浜松市に小豆餅(あずきもち)という地名があります。
あちこち小豆餅!
携帯ショップも甘そうです。
もう「ドコモショップ」よりも「あずきもち」の方が目立っちゃってます。
アパートマンションも小豆餅!
とうとう神社まで!
一見普通の神社ですが
「小豆餅神社」。
小豆餅をまつっているわけ
ではないと思います
接骨院も!
なんだかもう柔らかそうで
接骨とかしなくていいんじゃないかって思ってしまいます。
小豆餅は1丁目から4丁目まであります。
住所看板が「小豆」になってました。
餅はどこに行ったんでしょう?
戦国時代の徳川家康の逸話に由来する地名です。
三方原の合戦で家康は大敗し浜松城に逃げ帰りましたが空腹に耐えかね道端の茶屋で小豆餅をほおばりました。
そこへ武田軍が追ってきたので家康は銭を払わず逃げ、何も知らない茶屋の老婆は食い逃げと思い追いかけました。
その茶屋の辺りを「小豆餅」と呼ぶようになりました。
ここが現在小豆餅を売っている「御菓子司あおい」。
残念ながら創業は昭和41年。
数十m東へ行くと小豆餅なのですが、
残念ながらここは「浜松市中区小豆餅」でなく「浜松市中区葵東」です。
葵という地名も徳川家に関係っぽいですね。
カボチャが力入ってます!
看板に家康とおばちゃん。
店内に里見浩太朗のサインがありました。
銭取の話は水戸黄門にも登場したようです。
これが「小豆餅」。150円。
全国菓子大博覧会大臣賞受賞
信玄餅のようなパッケージ。
お菓子の知名度でも信玄に負けてしまってます。
開けるときな粉をまぶした餅が2つ。
外見は黒蜜のない信玄餅といった感じ。
「あんこ入り」と「あんこ無し」があります。
追記:
「創業した昭和41年から名物だったこの菓子を、2代目が40年ぶりにリニューアルした」
ということなので2006年頃に写真の小豆餅からリニューアルしたようです。
今度は新しくなった小豆餅を食べにいってみます。
2010年4月7日
銭取というお菓子もあります。
こちらは和風なマドレーヌの様な焼菓子でした。
そして、おばあさんが追いかけてきた場所は「銭取」と呼ばれてます。
街道を1.7km南に行くと「銭取」があります。
おばあさんはずいぶん追いかけたもんです。
「銭取」という地名はなく、バス停の名前でしか残っていません。
ここから浜松城まであと4kmです。
銭取のバス停の近くに「銭取まんじゅう跡→」という碑がありました。
矢印の先には会社やアパートしかありませんでした。
昔、「銭取まんじゅう」を売っていたらしいです。
地図はこちら。
大正3年に開通した軽便鉄道には「小豆餅駅」と「銭取駅」があり珍名駅として有名になったそうですが、
昭和39年に廃線になりました。
ウィキペディアによると…
この逸話は後世の創作で、実際には三方ヶ原の合戦での死者を弔うため、この地に餅を備える習慣が
続いたことが地名の由来である。
『浜松風土記』には慶長年間のこととして、浜松城主堀尾忠氏の弟高階晴久が三方ヶ原に立ち寄り茶店で
小豆餅を食べたところ、次々と奇怪な出来事が起こったので慌てて店を飛び出し、町まで逃げ帰った。
翌日、晴久は多数の供をつれて昨日の場所に行くと、うら寂しい大野原に三方ヶ原の戦いの戦死者の白骨が
散乱していたので、掻き集めて焚いて埋め、小豆餅を供えて大念仏で法事を営んだことが由来であるとの
記述がある。
また同様に、銭取はこの辺りに山賊がよく現れたことに由来する(山賊に銭を取られるため)。
三方ヶ原の合戦があった時期、三方原台地に民家まして茶屋などは存在しなかったが、
当時の家康の必死の逃亡をよく表現した伝説として、長く地元の人々に親しまれてきた。
…だそうです。
小豆餅は自衛隊が近いので飛行機がよく飛んでます。
御菓子司 あおい
住所:浜松市中区葵東 1丁目6−7 地図はこちら。
電話:053−436−2365
御菓子司あおいのHPはこちら。
ひさしぶりに通ったらこんな看板がありました。
町名のインパクトのせいで
何の看板なのかわからなくなってます(笑)
DATE … 2011年10月8日
リニューアルした小豆餅を買ってきました。
平安時代から栽培されてきた食物繊維たっぷりの穀類「もろこし」と 江戸時代から体によいとされている「黒糖」を
求肥の生地と一緒にして大福生地を作りました。
これで北海道産の大粒小豆で炊き上げた粒餡を包み、仕上げに厳選された黄な粉をまぶしました。とのことです。
個装はなく3つ入りパックと菓子折りがありました。
前よりも「私の小豆餅」のイメージに近づきました。
茶屋でおばあさんが出してきそうな感じがします。
中はこんな感じ。
もちもちの求肥に粒あんです。
おばあさんが作ったような手作り感はないですが、
お上品な和菓子でした。
DATE … 2012年2月26日