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何紹基の臨書法

 清朝末期の何紹基はとても気になる書家の一人です。皆さんのなかにも何紹基が顔真卿の書を臨書したものをご覧になった方もおられるでしょうが、臨書といいながら手本とはまったく別の書になっています。あたかも何紹基は顔真卿に格の勝負を挑んでいるかのようです。何紹基の用筆は逆入の蔵鋒がすばらしく、わたしは篆隷の用筆で行草を書いてみたいと思うようになったことから、何紹基の臨書を2009年の年明けから始めました。
 毎日新しいテーマを決めて、朝の2〜3時間、半紙に六字から八字を臨書していきます。真っ黒な紙での練習法とは違い、全体の構成や書の構造にもしっかりと目を配ります。筆の大中小、毛の柔剛、運筆の遅速、墨の濃淡、滲み具合の異なる紙など、さまざまなファクターを替えて試行錯誤をくり返します。とくに重点を置いて探求しているのは五指の使い方と筆の角度です。表現したい線質に応じて五指すべてで筆を持ったり、人指し指を浮かせてみたり、また筆を入れる角度を少しずつ変えて臨書しています。何紹基が確立した懸臂回腕を我がものにしたいという狙いもあります。ただし、何紹基が顔真卿に対して格の勝負を挑みながら臨書したと同じく、わたしは何紹基に格の勝負を挑みながら臨書しているつもりです。先人がなした書、それと同じ文字の並びを、自分の書風でどう表現するか、あるいは自分の書風をどう変えていくか。練習とはいえ真剣勝負です。




何紹基の臨書は最近のわたしの日課。


指法や筆、墨、紙などを試行しながら
臨書を進めていく。


筆の太さを変えて書き分けたものを見比べる。


毎日テーマを決めて取り組む。


気づいた点や創作のヒントなどを書き添えて
一日ごとに臨書をまとめる。


ひと月単位で大きな束にくくる。
わたしにとっての創作ノートのようなもの。



空海「潅頂記」の臨書法

 私が好きな古典は中国なら王羲之、米元章、王鐸、日本なら空海とその後に続く和様です。空海の「潅頂記」に凝って臨書していた時のことをお話しします。
 まず一枚の紙に十回書き、百回書いていくのです。そのうちに、薄い柔らかい紙が墨で分厚くばりばりになってきます。墨を吸わなくなれば裏から書くということをしています。こういう真っ黒になった紙を五六枚手許に置いておいて、細筆ないしは中筆で古典を臨書します。五枚目ぐらいまで書くと、前に書いたものがすっかり乾いているので、気が済むまでまた書くようにしています。
 この勉強法を自分では気に入っています。まとめる意志のない、無責任な臨書というのが案外役に立つと思っているんです。例えば、起筆なら起筆のところだけ気をつけて書き出したときは、形も書法もあまり気にしないでやります。真っ白い紙ではちょっとそういう気にはなれないですね。黒い紙なら何回でもできますし、筆の角度を押すように書いているのを、今度は引くような感じに置きかえてみて、どっちがいいかなと思ったりして、自由な発想がそこから引き出せるからです。それで自分の書く作品が「潅頂記」ふうになっているかといえば、なっていない。どなたでもそうですが、臨書をしながら自分の勉強をするというのは、言ってみれば自分探しの旅のようなものだと思うんですね。黒い紙は案外自分を深く導いてくれるのではないかと考えています。



何百回と書き重ねた紙。


練習の準備として「灌頂記」と紙を用意。


思うように筆を進めていく。


最近は気に入った字だけ残すようにしている。


この紙は上の一節を繰り返し書いたもの。


おおよそ一週間書き重ねれば次の紙に移る。


集字からの作品づくり

 日々の練習を独りで築く土台とすれば、展覧会作品や揮毫作品などは自らの書を人様の目に問う舞台となります。
 自分の楽しみだけで書くのなら、どんな書もあり得ます。横線一本足らないけど、なんとなく雰囲気があって面白い字ができたとか、線をデフォルメしてみたら字典には載っていない篆書風の文字ができたとか、それは趣味としてなら結構だろうと思います。
 しかし、広く世の中の審美にさらすなら、文字が文字として認識される構造的なきまりごとを踏襲していないと普遍性に欠けます。私は創造という意味を繰り返し考えています。あらゆる芸術・学問に共通することですが、先人が積み重ねてきた土台を習熟した上で次の一歩を踏み出してこそ真の新しさは生まれます。先人の業績を己の創造性のひだに溶かしきることで、己の一歩が創造の本流を先へと伸ばすことにつながります。しっかり覚醒して本流を見据えていないと、個性や独創という甘い言葉に負けて井のなかの蛙に終わってしまいます。せっかく才に恵まれても、大成できない人のなんと多いことかと惜しまれます。
 繰り返しますが、後世にまで天才をうたわれるような人は、自分以前の人が歩いた道を知りすぎるほどよく知っています。そのぶ厚い地平を超えて発露する個性や独創なら本物です。まして私のような鈍才は先人達が文字に何を見出し、それをいかに造形したか、まずそれを噛みしめるところから作品づくりを始めます。遠く先例をたずね、重ねて新儀をひらく。書を業として選んだ以上、目を背けてはならない峰が脈々と連なっています。本格的に書を志す方は、ぜひその峰の高みから頭を出していただきたいと願ってやみません。
 私は、作品の語句が決まれば、最初に集字表をつくります。先人の手本から自分の琴線に合う字を選び出し、それを臨書したりコピーを張りつけるのです。作品の調子に合った字に絞りますから、数は問題ではありません。全ての語を集字したあと、それらを練り上げ発酵・醇化させて自分の字(書)を生み出していきます。かつて文字は神からの授かりものだと考えられていました。私は今でもそういうものだと思っていますし、安易な姿勢でいい加減な書をつくることはありません。
 ひとつの作品を五百枚、千枚と書き続け、その中から一枚を選ぶわけですが、その基準は大きくふたつあります。「新しい書美があると思える」ことと「自分の書になっている」ことです。古典・本流に立脚しつつ、峰を踏破した先人から笑われないように私なりの新しさを出していきたいと考えています。



作品の語句を決める。


一字ごとに集字を進めていく(臨書)。


特に気に入った字には印をつける。


字典からコピーした集字表もつくる。


習字表(下:臨書 上:コピー)。


半紙での下書き。書体を変えて。


候補のひとつを決定。


別の候補。候補は10点〜20点ほど。最終的にその中から一点を出品作として選ぶ。


作品は氷山の一角。



作品例





語句 独坐対月心悠々

創作の意図 文言や字体は任せるので茶掛けを、というご依頼で書いた作品です。お持ちいただく方を思い浮かべ、静けさと軽みを意識しました。作品づくりのプロセスは展覧会作品と同じですが、依頼作品の場合は相手の人格や心境も創作要素に加えていくことになります。