に限らず、百済、新羅の前身となる韓諸国にも向けられなければならない。であれば、人民中国の主張を完徹するなら「朝鮮半島の住人は全て辺境の民族政権に由来するものである」と説明せねばならず、「半島は中国の一部」というハナシにさえなってくる。いや、漢族を自称する人々のホンネはそうなのだろうが、半島国家の主張を退け現状を保つための理論としては失敗作だろう。

▼朝鮮族の歴史(革命以前)
 史上に登場するのは前4世紀が初例。燕の辺外に存在した勢力。前195年に、漢の亡命者による政権が作られ、前108年に漢の郡県統治が始められた。
 この頃、満洲地域に高句麗、半島南部に真番(紀元前後頃より「韓」)といった勢力が確認される。
 4世紀以降、大陸王朝は半島の南北からの撤退を余儀なくされる。
 7世紀、隋唐の介入から、満洲地域の大震(渤海,高句麗遺民多し)、半島地域の新羅(韓主体で高句麗遺民を含む)と二分される。
 10世紀、唐滅亡後の動乱にあって、遼朝により東丹(旧渤海)は遼東(現遼寧省)地域に移住。故地にしばらく後継国家が興亡を繰り返した。半島は新羅から高麗へ。
 12世紀、渤海遺民を君主とする勢力が全く姿を消し、女真による金朝が興る。
 この時点で、高句麗の流れを汲むかも知れない遺民は、満洲地域と遼東地域に拡散してます。他、動乱に伴う組織的移動では無い、世帯単位での移住は確認する由もありません。
 以降、満洲地域は女真、モンゴル、女真と君主を変え、辛亥革命に至ります。遼東地域は、明、清の郡として辛亥革命を迎えます。半島地域は、李朝の統治、日本の統治を経て、南北に分裂します。
 さて、革命以前の朝鮮族は「中国の少数民族としての歴史」を歩んでいたでしょうか?
 どこかで、幾つかの単語を、故意に読み替えない限り、革命以前(ひいては古代)まで遡って朝鮮族を中国固有の少数民族と見做す「三観教育」と「東北工程」は破綻していると言わざるを得ないでしょう。

▼朝鮮族の歴史(近現代以前と以後についての仮定)
 あるいは、革命前夜(清末)以降の近現代史に限って朝鮮族の歴史を見るならば「中国の少数民族としての歴史」と考える余地はあるやも知れません。17世紀以来の封禁令(半島から大陸への人口移動禁止)が解除された1880年代前後の人口移動、20世紀前半の日本統治下での満州入植、日本敗戦に伴う人口移動等については、人民中国が受け入れた少数民族と見做すこともできるでしょう。
 朝鮮族200万人の祖が、近現代の流入と、古代まで遡るものと、どちらが主体かによって語られる歴史は大きく異なるのでは無いでしょうか。
 (いずれにせよ「三観教育」と「東北工程」は破綻していますが。)

▼余談
 余談ですが、「三観教育」と「東北工程」が否定できるからと言って、「高句麗は古代朝鮮の国家である」という論が肯定されるワケではありません。
 現代の半島国家のルーツは李朝の統治圏に求められ、李朝は、高麗、新羅と遡ることができます。新羅統治下の人々には高句麗の遺民も含まれますが、高句麗の全てを継承したワケではありません。「朝鮮の中の高句麗」と見るよりは、「高句麗の一部が朝鮮と重なる」と見るべきでしょう。「高句麗は古代朝鮮の国家である」と言う考えは、地勢的に見て、「では女真は朝鮮系か」という問いに晒されるのです。


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