
本年の眞理實驗室では「地表踏査」というものを取り上げることにする。だが この言葉はあまりに土木用語であり、私の感覚からはずれている。そこのとこ ろを書く前に、地質家のことから書くことにする。地質家はChishitsukaでは なく、Chishitsuyaと読む。これは土木屋と書くのとは違うのだ。地質家はそ う呼ばれることに誇りをもっている。そして、地表踏査という呼び名を我々の 世代の地質家はフィールドワーク(通称フィールド)と呼んだ。地質学は自然 科学の分野であり、大学の地質学教室を卒業すると理学士となる。最近、理学 と工学を一つの学部とみなす傾向にあるが、経済至上主義のもたらした専門学 校的な意味あいが見え隠れして好ましく思えない。
地質学も炭鉱など工業的需要から学問として成立したものであるが、日本には 明治時代に導入された。ただ、その中身は総合科学としての意味あいがつよい。 物理、化学、力学、植物学、動物学、海洋学、医学などいろいろな分野のもの が取り込まれている。それは対象がかなり広範囲なものだからだ。地層のなり たちを考える場合を例にとれば、地層の堆積時の環境まで考えねばならない。 そうすると化石の問題もでてくるし、化石についてもそれが古環境を表してい るわけだから、植物学や動物学の知識をもっていないと、過去の環境など想像 できない。また、地層の中に含まれる鉱物によってはそれが風化を受けやすい ものである場合がある。それを知ろうとするには、現象では現在どの程度風化 しているかでも想像できるが、実証することで他人にも知らせることができる。 鉱物を調べる必要が生じるわけだが、鉱物を調べるには光学的な手法、X線を 利用する方法などもろもろの物理・化学的方法が利用される。もちろん形状や 産状も重要である。それらすべて地殻の中で起こりうることを総合的に扱うの が地質学である。岩石一つにしても地殻の歴史的産物である。常にそういう感 覚で接する必要がある。
地表踏査はその字の示す意味の言葉であろう。業務として発生する場合には、 設計者が現地を確認するのもこの用語を使うし、測量でもそうである。私の携 わるものは狭義には地表地質踏査ということになろうが、発注者もこのあたり を厳密に区別して発注していることは少ないようである。しかし、それは立場 上正当なことであると認識している。
私自身も生まれながらに地質をやっていたわけではない。それは、今はなき松 江市立朝日小学校の理科室のまえに置いてあった立派な水晶の標本の美しさを 見たことにはじまったのだ。決して母の実家が石屋さん(石材店)であったか らではない。
高校の際にも地学を受験科目とするひとは少なく、現在の社会ではあまり重要 視されることのない学問という印象だった。
島根大学に入学した当初は、化石(古生物)に興味をもち、それを志したが、 いろいろな事情からいつの間にか岩石を中心にやっていた。そして、卒論は鉱 物の分野となった。つまり、流れさすらったおかげでいろいろな分野を知るこ とができたわけだ。でもやり残した分野もある。
フィールドをこなすためには専門知識は必須である。誰でも地質家にはなれな い。ちょっと聞いただけで理解できるものでもない。
学生の頃、就職したての頃には専門書を買い漁った。やりのこしたことなどを 埋め合わせするような感じであった。構造地質学関係は特にいろいろ読み漁っ た。とにかくなんでも読んで自分の知識にしたかった。10万円もするシリーズ ものの本も購入した。実家の自分の部屋には大きな本棚があるくらいだ。
その専門書のなかで最も好きなのが、湊正雄というこの分野では有名な先生の 書かれた書物である。ただ、湊先生はすでに亡くなっていらっしゃるが。
その先生の書籍の中でも、「氷河時代の世界」とか「地層学」は特に好きであ る。地層学は文字通り地層についての専門書であるが、環境論なども詳しく述 べられており、ヤマトシジミの成育条件なども書かれている。これは、地質学 を志すものが如何に博学である必要があるかを示すものと思っている。私も読 みは同じ薄学であるが。
ヨーロッパにはゲーテを始めとする有名な科学者が多いが、彼らは若いうちに グランドツァーという旅を行なったのだ。それは、話だけでなく、実際のもの に触れる旅であり、それによって本当の意味の科学者になれるのである。日本 人はどうであろうか?学校で詰め込んだものは役に立っているだろうか?私の 薄学が雑学に姿を変えていく。
フィールドでの作業には環境的なものも考えなくてはならない場合がある。そ れは自然環境だけではなく、社会環境も含めてのことである。例えば、映画 「おもひでぽろぽろ」を御覧になった方は記憶にあるだろうが、農村の地形は すべて人間が作り上げたものである。生活に生かすため人間は耕地をつくり、 小川をつくり、山林をつくり生活の基盤をつくってきた。例えばドングリのな る「コナラ」などは、炭焼きには欠かせないし、椎茸の栽培にも使える。もち ろんそのまま薪になる。これの都合のよい点は、切り倒しても切株から再生す るくらいの力を持っている。もちろんドングリを撒いてもすぐに生えてくる。 つまり、天然の枯渇しにくい資源なのだ。樫の木もそうだ、これは堅いので道 具の材料に向いているが、再生力が強いからいつまでもなくならない資源とし て使えるのだ。家の垣根にしてもよい。
地質家は、町中でする仕事ではなく、むしろ山に分け入ってする仕事である。 したがって、山の中にあるものはどうしても自然に目に入ってくる。植物にも 興味をもった。学生の頃、古植物学で学んだものはあったが、現在の図鑑に載っ ている植物は現在の環境を知る上では極めて重要である。湿地を好むものとか、 雑木林のものとか、いろいろな環境の指標となるものがある。名前までは詳し くはなれなかったが、ある程度環境を見究める材料になっている。
お笑い頭の体操という番組がかなり昔にあった。クイズダービーの前にやって いた番組である。これが直接関係のあるわけではないが、頭の体操が必要であ る。くだらないことでもよい、いつも考える癖をつけるとよい。フィールドワー クでは、歩いている間に地質構造を組み立て、それを検証しながら仕事を進め ていく必要がある。同じ場所を二回、三回と見に行ってはいけないとはいわな いが、それは明らかに人生の無駄である。80年生きられるとして、それは 29200日ほどである。となるとそれが一日一日失われるとしたら、無駄は極力 省く必要があろう。
フィールドでは常に組み立てながら作業を進めるのだ。ただ、適当な地形図が ある場合はよいが、ない場合は磁石(クリノコンパス)で方向を定めて、歩測 しながら歩くことになるので、頭と身体がフル回転となる。知力体力時の運な んて言葉があったが、知力と体力と気力が必要な場合もある。
コレクターといえばコンピュータプログラムのバグを修正する、、、ち、違う
これはテレビアニメの世界の話である。地質家さんの机の周りをみるとわかる
がどこも石ころでいっぱいである。いわゆる石コレクターになってしまってい
る。つまり石が好きであること、それも重要な要素である。私以外にも机の上
が石だらけになってる課員が数名いるのはこれはよいことなのだ。もちろんた
だのコレクターであるI氏もいるわけだが、、、I氏とは悪天候を呼ぶ彼である。
社員の方はもうおわかりであろう。
さあ、フィールドワークに必要なものはなにか?一般的にいわれている最低限 のものは、調査用の鞄、ハンマー、クリノメーター(コンパス)、ルーペ、タ ガネ、サンプル袋、図面、雨具、安全に作業のできる靴、手袋、帽子または安 全帽(ヘルメットともいう)、カメラ、フィールドノート(Not Lebel Book!) などである。ポールを持ち歩く場合もあるが、地質家は通常ハンマーをスケー ルとして使うのだ。おお、弁当を忘れてはいけない。私が一番よく忘れるのは 鉛筆なんだよなぁこれが、、、フィールドに行くたびに一本ずつ増えていく。
クリノメータやハンマーは通常ベルトに下げるようにする。図面は、簡単な画 板を用意する。長袖の上着を着用すること。鎌なども必要な場合もあるがまあ 何とかなるものである。
現地ではルートマップをつくりながら進んでいく。土木の分野で詳細な地質構 造まで必要ないといわれたことも多々あるが、私は決してそう思ってはいない。 お金をかけたボーリングがあるからそれでわかるじゃないかともいわれたこと があるが、それも間違いでないにせよ、正しいわけではない。地すべりの素因 である環境的な要素は現地を詳しく見ることでほぼわかってしまうのだ。むし ろボーリングは地表で確認してわかったものの確認とか、どうしてもわからな い点、押えねばならない部分で効率よく行なうべきである。調査成果の善し悪 しを決定づけるのはフィールドワークなのである。
フィールドワークの成果はルートマップである。ルートマップは地図上に自分 の歩いたルートとそれに沿って確認した事象を記録したものであり、すべての 地質調査のベースになるものである。私はこれに極力多くの情報を書き込むよ うにし、それを頭の中で整理し、組み立てながら観察を続ける。こうすること で、地層の対比を容易にし、フィールドを離れるころには地質がすべて把握で きていることになる。
これができない地質家は地質屋なのだ。まして、現地で組み立てもせずにつくっ たデータは室内にもち帰っても不明な点ばかりである。そうなってしまっては 想像するか、わかるまでフィールドに通わねばならない。
どうしてもわからない場合もある。それは地表で見える情報のあまりに少ない 場合かあまりに複雑な場合である。このような場合は、ボーリングなどの調査 を効率よく利用することとなる。このことからもわかるように、フィールドワー クはボーリングなどに先だって行なう必要がある。
これまで述べてきたように、フィールドワークの結果がルートマップであり、 それが示せないようではいい加減な調査を行なったのではと疑われても仕方な い。
フィールドは必ずしも安全な場所ではない。毒蛇もいれば蜂もいる。また、足
元も見えないくらいに生い茂ったシダの谷間には急な段差などの危険が潜んで
いる。また、蚊やダニなど小さいけれど立派な吸血鬼は私を悩ませる存在であ
る。いくらバンパイアキラーのBuffyちゃんでも蚊は駄目であろう。さっさと
仕事を進めて明るい尾根に退散するしかない。
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昼間なのに突然空がかき曇り、一陣の風がざざーっと竹林を過ぎると、まるで 生き物が竹をゆらすかのように不気味な世界となる。いくら慣れた山であって もこれはあまり気持ちのよいものではない。
水木しげるの鬼太郎にみられるような妖怪は本来自然そのものである。人間の 想像を越えた存在である。時に止めどない恐怖を感じることもある。恐いといっ ても蒜山のミステリーハウスの中で合うはずのないはずの人にでくわすような ものとは性質が異なるのだ。
ただ、私が一番恐いのはジェットコースターである。だから、絶対に乗らない と心に誓っているのだ。関係ないが。
直勘というのは大切なものである。もちろん、何もないところからでてくるあ てずっぽうでは駄目である。直勘とは自分の知ってること、理解力を総動員し て得られる答でなければならない。
よく仕事で私が「はったり」だという場合がある。しかし、はったりも直勘の 一種であり、これは重要である。
フィールドワークでもこれは応用できる。地形から得られる情報、見た範囲の 地質情報から次どこを見るか、、、それを決めるのはこの直勘にほかならない。
会社では最近情報の検索にインターネットが利用できる。以前はこういうこと はなかったので、便利になったものだと思うが、情報が多ければ多いほど、自 分で判断する能力が減退するはずである。考える必要がないからだ。誰かに聞 くのも時間のないときには便利な方法であるが、まず自分で探すこと、自分で 考えることを忘れてはならない。
工学的に要求されることと、地質家のまとめるものは本来目的あってのことな ので結論は同じであっても、着眼点やアプローチは異ならなければならない。 この業界に入ってから、工学屋さんに転職する地質家もいるが、企業はそうい う人間を必要とはしていないはずである。地質はかなり専門的な学問であり、 その知識が必要であるから採用したのだ。
学問のことを我苦悶と言った人がいる。確かにそうとも言える。それから派生 させて、我苦説という言葉を定義すれば、自分が一所懸命フィールドで得て組 み立てた自分の説は曲げたくない。仕事の都合でそれを曲げるよう懇願される 場合もあるが、それには一切応じてはならないと思っている。それは自分自身 を否定することになるからだ。
ただ間違っていたなら素直に認めることも必要である。もちろんそれは全く別 の話であるが。
フィールドの結果は日々整理しておいて、最後にそれをもとにフィールドの地 質図や断面図を作成する。それは、自分の調べた結果を一般化することである。 そのためには、そのバックデータであるルートマップが重要なのだ。
以上、「地表踏査」に関連してとりとめのない文章をまとめてみた。私自身、 「地表踏査」という言葉に最初は抵抗があった。純粋に土木のための調査では ないと我を張っていたからだ。でも、最近は考えが変わってきている。
少なくとも、土木で必要な「地表踏査」は地質学として行なう「フィールドワー ク」そのものである。以前「学問をやっているんじゃない。設計のための調査 だ!」と言われたことがある。でも、その設計に反映させる情報をより正確に、 間違いなく集めるためにはフィールドワークそのものが必要なのだ。それをベー スに土木の情報を付加していくのは容易いことだと気づいたのだ。
眞理實驗室というのは私が日々いろいろ工夫しながらやっている活動のことで ある。眞理實驗室では、プログラムの開発や、どうしようもない實驗なども行 ない、くだらない中から何かを発見しようと努力している。
最近のそのくだらないものを紹介してみたいと思う。
以前からかなりマニアックなもののみ紹介しているが、最近のマニアックなも のは、html文書の効率良い生成プログラムとメールクライアントソフトである。 紹介するのはいずれもオープンソースで提供されているものである。
もともと今年はこのあたりをまとめてこの研修会に提出しようと思っていたが、 材料不足であったため、結果として「地表踏査」についての報告となってしまっ た。
このソフトはLATEXのソースファイルからhtmlを生成してくれる。ワードの html保存のようなものと捉える人もあるだろうが、ワードのように不要な盛り 沢山のタグを埋め込んだりしない非常にすっきりしたものである。日本語版で はないのだが、日本語にもちゃんと対応してくれる。会社ホームページの一部 で使用している。
以前この研修会でも紹介したsgmlの処理系であるが、sgml文書をhtmlやlatex、 プレインテキストなどに変換できるので、一つの文書でいろいろ汎用性を持た せることができる。会社ホームページの一部に使用している。
Muttとは野良犬のことである。この名前をもつ電子メールソフトは非常にマニ アックである。マウスなど使えない。すべての操作をキーボードで行なうのだ。 そんな扱いにくいソフトは電子メールソフトではないといわれそうだが、皆さ んは電子メールに要求されている規格を知っているか?例えばそれは以下に示 すRFC2822としてきちんと定義されているのだ。
以下はRFC2822という規格の改定版の一部である。(勝手に引用)
AbstractThis standard specifies a syntax for text messages that are sent between computer users, within the framework of ëlectronic mail" messages. This standard supersedes the one specified in Request For Comments (RFC) 822, "Standard for the Format of ARPA Internet Text Messages", updating it to reflect current practice and incorporating incremental changes that were specified in other RFCs.
またこのRFC2822の目次は次のようになっている。
Table of Contents
1. Introduction
1.1. Scope
1.2. Notational conventions
1.2.1. Requirements notation
1.2.2. Syntactic notation
1.3. Structure of this document
2. Lexical Analysis of Messages
2.1. General Description
2.1.1. Line Length Limits
2.2. Header Fields
2.2.1. Unstructured Header Field Bodies
2.2.2. Structured Header Field Bodies
2.2.3. Long Header Fields
2.3. Body
3. Syntax
3.1. Introduction
3.2. Lexical Tokens
これらからわかるように電子メールの規格は細かく規定されているのだ。詳し く知りたい方はインターネットでRFC2822をキーワードに検索すればすぐに確 認することができる(ただし英文である)。しかし某社のLookOutExplusなん て感じの名前の電子メールソフトやBostBetなんていうようなペットが電子メー ルを運んでくるようなソフトはいろいろな面でこの規格に沿っていない。
Muttは野良犬だが、その血統はこのRFC2822に準拠している。シンプルかつパ ワフルである。眞理實驗室ではこういうくだらない拘りを持って日々頑張って いるのだ。今後、電子入札のようなシステムを利用するにも、日本人はこういっ た拘りがないからOSに標準についてくるソフトが最良と誤解してしまっている。 だからそういう電子メールを通してウイルスが蔓延1するようになるのだ。これからは国際的には電子指 紋など電子認証システムが必要とされるが、日本はその導入が極めて遅れてい るらしい。大切な取り引きをする電子メールなのにこんなことでよいのだろう か?と感じる今日この頃であった。
眞理實驗室室長兼研究員である私はいろいろと多忙なため、眞理實驗はよりく だらないものしか出来そうにない。あるいは、先に述べたl2hのようにデータ の再利用を可能にするシステムを沢山導入して、そういう効率化を図り、もう 少しましな實驗をすることもできよう。この長文をここまで読み切ることがで きた人は失礼ながら、よほどの暇人か、読むのが好きな方であろう。眞理實驗 室がなぜこのような旧字体の文字の看板を使っているのかを最後に書いて今年 の研究報告を終ろうと思う。
眞理實驗室のベースとする資料は最新の情報もあればもっと古い戦前の資料も 多い。いろいろな書籍を読むうちに、戦前の書物の方がより現実的であり、虚 構が少ないことが見えてきた。現在は情報が氾濫し、誰でもが本を書き出版し ている。だから、偏った考えも多かったり、またどれも結局は同じであったり するし、明らかにお金儲けのためのものが多々ある。そういう破廉恥さのある ものが多い。よって眞理實驗室はその礎を戦前の書籍に置いている。そのころ の書籍の文字は今となっては読みづらい旧字体なのである。
1ウイルスとRFC
はあまり関係がない。しかし便利な機能を追求し過ぎた結果がウイルスの活動
を助けてしまっている。