旧東海道の日坂宿と金谷宿の間に位置する「小夜(さよ)の中山」は、その昔、箱根と並ぷ難所に数えられていました。
そこには悲しい伝説の石夜泣石があります。
臨月の妊婦が久延寺に安産祈願の帰り、丸石の傍で休憩していた所、
山賊に斬り殺されてしまった。
母親の念が石にのり移り石が泣き、久延寺の和尚が泣き声に気がつきました。
石のそばで殺された妊婦をみつけ、赤ちゃん(音八)を寺で育てました。
浮世絵の夜泣石。
東海道の道の真ん中にありました。
現在は石碑が残り、
石は移動しています。
東海道って細い道だったんですね。
夜泣石は現在2km離れた国道沿いの公園にあります。
立派なバイパスがあり交通量がありますが、歩いてみると人気がなく寂しげな所です。
山賊がいたというのもわかります。
これが夜泣石。
重さ1125kg。
何も知らなければ座ったり触ったりしたくなるような丸い石です。
伝説を聞いた弘法大師が指で石に刻んだ文字。
「南無阿弥陀」と書いてあるそうです。
弘法大師は奈良〜平安時代の人なので
伝説はその前からあったという事になります。
夜泣石の近くに、和尚が赤子に食べさせたという「子育飴」を売る小泉屋があります。
「久延寺の観音様が夜な夜な寺を抜け出し水飴を赤子に食べさせるため石まで通った」
という話もあります。
飴を食べさせていたのは和尚か?観音様か?
小泉屋です。残念ながらお休みでした。
宝暦元年(1751年)創業! 260年前ですよ!
昔は久遠寺の横で店を開いていたそうです。
(石と一緒に移動?)
もち米と麦芽を一晩寝かし麦芽糖へと変化させ煮詰めて作る
茶色くて硬めの水飴です。
その後、音八は成長して刀研師になり山賊をみつけ仇をうったとか和解したとか諸説あります。
再び寄ってみました。
今日は営業してました。
子育飴食べてみました。100円。
10代目が壺からすくってくれました。
静岡おでんも煮えてました。
次は子育飴ソフトにチャレンジしてみます。
DATE … 2011年4月3日
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もうひとつの夜泣石の謎
夜泣石から1km程の久延寺に行ってみました。
「これが旧東海道?」と心配になるような細い道を山へ登っていきます。
軽自動車ではツラいほどの急な坂を登り、茶畑の横を抜けると久延寺があります。
久延寺(きゅうえんじ)です。
東海道ができるずいぶん前の奈良時代に建てられました。
1600年に山内一豊が徳川家康をもてなした茶亭の跡があります。
ここの和尚が赤子を助けて育てたのです。
石はここから1800m西にあったので
石の泣き声はすごい音量だった事になります。
本堂脇には夜泣石!?
これはホンモノでなく、
昭和30年代、夜泣石のあった場所で見つけられたソックリさん。
大きさは同じ位ですが茶色っぽいです。
弘法大師が指で書いた文字らしきものもありました。
明治元年まで夜泣石は東海道の真ん中にあったが、明治天皇が通られるということで道脇に移動しました。
明治十四年に東京浅草で開かれた「東京勧業博覧会」に夜泣石が出展されるが「泣かない」と不評の嵐!
帰り道、運送料が足らず焼津の浜にしばらく放置され、半年後みかねた地元の人が掛川へ持ち帰りました。
その後、久延寺が所有権を巡って裁判を起こすが敗訴。 同じ場所から似た石を持ってきたのです。
石も泣いたり放置されたり…苦労してます。
寺の近くに子育飴の元祖「扇屋」があります。
この日は法事の為臨時休業でした。
小泉屋と扇屋、どっちの飴を食べて音八は育ったか謎です。
店の前は旧東海道。
ウォーキングする人が多いです。
DATE … 2005年11月20日
後日、扇屋で子育飴を食べてきました。
壷から飴を巻いてくれます
普通の水飴と違って甘すぎず風味があります。
気をつけないと歯にくっつくので注意。
1本100円。
DATE … 2007年7月29日
久延寺の地図はこちら。