2012年1月21日  冬休みと初夢的妄想   

 レタスの定植が終わった12月中旬から、トマトの育苗が始まる2月までの約1カ月半が、我が家の冬休みである。今、妻は実家で久々の親孝行をしながら羽を伸ばし、私は一日ソファーの上で、好きな本を読んでいる。
 休みと言っても、降雪にはかなわない。12月中は例年より多めだったので連日、除雪に追われた。今年に入って豪雪の岩見沢三沢やその周辺の人達には申し訳ないが、太平洋側は晴れ間が多く、目だった雪は降っていない。除雪待機状態という休みが続いている。
 また、昨年から私個人の地域役職の負担が軽減された(いなかでは、こうした役回りが多い)ことも、冬休みを休みらしくしている。
 さて、昨年末、2つの懇談会があった。JAの地区別懇談会と行政による集落懇談会。私は地域役職を降りた気軽さも手伝って、JAに対しては「もぎたて市の充実を図って欲しい」。行政に対しては『町が進めている新規就農者制度をもっと具体的な形として示して欲しい」などと発言。
 話は飛ぶが、スタンフォード白熱教室、企業家育成コース。最近、私のお気に入りテレビ番組である。(日曜6時のEテレ) そのコースのティナ・シーリグ女史による講義があいまって、「もぎたて市(野菜の直売)」と『新規就農制度」と「企業化育成コースが一つになってとんでもない妄想がフツフツと湧き立ってくる。
 ストーリーとしては、新規就農者が企業家精神を持って、野菜の直売から始めて、農業を席巻していくというものだけれど,その過程の肉づけをあれこれ想像してみるのが面白い。
 冬休みも残り少なくなってきた今、この想いは最高潮に達している。これが2月に入って、現実的な農作業が増えてくると、それに反比例して妄想は減っていくのだが・・・。
 いつもは我が家の農業についての妄想だが、今年は他人のお世話の方になってしまっている。
 ただ、どちらにしても、私にはこの妄想(現実を忘れること)が、精神的な休養になっていることには間違いない。



2011年12月30日  直感と平常心   

 昨年は三度もTPP反対集会に参加したのに、今年は一度もない。予定はあったが、震災の影響で延び延びとなっているうちに、秋になって「TPP加入への話し合いの場に着いた」ということになってしまった。
 3.11。言うまでもなく、多くの命が失われた大震災。それに続く、原発事故の恐怖。
 私は直感として、こうした大きな災害・不安・変革の時、生産者がとるべき態度は、いつも通りに生産することだと思っている。特に食べ物の生産を質・量とも落すことは許されない。
 「1.5%のために、他の98.5%が犠牲になってもいいのか」と、言った大臣がいたが、直感として、この言い方は、食べ物生産者とは相容れない。
 私にとって、TPP問題は直感として断固反対なのかも知れない。食べ物が足りない時代の経験はないが、今風に言えば、飢餓の時代を生き抜いた私の祖先の歴史の中で、食べ物を求め、生産するDNAが深く刻み込まれているに違いない。
 先日、ある大学の講義を伝えるテレビで、恋愛の対象者をなぜ好きなのかその理由を感覚的に答える人と、論理的に答える人の数ヵ月後の結果をみると、直感的に答えた人達の方が長続きしているそうだ。大学はこんなことも研究対象にするのかという思いが先にたったが、今思うと、この結果は興味深い。
全日本フィギュアスケートで優勝した浅田真央の「いつも通りのことをやるだけ」。ありふれた言葉だけれど、その中にどれだけの思いが込められているかを、私達に見せてくれた。
 2011年とその後に続く時代。感性を磨き,動揺せずに、いつも通りのことを成し遂げる。それが生産者としてのとるべき態度でありたい。



2011年11月25日  守るべきは農地    

 「あ〜あ、TPPが協議入りしてしまった。TPP断固反対の立場にある私は、今後どうするべきなのか?
 例えば、あくまでも反対を貫き通すとか、あるいは反対しながらも政府が打ち出すであろう農業重視の政策を見極める。あるいは何も考えないでしばらくは情勢に身をまかせる。
 しかし、私達生産者が、こんなふうに手をこまねいている間に、別な所で重要なことが変わっていくような気がする。今、問われているのは、関税が高い安い、輸出が出来る出来ないとかのお金にからむ問題だけではない。「国の形」「国のあり方」が問われているんだ、ナンテネ。政治家の先生にそう言われても、大き過ぎてピントとこない。
 思い浮かんだのは替え詩で、
   国破れて山河あり 城春にして草木深し
   国破れて農地なく 田畑春にして草木深し

 先日、テレビのTPPについての討論番組で、守るべきは農家なのか、農業なのかという問いかけがあった。この二者択一は、以前にも耳にしているが、私はいつも、守るべきは農地だと思っている。優良な農地さえ維持していれば、そこから何でも生み出せる。
 私は有機栽培農家ではないが、極力、化学肥料、化学農薬を使わないように努めている。農地を大切にしたいから。除草剤に強い品種を遺伝子操作で作り出し、除草剤を使いながら、省力かつ収量を上げようというアメリカの農法は、土作りから外れている。
 優良な農地を維持し、生きている土(微生物が大量に棲んでいる土)から生産される作物を消費者に届けることが、農家の大切な役割だ。
 あえて言う。守るべきは農地だと。




2011年11月9日   絵にかいた餅     

 『絵にかいた餅」。一戸当りの耕作面積を20〜30ヘクタールにする、という政府からの話を聞いた時、真っ先に浮かんだ言葉だ。
 北海道の私の住む地域の耕作面積がだいたい20ヘクタールくらい。転作した畑が中心で、イモ、小麦、ビート、大豆などで輪作体系を組んでいる。ほとんどがTPP問題で名が上がってくる作物だ。輪作〔種類の違う作物を順に作ることによって、土地に負担を与えず、優良な農地を維持するシステム〕に直に影響を受け、一番大変だと思っている農家と、政府が目指す農家の目標面積が同じとは何と皮肉なことか。
 机上で数字合わせをしている連中が目に浮かぼうというものだ。

 私の父が現在地に入植してから、水田には何度も客土をし、時には重機を入れ、土壌改良、基盤整備をしてきた。10年ほど前にこの地区で始まった大規模な基盤整備〔パワーアップ〕事業にも、積極的に参加して、優良農地の保全に努めてきた。
 施設園芸には、さらに時間とお金をかけて、土作りをおこなっている。
 
春。まだ何も植えていない土だけのハウスなのに、中に入ると土のにおいが満ち満ちている。このにおいを身体に吸い込むと、今年も頑張ろうという気になったものだ。
 マスコミで論じられるTPPの話からは、土のにおいがしてこない。
 『絵にかいた餅」には、においなどあるはずもない。 



2011年10月27日   哲学、その後・・・     

 そのフォーラムに、私は早めに行き、前から3列目の席に着いた。開会の時間がきて,司会が基調講演をする哲学者の登壇を促した。すると最前列にいた黒いTシャツ(どこかのイベントのユニフォーム?)を着たおっさんがヌーッと立ち上がって歩き出した。行動する哲学者内山某氏である。ボサボサの髪を気にすることもなく、彼はゆっくりと話し始めた・・・。
 彼は今回のフォーラムの主催者側に近い立場にいたこともあって、持ち時間は短く、40分はあっという間に過ぎてしまった。
 でも、メインは、その後の二部構成のパネルディスカッションにあって、ゆずで有名な馬路村の農協組合長や日本一の直売所グリーンファームの会長等全国区のパネラーが顔を揃える豪華なものだった。次の部は道内で活躍している人達がパネラーになったが、これも面白かった。その後の懇親会にも顔を出し、楽しく有意義な時を過ごした。
 さて、哲学はどこへ行ったのか?
 内山氏はある本の中で、150年前のフランスの社会学者トラヴィルの言葉を紹介している。『社会が健全であるためには、小さな集団が活力を持って、活動し続けることが必要だ」。
 今回のフォーラムも、一つの集団として開催されたし、参加した人達も地域に帰れば様々な集団(団体、組織、仲間)の中で活動している。行動する哲学者は、そんな地域の集団がこのフォーラムを通して、より活発になることを望んでいた。
 故に、哲学は行動する人間の中にある・・・。
 


2011年10月9日   哲学しよう     

 内山某氏。哲学者。私にはとても縁がない世界の人だけれど、たまたま読んだ著書「森にかよう道」(1994年、新潮社)は大好きな本だ。
 あえて先生と呼ばせて戴く。先生の名を再び見つけたのは、「TPP反対の大義」(農文協)というブックレットの中だった。昨年秋に突然持ち上がったTPP問題。農業団体の役員をしていた私の手元にもこの冊子がまわってきた。大学の先生や政治家、作家、農業団体の偉い人たち,二十数名が、経済の話を中心に、それぞれの立場でTPP反対の論理を展開している・・・。私には正直に言って難しいし面倒なことだった。
 その中に先生の短い文が「市場の時間、むらの時間」と題して載せられている。TPPは経済問題として取り上げられるけど、先生の文には、経済につきものの数字が一つも出てこない。そのせいか先生の主張されることが、本の中では異色をはなっているように感じられた。
 数字を並べた理論を突き詰めると、今、私の周りを含めた北海道の農業者として成功している、あるいは目標とされている農業が、最も矛盾に満ちた農業になってしまうような気がする。
 私の疑問に追い討ちをかけるように、先生は『市場のなかでの自分たちの経営のことだけを考えてきた人々が、自分たちの経営にとって不利いなる市場開放がおこなわれようとするときだけ、市場主義に反対する・・・。そのことが農民の動き全体に対する誤解を生み、不信感を拡大させてしまった」、と述べ、「むらの時間」について続けている。
(普通の農家は自分の経営だけでいっぱいいっぱいなんだけれど・・・)
 近く、札幌で先生の講演会がある。私は末席で先生の生の声を聞くつもりだ。経済も大事だけれど、たまには哲学しよう。


2011年10月1日   レタスへの想い    

 忙しい夏が過ぎて、このところちょっと余裕がでるようになった。今年の夏を忙しくさせたのは、6月3日から始まったJAもぎたて市へのレタスの出荷である。
 無謀を承知で、もぎたて市開催全期間(150日)出荷を目標に掲げ、3月1日に第一回目の種を播き、その後10日毎に次々と播きつけた。レタスは種を播いてから、2ヶ月から3ヶ月で収穫になるので、もぎたて市の初日から順調に出荷は続いたが・・・。しかし後半、無謀がたたって、夏、あまりの忙しさに育てた苗が植えられない。秋は長雨でレタスの葉がとろけていく。何度ため息をついたことか。
 でも、目標の約6割(88日間)は達成した。6割は微妙な数字だが、全期間出荷の見通しはついたように思う。もう一つ良かったことはレタスをよく食べたこと。我が家ではシンプルなレタスサラダが多いが、自分で作っていることもあって、実に美味しい。栽培技術よりも新鮮さによるところが大なのだが、レタスをこれほど食べ続けたことは今までなかったこと。
 まだ、もぎたて市は終わっていないが、すでに来年に向かって、美味しいレタスを食べること、全期間出荷することを目標に気合い充分なのである。

 このようなことは、農家としてあたり前のこと。原発事故で放射能がどうしたとか、それに伴う風評被害などあってはならない。安全で、美味しくて、新鮮な野菜を生産する。それに向かって努力する。そんなあたり前のことが、あたり前として続いていく農家・農業でありたい。


2011年6月22日     昼寝の時間      

 15分くらいの昼寝が効果的なのだそうだ。先日、朝のNHKのテレビをみてなるほどと思っていたら、夕方、民放のラジオで番組アナが同じ話しをしていた。彼はきっと朝のテレビをみていたに違いない。
 さて、私は昼寝をしないと公言してきた。かつて水田だけをやっていた頃、両親はたっぷりと昼寝をむさぼっていた。私もそれに習って昼寝は当たり前。気がついたら4時だったということもあった。野菜作りを始めてから,だんだんその習慣がなくなり、今はほとんど昼寝はしない・・・と思っていた。
 ところが、昼休み、ソファーに座ったまま居眠りをしていることがよくあるらしい。自分でも眠っていたことに気づかないくらい短い時間。でも、どうもそれが良いらしい。15分以上眠ってしまうと、眠りが深くなって目覚めた時、身体も頭もすぐには働いてはくれないのだそうだ。
 「さあ、昼寝をしよう」と思ってするのではなく、気がついたら10分くらい寝ていたというのが理想。カミさんに確認したら、『あんたは毎日そうしているよ」。朝早くから、夕方暗くなりかける時まで動いていられるのも、知らずに見につけた昼寝の技術らしい。
 ついでに書き添えておくと、本睡の時もベットに入って1分もしないうちに寝付いてしまう。夢もほとんど見ない。完全熟睡タイプである。
 今日は夏至。これから昼が短くなり、夜が長くなる。寂しいような、うれしいような・・・。


2011年6月9日     数の実感      

 トマトの定植も終盤になってきた。毎年約8000本のトマトを10回ほどに分けて植える。1回に800本ほどだが、マルチに穴をあけ、苗を運び、植えてからポットの片付けまですると1日仕事になる。800だが侮れない。直売用のレタスは、1回に千本植える。トマトに比べて苗が小さいので、1時間もあれば終わってしまう。ブロッコリーの収穫ではピーク時に500から1000株を切る。野菜作りでは、こうした数の積み重ねが知らず知らずに身についてしまう。
 子供の頃、数を数えることに凝ったことがあった。例えば通学時、電柱から電柱まで何歩かかったとか、自転車のペダルを何回まわしたら学校に着くとか。究極は声に出して数をいくつまで数えられるか? 確か三千と少しくらいまでしかいかなかった。何度か挑戦したが、途中でいくつまで数えていたのかが分らなくなって挫折するのである。簡単なようだけれど、実際やってみると難しい。
 話を現在に戻すけれども、数を数として実感しておくことも、時には必要だと思う。
 このHPのアクセスが1万回を越えた。一つ一つの積み重ねの1万という数字は、とても大きな数字だと思う。ただただ皆さんに感謝を申し上げたい。ありがとうございます。


2011年5月24日     札幌で震災の話を聞く      

 その先生はある大学の農学部の教授。有機農業に詳しい。震災から40日後,福島県内の農家等を訪ね歩いて、感じたこと、考えたことを深い悲しみを持って語り始めた。
私はその先生の有機農業に対する真摯な態度が好きで、(本を一冊読んだだけだが)話を聞けるというだけで、ミーハー気分で札幌へ出かけた。会場はあるホテルの5階。4〜50人程の人が集まっていた。
 先生が撮った写真もスライドで映し出されたが、これまでマスコミが報道していたものと代わり映えはしない。しかし、語りかけてくる話の内容はずいぶん違っていた。そこには農業者、生産者から見た震災の姿があった。
 長年、有機農業のために耕してきた農地を捨てて、避難所でカップラーメンをすする男の話。「津波が来たら船で沖へ逃げろ」。昔からの言い伝えに従って沖へ出たら、10Mwo越える津波に遭い、それでも生還した海の男の話。GWに行なわれた大掛かりな捜索が終わるまで、田の代掻きを待った話。それには死者に泥水をかけたくないという農民の心情があった。震災はまだ終わっていないことを強調し、もっと自然に対する畏怖の念を持とうと結んだ。
 日本人は米を作り、魚を捕って食べてきた。この『日本型食生活』(和食)は国際的にも高く評価されているが、それを支えてきた農漁村に大きな被害があったことを、今一度、心に留めておこう。
 その日は久々の札幌の街だったが、本屋にちょっと寄ったくらいで、真っすぐ帰路についた。 


2011年5月7日     GWに映画を観る      

 毎年思うことだが、北海道の農業者にとってGWは別世界の出来事である。春風が吹いて雪の湿りがとれ、田畑の耕起と重なるからだ。長い冬から目覚めの春へ、それはそれなりに楽しくもある。トラクターに乗りながら、今年の作を想像する。水田を作っていた頃、私もそんな農業者の一人だった。
 ただ、今年の春は雨が近く、また量も多い。田畑に入れない日が続く。近所では4月末から5月初めは早出しバレイショの植え付け時期。早く行なわないと芽をふいている種イモがヤバイことになる。農家の心労が見えるようだ。
 さて、私はといえば雨のかからないハウス内での作業。晴天と曇天・雨とでは作業内容の違いはあるが、基本的に天気がどうあろうと休むことはない。作付けしているトマトにしても、レタスにしても、ブロッコリーにしても約10日毎に連続で種を播いていく。だから、その時の天気などで作業を遅らせることができないのだ。時には雨が降ってもトマトを植えることがある。
 今年もそんな日があって、激しい雨が降っているのに、午前中、大急ぎでトマトを植えた。『こんな日に仕事をしているのはウチだけだろうな」。ため息の一つも出ようというところだが、隣にいた副農園主曰く『植え終わったら遊びにいかない?」。
 午後、愛娘も一緒に映画を観に行く。食事をして帰ってきたら深夜に近かった。こんな日があってもいい。
 翌朝のハウス管理、30分だけ遅れた。

 


2011年4月30日     選挙戦が終わる      

 統一地方選の後半が終わった。わが町厚真町も定数11に対し12名が出馬5日間の選挙戦になった。
 選挙は選挙戦が始まれば、半分終わったとよく言われる。後援会活動があるからだ。立候補予定者には後援会が作られる。予定者の経歴や信条を載せた入会申し込み用紙付きのリーフレットを作成し、後援会の人が町内の各戸を回る。1回では終わらない。会報等を作り、それを持って2度3度と町内を回る。本人の人柄ももちろんだが、こうした後援会の動きが下馬評の要素になる。
 さて選挙戦。どんなに下馬評が高くても、選挙はやってみなければわからない。たった一人落ちるだけなのだけれど、選挙にかかわる誰もが、胸に不安を抱えてスタートする。農作業の忙しい時期だから5日間のうち初日、中日,最終日の3日間だけと現職同士で取り決めようとしたが、まとまらなかった。戦わなければ不安だし、もし落ちるようなことがあれば悔やんでも悔やみきれない。日が経つほど候補者のボルテージがあがる。
 さて、私も近くに住む候補者の選対の役員におされ,選挙車に乗り、うぐいすならぬカラスとしてマイクをにぎった。ついでに街頭演説にも立った。傍から見ればバリバリの運動員ということになる・・・。
 でも本音のところでは、選挙は4年に1度のオリンピックみたいなもの。オリンピックは参加することに意義があって・・・、まあお祭みたいなものかな。選挙活動では良しにつけ、悪しきにつけ人の性格が出る。非日常のイベントだからこそ普段では分らない、その人の人柄が出る。ある意味、田舎の硬直した人間関係が崩れて、活性化されるのである。
 結果のみをみれば、定数から一人落ちただけなのだけれど、町内では様々な動きがあり、チリやほこりを巻き上げての選挙が終わったのだ。これからの変化に期待しよう。
 


2011年4月19日     再び震災      

 私事だが、この4月、ある団体の役員を降りた。3期9年務めていた。当初から10年くらいと思っていたし、地域社会でそれなりの役割を担わなければいけないと思っていたから、私としては予定通りの円満退任でホッとした。
 心機一転、これからの人生、自分のやりたい事を再確認し、50代の年齢に相応しい心構えで仕事に取り組もうとしていた矢先。3,11。東日本大震災が起こった。
 すでに1ヶ月が過ぎ、東北の被災地では桜が咲き始めた。捜索から復興へと考える時が来た、と、政治家が言い始めたけれど、彼等の口から出る言葉はどこかウソ臭い。まだ行方不明者が1万人以上いるのに、その人の帰りを待つ人は、さらにその数倍もいるのに・・・。
 テレビで農家の人が映る。泥に埋まったビニールトンネルの支柱を拾い集めている。土地を失い、農業機械も失い、でも、どこかで農業をするために必要だから・・・。支柱の一本一本に明日への希望を託しているように見えた。復興というのは被災した人の心の中に生まれてきて、初めて復興なのであって、目立ちたがり屋の政治家が言っても空々しく聞こえる。そういう私には何の力もないけれど・・・。
 これからの人生を再確認しようとした時、『頑張ろう日本』『みんなの力で日本を立て直そう」というテレビCMが洪水のように流れてくる。
 私は一人の野菜農家として、今までと同じように野菜生産に努力するけれど、生きる上での気持ちが、今までと同じであってはならないと思っている。たぶん多くの人が、今まで通りの日常を送りながら、今までとは違う何かを感じ、考えながら生きているんだろうな。 



2011年4月2日     震災から3週間      

 テレビの画面から信じられない光景が映し出されてくる。海水が街を押し流していく。たくさんの命と共に・・・。
 言葉を失うとは、こういう時だろうか。私は本能的に暫くは何も書けないだろうと思った。何を書いても、すべてが無意味なように思えるのだ。
 3週間が過ぎた。4月初め。私はいつもの年と同じように、ハウスの管理と野菜の育苗に追われている。被災者のために何かできることはないのか?わずかではあるけど義援金を出した。でもそれ以上のことは何もできていない。
 私がやるべきことは、一人の生産者として粛々と生産活動に励むことだと思う。野菜の生産者として、食べ物の生産者として、有り余ると言われるほどの生産をしたい。
 本来は利益を上げるための生産活動だけれど、今はそれだけではないような気がする。被災者の方々はきちんとした食事は取れているだろうか? 野菜は食べているだろうか? もちろん私が生産した野菜が直接被災地に届くわけではない。しかし、潤沢に生産することが、回りまわって被災者にも潤沢に届くと信じたい。
 『野菜が足りない』とは言わせない。それが非常時における生産者の心意気というものであろう。



2011年2月23日     光の春      

 2月。気象予報士のお姉さんが、光の春という言葉を盛んに使う。寒さは厳しいけれど、1月に比べての陽射しの強さに春を感じさせる。
 私はこの頃、この光の春をまともに感じている。大雪の地方には申し訳ないが、私の所では、冷え込みは厳しいけれど、雪はこの1ヶ月ほとんど降らず、特に2月に入ってからのハウス内は日中換気をしていても20℃以上になる。年末に定植したレタスは日増しに大きくなり,早出し用トマトの苗は、鉢上げして電熱床で緑を主張している。
 毎朝、起きるとすぐハウスへ行く。今朝は外気温‐12℃、ハウス内0℃、電熱床内は15℃。気温差27℃。一つ間違いがあると大変なことになるのだがその危うさを楽しんでいる時もある。
 近所に私のような農家がいないこともあって、私一人がハウス内で春を満喫している爽快感がある。あるいは、これから続くであろう様々な農作業を考えて少々気が重くなったりもする。
 光の春とは言いながら、私にとっては今が本当の春なのかも知れない。
 



2011年2月10日     OB会      

 20数年前、私は北海道の青年団役員として、道内を飛び回っていた。特に教宣活動(機関紙作り)が好きで、いっぱしの記者になったつもりで取材し、記事を書いていた。
 数年前から、当時の仲間がOB会を開いているという案内をもらっていたが懐かしいと思いつつも一度も顔を出さずにいた。だが、今年は日程が空いていたのと、開催地の北空知のH町が有機栽培で名をはせていたことから、何か魅かれるものがあって、雪深い地と知りつつも出かけることにした。
 当日、心配していた雪にもあわず、早めに出たこともあって、会場のホテルに一番乗り。温泉をゆっくり楽しんだ。部屋に戻って暫くすると、廊下の方から懐かしい声が聞こえて来る。誰の声かすぐに分かったけれど、入ってきたのは見知らぬオッサン。いや、よく見ると人生の年輪を重ねた、見覚えのある昔の仲間達。
 賑やかな食事会。お互いの近況報告。お決まりのパターンの後、二次会はホテルの近くにある小さな飲み屋。貸し切りにしているという話だったが、常連さんがどんどん入って来るいい加減で明るい店。その中に有機栽培で有名なH町で、そのリーダーと目されるS氏がいた。お店の人の紹介で、S氏と農業について語り合うことができた。偶然とは面白い。
 ただ、お酒のせいもあって、翌朝目を覚ました時、話した内容をほとんど覚えていない。残念に思って家に帰ってから、頂いた名刺の住所に、正直にせっかくお話いただいたことをよく覚えていないので、もう一度何かの機会にご教授を願いますという手紙を書いた。
 懐かしさだけで集まるOB会も悪くはないが、こんな事も有りかなと思った。  


2011年1月31日     ムラ社会の役員      

 ムラ(田舎)社会には、OOの役員というポストがたくさんある。私の地区でも自治会長、農事組合長、総務会計、道路・スポーツ部長、共済部長の5役の他、森林組合、統計、班長、神社総代などなど、地区の半数以上が何らかの役員に付いていることになる。
 これとは別に、農作業関連で用水組合、排水組合、農用地改善団体の役員がいる。さらに各作物毎に生産組合が作られていて、例えば私は今、厚真町トマト部会の副部会長だったりする。
 役員といえば、議会議員、農協理事、農業委員は公職と呼ばれ、地区内では特別職扱いとなる。公職が出れば、地区内では選挙につきものの後援会が組織される。
 ただムラ社会の役員は、官庁や会社の役員と違って(公職は別として)いつでも役員の肩書きがついて回るということはなく、ほとんどが、その場その時に必要な役割を果たすための役員で、例えば神社総代はお祭りと年越し以外に用はなく、統計に至っては5年に1度の国勢調査に協力すれば良いのである。
 こんな石を投げれば役員に当るムラ社会において、私は近々、また別な組織を立ち上げようというのだから、ため息の一つも出ようというものだ。仮称は「新栽培技術研究会」。町内限定で農業の新しい技術や資材を会員が試みて、それらの情報交換をしようというもので、なるべく縛りのない、ゆるい集いになることを想定している。
 どんな組織に育っていくのか。これはこれで楽しみなのだから、 しょうがない。
                                                                                                





2011年1月20日     鉄路の旅      

 年初めに東京にいたことは前回書いた。1月2日に行き、6日に帰ってきたのだが、交通はJRを利用した。新装の新青森駅から東京まで新幹線に乗ってみたかったことと、帰りに寄りたい所があったからだが、正月に限れば飛行機よりも安価だったことも後押しした。
 さらに、正月時期のこの方面の列車の旅は初めてで、車窓からの眺望が何よりの楽しみなのだ。農村の風景は、農業者の目線で見ると、その地の農業のあり方や生活が想像できたり、また、農業の厳しい現実をかい間見ることもある。
 行きの函館付近は、年末の大雪で倒壊したハウスが見られ、青森の山間部では耕作放棄地と思われる水田に囲まれた荒地が点在する。あまり見たくない風景だ。岩手は雪に覆われ、宮城に入って雪は消えた。
 新幹線は飛ぶように速く、車窓の世界を次々に変えていく。また冬から晩秋へと、季節が逆流しているような錯覚をも感じさせる。
 関東に入ると、ビニールハウスが目立ってくる。中の作物はよく分からないが、地形などの土地条件や、都市までの距離などから、私の頭の中では作物や作型が勝手に想像され栽培されていく。埼玉に入ると、家ばかり続くようになり、日が沈んで薄暗くなってきたこともあって、農地は見えなくなった。
 最近のTPPや所得補償などの論議は、空の上から地を眺めるような言い方が目立つ。たまには、地を這う列車の窓からの風景もいかがなものですか、と言ってみたくなる。
                                                                                                



2011年1月12日     新年は箱根から      

 新春は東京にいた。なぜか箱根づいていた。1月3日、東京駅裏のときわ橋の上で待つこと1時間。箱根駅伝トップの早稲田大学が目の前に迫った。「早稲田!」「いけ!」「もう少しだ」。風に向かって叫んだ時には、もう後姿しか見えなかった。続いて後方からざわめきが伝わる。小旗が振られる。隣にいた東洋の学生が、校名の入った横断幕を掲げ、名前を連呼する。私も負けじと叫ぶ。「東洋!」「行け!」「追っかけろ!」。
 次の日の4日。レンタカーで露天風呂から富士を眺められるところを検索、ヒットした箱根のホテルに向かう。正月の帰省で発生する各地での渋滞を避けながら、時には巻き込まれながら、駅伝6区のコースとなった急坂を登る。「早稲田の6区ランナーが滑り転んだカーブはここだ」。そんな名所〔?〕を通り過ぎ目的のホテルへ。
 遅い昼食をとった後、天下の箱根の湯へ。さすがの名湯、一度浸かると幸せが身体中に広がって、もう何もいらない。「待て、富士山は?」。露天風呂から眺める富士は、山頂が雲に隠れ、下部の稜線しか見えない。残念。
 富士を諦めて、芦ノ湖の湖畔に降りる。帰り道を探しているうちに、偶然車を停めた所が、箱根駅伝往路のゴール地点。一昨日からの盛り上がりが、そのまま残っているようなモニュメントの横で記念写真。
 それにしても、何故こんな坂道を走るのだろうか? 駅伝が始まったのは学生らしい無謀な発想で「どうせ走るのなら、天下の剣の箱根まで」ということらしい。似たような話でアイアンマンレースも、発祥地のハワイでフルマラソンと水泳と自転車を合わせたらどんなレースになるだろうかという超人的な発想から始まったとか。
 そしてレースは続けられ、いつかその地は聖地にさえなってしまった。さあ、新しいことを始めよう。 
                                                                                                



2010年12月26日     締めくくりもTPP      

 TPP反対集会に3回参加したことは11月に書いた。農業関係者の間では、TPP反対が当たり前になろうとしている。TPPを『とっぴっぴ』と詠んで、その突飛さを笑うという話も聞いた。ただ、当たり前になり過ぎて、反対という言葉だけが一人歩きして、それ自体を議論することもなくなったような気がする。
 反対する理由は何?
 TPPは関税撤廃が原則だから、そうなると外国から安い農産物が大量に輸入され、国内農業が崩壊してしまう。今、制定されようとしている農家の戸別所得補償も、国の予算状況を考えると、充分な補償が受けられるとは限らない。だから反対? それにこの問題はお金だけの話なのか?
 ある本に載っていたことだが、外国人の日本人観として「日本人は困難にぶつかると、大変だと大騒ぎしたあげく、外からの解決法から目をそらし、内に閉じこもる』。大変なことになるから、予測できないことになるから反対ではなく、こうした日本人観を持つ外国人をも納得させる理由はないのか?
 例えば、今、世界的には食糧を増産しなければならない潮流の中で、これに対応できるのは、単位面積当りから、より多くの農産物を得る集約的農業である。日本を含むアジア型の集約農業が、大規模だが粗放的なアメリカ型の農業に入れ替わるべきではない、とか。
 1俵の米をいくらで作るのか(コスト)ではなく、10アール当り何俵とるかが大切にされるシステム、生産することに喜びが感じられるシステムの構築。でもこのことは、すでに日本で、あるいは世界の歴史の中で、延々と続けられてきたことではなかったっけ?!!
                                                                                                       



2010年12月11日    鹿フェンスの設置 (2)       

 鹿フェンスが完成して、1月程たった。3集落共同で、町の西側、約18キロ。延べ200人を投入した地域にとっての大事業。これで鹿の害もなくなるだろうと思ったが。
 しかし、その効果に早くも疑問符がつき始めた。すなわち、フェンスの内側、本来ない所に足跡があり、カミさんにいたっては2度も鹿とご対面をしてしまった。曰く「人間のやることをあざ笑っているようだった」。
 もともと農地と鹿の生息地を完全に遮断することは不可能〔道路や河川などを全て塞ぐことはできない)なのだから、ある程度の侵入は仕方がない。鹿に対し、人間からのメッツセージとして『我々の農地に侵入することを歓迎していない」ことを、物理的に具体的に伝えるためのフェンスなのだ。
 実は、このフェンスを設置するために、重機を入れ山林の一部を崩さなければならなかった。何年か後に再生されてくるとはいえ、山肌のむき出しの火山灰を見ていると、ちょっと悲しくなる。
 そういえば、フェンスを張るための調査で歩いた山中に、戦時中に掘った塹壕の跡があった。当時、米軍が浜厚真の海岸に上陸することを想定して掘られたものだ。悲しい歴史が埋もれるように眠っていた。
 フェンスが農作物を守る救世主なのか、悲しい遺産になるのか、来年の農業の結果に現われる。 
                           



2010年11月16日    TPP反対集会に参加する       

 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に対する反対集会に3回も参加する破目になった。もっとも、関税なしで農産物が輸入されたら、日本の農業、とりわけ北海道農業は壊滅的ダメージを受けることから、現時点では反対しないわけにはいかない。
 それに、私の農業者という立場とは別に、TPPへの参加が鎖国か開国かの二者択一のような論になっているのが気になる。江戸時代の歴史的な言葉を現代に持ち出して、どっちを選ぶかと言われたら、鎖国と答える人はいない。歴史的な言葉を使うことによって、問題の本質が隠されてしまう。
 菅総理は言う。いわゆる開国をしながら、食糧自給率を上げることが望ましい。農水省が参加すると自給率が14%にまで下がるという試算をしているのだから希望でしかない。政治家は己の希望を吐くのではなく、農家に希望を与えて欲しい。
 農家は今、戸別補償の導入という変革期を迎えている。『この制度さえ、形が見えないのに、黒船かよ」そんなため息が聞こえてくる。今後、事態がこのまま進んで、やがて誰も責任が取れない程度に混乱して終息.。その時、誰が笑い、私は何をしているのだろうか?
 集会には、確信を持って参加する人と、とりあえず行動してから考える人の2種類に分かれる。3回も参加すると、誰でも確信めいたものが見えてくる。  4回目はないのか?

                             



2010年10月24日    鹿フェンス設置  (1)       

  今年は全国的に熊や猪の出没が騒がれているが、北海道は以前から鹿の害が目立っていた.わが町でも例外ではなく、特に秋の収穫期、豆等の被害が目に余る。厚真の鹿は作付けが多い大豆をよく食べるので、良質な蛋白と脂肪によって肉が霜降りになっているという冗談めいた話さえある。
 私は幸いにして、鹿の好む作物を作っていないのでけれど(鹿はブロッコリーを食べない)畑を通るので踏みつけられたりはする。トマトハウスの横にも鹿の足跡を見かけるが、トマトを害されることはない。
 さて今、わが町では鹿の侵入を防ぐフェンスを張る事業が進められている。道、町からの助成もあり、私達の所は3集落共同で17.5キロを張ることになった。他にもフェンスを張る集落がいくつかあって、今、町内は鹿フェンスでてんやわんやの状態になっている。
 一つは、農家の金銭的な負担をどのようにするか。支払うのは地主か耕作者か。面積割で負担する場合、その面積の基準をどこから取るか。(耕作面積か地籍面積か)
 一つは、設置ルートをどこにするか。場所によっては裏山の木を伐採する所もあり、フェンスを張るより大きな作業になる場合もある。
 一つは、実際の設置作業をするのは農家自身。まだ農作業を残している人もいて、人のやりくりが大変。年配者も多く、経験が活きるのか、若さの馬力がいいのか、今月末から始まるフェンス張りという、初めての仕事を前に、皆焦りと期待で沸き立っているのである。



2010年10月5日    秋トマトの楽しみ      

  今夏、暑さのために作物の生育が早まり、その世話に追われて息つく暇もなかったことは前回書いた。季節は進み降霜も心配される今は、夏と違って収穫物は激減し、朝飯前に作業が終わってしまうほど。
 それで仕事は毎年恒例となったたい肥積みへと向かう。牛糞ときのこ残渣、もみ殻とブロッコリー残渣。これに微生物資材を混ぜて積み上げる。今年の予定は30トン。まずは材料の運び込みからだ。
 ため息は意外なところから出る。我が家のトマトは減ったけれど、他の産地も減ったらしい。品薄で価格は上昇し、ついに札幌市場では1箱1万円の値がついたとか。1個400円のトマトにため息。私のトマトが札幌に出荷されていないことに、もう一つため息。
 もちろん、そんな高値は一握りで、それ以外出荷量に見合うそこそこの価格になっているはず。それにしても、少ないとはいえ、今も出荷できることがうれしい。あの夏の猛暑に耐えて、今トマトが採れるのは、根がしっかりしているから。つまり、土作りということでたい肥作りへとつながっている。
 来年の秋、しっかりとした果実地をつけるために、明日もたい肥作りに励みましょうか。


2010年9月27日    農園主のため息       

  しばらく休んでいた。ただただ仕事が忙しかったというのが理由。体調が悪いとか、その他諸事情がどうのとかは全くなく、書けないことに歯がゆささえ感じていた。
 今年は冷夏予想で、6月まではそれが当りそうだったが、一転して暑くなりつい先日まで厳しい残暑。作物はこの時とばかりに生長し、その管理に追われる毎日だった。多くの野菜農家も似たようなものではなかっただろうか。同業者にお見舞い申し上げます。
 さて今回またタイトルを変えた。今まで農業と食をテーマに書き続けてきたが、もっと本音というか、もっと農業者の弱い部分も出していいかなという思いを抑えることができなくなって・・・。休んでいたことの言い訳からスタートすることにした。
 もう一つ、今年の農園を忙しくさせていたのが、農協が行なっている『もぎたて市」への参加だった。農協を通して農産物に生産者(自分)の名前を付けて販売するもので、今年から本格参戦。9月21日現在、未だに一日も休まず3ヶ月以上トマトを出し続けている。もっとも、この頃はパートナーであるかみさんの力に頼りっぱなしになってはいるが・・・。
 前回『農園主の点描」で試みようとしていた、写真に文をつけるという手法。写真を撮ることが意外に難しいことに気がついた。撮った写真を見るたびに欲しかったものとは違うと思うことばかり・・・。
 とりあえず、いくつかのため息をついたところで、次回に期待。