フルートを独習されている方のページ


 此のページは、種々様々な事情により、残念ながらフルートを独習せざるを得ない方達、または、フルートを始めたいが不安が有るので、と言う方達のページです。 しかし、もし事情が好転された場合、または、決心がつかれた時には、此のページを読まれるより、出来るだけ速やかに然るべき先生に就かれて、適切なアドバイスを受けられる事が最善である事は言うまでもありません。 早くそうなられる事を祈りつつ、此のページを書き溜めてゆきたいと考えています。

 また、此のページにて我師H.P.シュミッツ先生の思いの一端でもお伝え出来ましたら、これ以上の幸福はありません。 可能な限り先生の教えに沿ったページにして行きたいと思っています。



Pr.Dr.Hans-Peter Shumitz(1916〜1995)

 現、ポーランドのブレスラウに生まれ、フルートをベルリン音楽大学にて学ぶ。 その後、ハレ大学、ザール大学に於いて音楽学、哲学、芸術史を学び、哲学の博士号を取得。 そして、フルトヴェングラー全盛期のベルリン・フィルに於いて、第2次大戦中、及び戦後の計7年間、ソロ・フルーティストとして活躍。 1953年からデトモルト北西ドイツ音楽院にて後進の育成に努め、1971年、ベルリン音楽大学教授。 後、ベルリン音楽大学名誉教授、フライブルク音楽大学客員教授を務める。

 ある時期から、演奏活動を全くなさらなくなった事に就いては、諸説紛々としています。 ある人は、視力が極端に落ちたからだと言います。 又ある人は、最愛の奥様を亡くされたからだと言います。 その真相は誰も知りません。 先生の演奏の多くは、旧東ドイツの放送局に保管されているという話も聞きました。 その情報も真偽の程は解りません。(確かに東ベルリンのラジオ放送で、先生の演奏を1度だけ聴きました。) でも、その様な事はどうでも良いではありませんか。 だからこそ、”幻のフルーティスト”と称されているのですから。 彼が、それまでの総ての”フルーティスト”が到達し得なかった場所、そして、此れからの”フルーティスト”も、到底到達し得ない場所に立った事は、紛れも無い事実なのですから。 個人的に思う事は、私の人生に於いて名誉な事は、幸せにも彼の生徒であった。 彼にとっては、多分、良い生徒ではなかった私が、彼に少しでも恩返しが出来る事があるとすれば、この様に便利になったデジタルの世界を使い、彼の凄まじいばかりの情熱を、ホンの少しであったとしても我が愛する日本人に伝える事なのかなと思っています。


T 演奏の立場に就いて


1. 全般的な考え方

@ 基本的な考え方

 フルートに限らず音楽を演奏する際、自身がどの様な立場に立つかという事は、意識するしないに拘わらず、最も重要な事と考えています。 何故なら、正しい演奏など有る筈が無いと考えた時、拠って立つ場所が絶対的に正しいと確信しなければ、人の前で演奏する事など出来様筈が無いからです。 古代ギリシャ時代(音楽上の資料が残っている最古の時代。紀元前7世紀頃?〜紀元前4世紀頃?)から、その考え方には現代にも通じる二つの立場が在ったようです。 一方は、均整美とでも言える様な美しさを追求した、アポロン神的(均整、明瞭、明晰、純粋等。 因みに、好んだ楽器はOrpheus―オルフェースが持ち込んだ現代のリラやギターの前身であるcithara―キタラ。)な立場。 他方、人間の感情の動きを重視したディオニソス神的(恍惚、情熱、狂乱、官能、激情等。 因みに、好んだ楽器は我等が笛族のAulos―アウロス。)な立場です。 勿論、理想的には此の二つの立場が融合したバランスの良い演奏が良いのだろうとは考えられますが、持って生まれた気質と、その後の人生によって、どちらかに偏らざるを得ないのも、又、止むを得ないのではないでしょうか。 もし、そうならばフルートを始める際には自分自身の傾向を冷静に問い質してみる事が大事なのかも知れません。 何故なら、その事によって例えば目指すべき音楽、目指すべき音色、目指すべき技術の習得の方策、そして、自身が最も頼りとすべき楽器の選定、等々その全てに関ってくると考えられるからです。

A 楽器の選定

 もし、あなたがアポロン神的な感覚、或いは考え方が勝っているとするならば、大きな問題は生じないかもしれません。 何故なら、現代の多くのフルーティストがその様な感覚、考え方をお持ちだろうと思われるからです。 従って、楽器製作に携わっている方達も、必然的にそう成らざるを得ないからです。 そうではなくて、もしディオニソス神的な感覚、考え方が勝っているとなると、問題はそう簡単では無いかも知れません。 一つ助言させて頂けるとすれば、新品、中古を問わず、時間を掛けて御自身の感覚、考え方を信じて、ただひたすら、執拗に探し求める事なのかな、と思います。 そして、もし幸福にしてその様な銘器を手にする事が出来たのなら、決して手放してはなりません。 二度と再び巡り逢う事は無いでしょうから。

B楽器の選定の目安

 楽器の選定の目安として、次のような事が考えられるかも知れません。 もし、音色の理想を言葉で言い表した時、”暗く””重く””深く”と言う様な感覚で捉えているとするならば、楽器の材質は、出来れば銀管が良いのかもしれません。 テオバルト・ベーム氏はその著作の中で、種々試した結果、半木管、即ち木製の頭部管と銀製の胴部管(木製の頭部管です。誤解の無い様に。)が理想的であると書いています。 しかしながら、現代に於いてその様な楽器を手にする事は不可能と言っても言い過ぎでは無いでしょう。 ならば、次善の方策として銀管が最良なのかなと考えています。 私自身は、残念ながら半木管、全木管、金管、白金管等を、ある程度の時間試したことが無いので、何とも言えませんが、経済的に許されるとしても、少なくとも金管、白金管を選ぶ事は決してありません。


Theobald Boehm(1794〜1881)

 ベーム氏は、システムに就いても詳細な説明をされています。 つまり、現在殆どのフルーティストが使っている”クローズ・システム”なのか、或いは余り使われていない”オープン・システム”なのかと言う問題です。 彼は、決して”クローズ・システム”を選んではならないと主張しています。 事実、彼は僅か数本の”クローズ”しか作っていない事が知られています。 しかし、考えてもみて下さい。 理屈は、正に”オープン”が絶対的に正しい事は、その構造をつぶさに見れば明らかです。 それであっても、少し考えれば解る事ですが、”オープン”の運指の難しさは尋常ではありません。 多少、彼の理想を妨げる事になるのかも知れませんが、”クローズ”で、E−メカニズム付きならば、少なくともE3の音色の変化は防ぐ事が出来ますし、(発音し易いかどうかと言う問題ではありません。)E4の発音も可能です。(Fis3に就いては、後述の運指で可也音色の変化を防ぐ事が出来ます。) 従って、もしあなたが選んだ楽器が”クローズ”で、E−メカが付いていなくて、”オプション”で付けられるとしたら、多少の出費はあったとしても、そうされる事を強くお勧めします。 しかし、それでも尚且つ、音色の為なら、如何なる努力も惜しまないという方で、特に左利きの方が”オープン”を選ぶ事に反対する理由は何もありません。

 近年、”リング・キー”で、”ストレート・タイプ”で、(Gキーが他のキーと一列に並んでいるタイプ。)H管付の所謂”フレンチ・スタイル”が流行している様ですが、もし、あなたが将来”現代音楽”を、主に演奏する事を望んでいるとするならば、それも良いかと思います。 しかし、”リング”で出来る事は”カバー”でも種々様々な工夫により、かなりの程度可能だという事も知っておく必要が有るのではないでしょうか。 ”リング・キー”は、全ての音に於いて”リング・キー”ではありません。 そして、一番の問題は塞いだ心算の穴に少しでも隙間が有れば、発音出来なくなります。(クラリネットよりはましか!?) その為、指先を”リング”の穴に完全に合わせる必要から、指を遊ばせる事が出来なくなります。(当然、体全体の遊びも出来ません。) その結果、多くは指から始まり手首、肘、肩と緊張せざるを得なくなり、最終的にその緊張は喉に達し、息を吸う時の音に繋がり、更には喉による”ビブラート”に繋がる結果になる事が非常に多い様です。 喉による”ビブラート”は、私自身も細心の注意をしているのですが、中々直るものではありません。 それが、美しいかどうかは判断が分かれるところでしょうが、早過ぎる”ビブラート”をお聴き頂ければ、それが答えになっていると考えています。 それは、音程の揺れではなく、音の断続を意味します。(山羊の鳴き声を想像してみて下さい。) 此の事は、”ビブラート”が音の装飾の範疇に属すると考えた時、早過ぎる”トリル”と同様に、可能な限り注意深く、絶対に避けるべきなのです。 H管に就いては、”現代曲”に於いて極く当然の様に使用されています。 従って、将来”現代曲”の演奏のみを志向しているとするならば、H管付きが良いでしょう。 しかし、そうでは無い方々にとっては全く無意味です。

 次に、出来れば付いていると運指が大変楽になる”キー”に就いて書いてみます。 ドイツ系の楽器には、”G−Aトリル・キー”(名称に就いては定かではありません。)が付いている場合が多い様です。 此の”キー”はG3−A3のトリル(Dトリルとの組み合わせ。)のみならず、H1−Cis2/C2−Des2/H2−Cis3/C3−Des3/C3−D3(Dトリルとの組み合わせ。)/Cis3−D3(Dトリルとの組み合わせ。)/Cis3−Dis3(DトリルとDisトリルとの組み合わせ。)/G3−As3/A3−B3(DトリルとDisトリルとの組み合わせ。)/C4−Des4/等のトリルに使えます。 但し、音色、音程共に劣る場合もあるので、使用に当たっては適当な場所であるかどうか熟慮する必要がある事は言う迄もありません。 又、Cis・Fuss(名称に就いては定かではありません。全く稀です。)が付いていればCis1が関係する動きが、楽器を必要以上に動かさずに可能になります。 そして、C1−Des1(例えば、Isang Yun氏の ”SORI” fuer Floete solo 1988、に見られます。)/Cis1−Dis1のトリルが可能になります。(指の長い方であれば、右手の親指を使う事によって、此れ等のトリルは可能です。) 此の”キー”は、後付けも可能かと考えられますので、然るべき方に御相談されるのが良いのかなと、考えています。

 所謂、”タンポ”(最近では”パッド”と呼ばれる事が多いようです。)に就いても書かなければならないと考えています。 あなたの指先を確認してみて下さい。 硬い”骨”に突き当たる前に肉があり、皮があります。 つまり、ある種の”緩衝材”を経て、例えば”縦笛”(因みに、バロック期で単に”フルート”と呼ばれた場合は、”縦笛”を指します。 我々の”フルート”は”Querfloete”、つまり”横フルート”と呼ばれていました。)の指穴を塞ぐ事になります。 此の事から”キー”は、人間の指先の替りを務めていると考えた時、”タンポ”の硬さは、硬すぎても柔らかすぎてもならないと言う事は、誰が考えても明らかな事と信じています。 硬すぎる”タンポ”は、押さえた時に相当慎重であったとしても、煙突(管体に溶接で付けられている音孔。)に突きあたる音(パタパタ?!)を避ける事は、非常に困難な事と考えられます。 フルートを触った事も無く、余り聴いた事も無いと言う様な一般の人が聴かれた時、息を吸う時の”音”や、早過ぎる”ビブラート”、早過ぎる”トリル”(考えてみて下さい。”キー”が音孔を塞いでいる時間はホンの一瞬です。それに対して、音孔から離れている時間は、その数倍になります。速くなればなる程その比率は高くなります。難しい運指の”トリル”程、美しく聴こえる理由が其処にあるのです。)と同様に、此の事は大変耳障りに聴こえる事と考えられます。(反対に、聴き慣れている人、或いはそれを職業にしている人達にとっては、此等の事は、余り気にならない様です。つまり、御自分の判断に迷われたら、未だ”フルート”を知らない時代の、御自分の感覚に戻る事が、多分、最善の方法かと考えられます。) そして、此の事は”スラー”が音と音とを滑らかに繋ぐという意味を持っているとしたならば、(バロック期では、硬いスラー、柔らかいスラーと言う感覚が有ったという事も付け加えておきますが。)又は”グリッサンド”、若しくは”ポルタメント”の速い現象が”スラー”だと考えるとしたならば、硬すぎる”タンポ”では、決して”スラー”には成り得ないという事を意味しています。 反対に、柔らかすぎる”タンポ”では、現代曲に於いて盛んに使われている”打楽器”的な効果を生むことは極めて難しいと考えられます。 しかしながら、今の時代その様な”タンポ”は殆ど存在しないと言っても良いかと考えられます。

 最後に、物理的な”音響学”が絡んでくるのであまり気が進まないのですが、頭部管に就いても書かなければならないでしょう。 ベーム氏は、イギリスに於いて、”ニコルソン”と言う方の演奏をお聴きになり、彼以上の演奏をするには楽器の改良以外に方法は無いと考えられたそうです。 ベーム氏は、当時”フルーティスト”として盤石の地位を占めていたにも拘らず、”ミューニッヒ”大学に入学し、”音響学”を勉強されたそうです。 彼の”フルーティスト”としての経験と、学問の裏付けによる詳細な数値によって”ベーム・システム”のフルートが誕生しました。 彼は、本来のフルートの内径を20mmと考えていた様ですが、3オクターブがごく当たり前に使われている時代の要請から、3オクターブのバランスの為に19mmに決定したそうです。 そして、”頭部管”はその19mmからコルク栓の位置迄、134mmの間に17.1mm迄”放物線”状に絞る事に決定したそうです。 此の事から我々が注目すべきは、その数値ではなく、”放物線”状に絞るという事です。(つまり、元々は管体全体が放物線状であったのだろうという事です。) 次に、“唄口”の形状ですが、ベーム氏は、角のカーブが自然に丸くなった様な、やや”長方形”の様な形が一番良いと書いています。 数値は、角度7度、内壁の高さ4.2mm、歌口の幅10mm、その長さ12mmだそうです。 内壁には、現在話題に上ったり、問題になる事の多い所謂”アンダー・カット”はされておらず、殆ど平行になっています。(当然、最近喧伝されている”ショルダー・カット”なるものも、なされていない事は、更に言う迄も無いでしょう。) 以下は私見ですが、”唄口”の形状は、長方形と言うよりは歪んだ”台形”、つまり唇側がやや広く、対して息の通過する側がやや狭く、従ってやや切れ込みが有り、”コルク栓”側がやや狭く、従ってやや切れ込みが有り、対して”胴部管”側はやや広く、従って緩やかなカーブを描いていれば、最も自然なのかなと感じています。 ”アンダー・カット”に就いては、何も理解できていません。



ベーム氏 1850年制作 半木管Nr.19

※ ”ベーム・システム”の完成により得たものは、途方もなく大きいと言えるでしょう。 しかし、一方で失ったものも決して小さくは無かったという事も、考えておかなければならない重要な事と考えています。(だからこそ彼は、半木管を推奨しているのです。) 実際の演奏に際しては、常にその事に注意を払わなければならないと思っています。

※ 追記
 ”クァンツ”(後述します。)時代の音域は、D1〜A3迄です。 つまり、D管です。 その事を忘れてはならないと考えています。 何故なら、例えば明らかに”メロディー”の動きがC1迄を目指しているのに、上手にオクターブ上げられている例が少なくないからです。 当然、その場合譜面に逆らってC1迄を選択する事も可能です。

追加譜1.



 上記は、縦笛(Blockfloete=F管)の為の”ソナタ”ですが、全く自然に方向転換しています。 重複しますが、”バロック期”では、ただ単に”フルートの為に”と記されている場合には縦笛を指している場合が多い様です。

追加譜2.



2.演奏の立場に就いて

@基本的な考え方

 感動とは、感情、又は感覚が動く事なのではないでしょうか。 もしそうならば、聴いている人達が少しでも感動を覚えるような演奏とは、言うまでもなく演奏者自身が、自己の演奏に対して可能な限り感動的でなければなりません。 また、演奏者はその場の自己の演奏に於いて、何を表現したいのかを確立していなければならない事は、更に言うまでも無いでしょう。 そして、如何にして感覚を飽きさせず、簡単に言うならば、如何にして感覚を騙すか、その事に常に注意を払わなければなりません。 いつも感覚が予測出来る事を演奏していては、感覚は最早注意を払わなくなり、やがては無関心になるでしょう。 つまりは予測されるであろう事と、そうでは無い事を、注意深く配していかなければならないのではないでしょうか。 例えば、”美しい音”は、それのみでは常に美しいと認識されるものではありません。 ”美しい音”とは、そうではない音が適度に混ぜ合わされる事によってのみ、美しいと感覚されます。 つまり、絶対的に”美しい音”などは、絶対的に正しい演奏が存在しないのと同様に存在しないのです。 その事が、まさにバロック期に於ける”定型の装飾”(記号で表せる装飾、即ち、前打音、トリル等。 それに対して、記号で表せない装飾、即ち、現代で言うところの”即興演奏”を”任意の装飾”と呼んでいます。 バロック期では、J.S.Bach以外の殆どの作曲家の作品は、元々”任意の装飾”を要求していると考えられます。 緩徐楽章に於ける、余りにも単純な”メロディー”の動きが、それを証明しています。 因みに、J.S.Bachはその名人であった事が知られています。)の考え方の基になっていると言っても、過言ではないと考えています。

※バロック音楽(Barockmusik―独 musika barocco―伊 musique du baroque―仏)
 ”ゆがんだ真珠”と言う意味のイタリア語の形容詞から転用されたそうです。 つまり、真円ではない、装飾が、かったという意味でしょうか。 1600年頃から1750年頃迄(時代と言うのは、常に前の時代と重なり合う時期を持つと考えられますので、はっきりと年代を特定する事は出来ません。 また、概ね、ある時代が終わりに近づいた時に、その時代の考え方が特定される傾向にある様です。)とされています。 即ち、”絶対王権主義”、つまり不平等(不均等)な時代の音楽であったという事を、忘れてはならないと考えています。 J.S.Bach(1685〜1750)はあらゆる意味に於いて、バロック音楽の総決算を成したと位置付けられています。

 以下に、私の恩師、Pr.Dr.Hans−Peter Schmitz先生より教えて頂いた多くの事、そして、その事を手掛かりに、私自身その後学んできた事等を、出来る限り詳しく書いていきたいと思っています。 しかし、それらの事を必要とする根本は、音楽に於ける”感動”、若しくは”情熱”であるという事を忘れてはならないと考えています。 何故なら、それ等が無ければ、如何なる膨大な知識も、如何なる正確無比な技術も、単なる無駄でしかないと考えるからです。 しかしながら、更に考えるならば、音楽に於ける最大限の”情熱”、最大限の”技術”そして、それを裏付け制御する最大限の”知識”があったとしても、もしかすると未だ不足なのかもしれません。 現実の舞台上で行われる最高の演奏とは、最早それ等の事すらも意識にない状態、更に言えばその意識さえも無い状態、日本では正しく”三昧”と言うのでしょうか。 私見ですが、その様な演奏を理想の姿と考えています。

 因みに、私の中学1年時からの愛読書は吉川英治氏著「宮本武蔵」!!!(関係ありませんが、正にバロック期の日本の大天才!!!)

A演奏上の立場に就いて

 演奏者にとって最も重要な事は、如何にして個性的な、そして、如何にして他と違う演奏が可能なのかという事なのではないでしょうか。 もしそうならば、それには自身の音楽的立場を確定する必要が有ると考えています。 それは時代であっても良いでしょうし、個々の作曲家であっても良いのではないでしょうか。 その事を基礎に据えて、言い換えれば手掛かりにして、他の時代、或いは他の作曲家の作品を判断してはどうだろうかと言う事です。 例えば、”アーティキュレーション”(Artikulation―独 articolazione―伊 articulation―仏=元々は、各音を明瞭にするという意味ですが、現代では、”スラー””スタッカート”等の区別を指しています。)ひとつをとってみても、バロック期に於いては、小節線を越える様な”スラー”(Legatobogen―独 legatura―伊 liaison―仏)は存在しませんでした。 何故なら”不平等”、若しくは”不均等”の原則に逆らうからです。 長いスラーでは、不平等に演奏する事は殆ど不可能です。 又、バロック期のスラーは、一種のアクセントとも考えられていましたので、長いスラーではアクセントになり得ないのは明らかです。 更に云えば、バロック期では大きな動きよりも、細部の微妙な動きがより重要と考えられていた様です。 時代は次第に流れて行き、社会は必然的に人間の平等を求めていきます。 その象徴が”フランス革命”(1789年から1799年にわたり、絶対王権主義を打破し、所謂、”自由””平等””博愛”を求めた革命。)なのでしょうか。 社会的現象の一つである音楽もまた一人孤高を保っている筈はありません。 音楽も当然の事ながら社会の影響を受け、(実は、ある意味先導していたのかも知れません。私には、良く解らないのですが。)次第に”不平等”若しくは”不均等”の原則から離れて行き、”平等”若しくは”均等”の原則に変化してゆきます。 結果として次第に”スラー”が多用されてゆき、それにつれて”拍子”の観念が薄れてゆき、且つ、”調子”の観念も薄れてゆきます。 何故なら、それ等は全て他との差異、つまり不平等な観念に拠ってこそ意味のあるものだからです。 そして、その平等の原則はやがて、”Arnold Schoenberg”(シェーンベルク)により12音音楽にいたり、(Zwoelftonmusiku―独 musique de douzesons―仏=1オクターブの中に存在する12音を、中心になる音を作らないで、平等の位置を保って作曲する方法によって作られた音楽。)現代ではその多くが拍子の観念を排除し、旋律は4分の1音まで表現される様になってきています。(バロック期に於いても、微分音はもとより、《4分の1音は、古代ギリシャの音階に既にみられるようです。》不協和音も使われていたという事実も忘れてはならないと考えています。) しかし、一人の演奏者の立場がもしバロック期にあり、其処から現代曲も含めて異なった時代の音楽を判断しようと考えた時、例えば、”スラー”を”スタッカート”に変更したいと考えた時、絶対の自信を持ってそうすべきと考えています。 何故なら、それこそが演奏の個性に繋がると考えるからです。 しかしながら、演奏の時間が過ぎたならば、それが最善の方策であったのかどうかを常に考え続けなければならない事は、更に言うまでもありません。



U バロック期の一般的考え方に就いて



 此のタイトルに関しては問題が余りにも大きく、多岐に亘るので、極く基本的な事のみを書くに止めます。 まず、演奏行為の明確性という事を考える必要が有るようです。 例えば、対立する二つの概念を明確に区別しなければならないと考えられます。 仮に4楽章からなるフルート・ソナタが有ったとして、”Adagio-Allegro-Andante-Allgro”という形で書かれていたとします。 つまり、緩−急−緩−急という事です。 基本的な考え方は、各楽章内で様々変化はあるにしても、緩徐楽章に関しては、音量は”P”が主になり、アーティキュレーションは”スラー”が主になり、フレーズは、ほぼ”フォルタクト”になり、装飾は”任意の装飾”を要求され、定型の装飾に於ける”トリル”は遅目になり、”ヴィヴラート”は少なめで且つゆっくりめになり、そして”気分”は、平静、静かに、悲しげに、物憂げに、淋しげに、等々になると考えています。 ”Allegro”に関しては、全く逆に成らなければならないでしょう。 それは、恰も黒と白との絶対的な対立の様に、明確に為されなければならないでしょう。 即ち、中間の灰色、つまり音の一種の装飾であるところの”クレッシェンド””ディミヌェンド”、又は”メッサ・ディ・ヴォーチェ”(この場合、”クレッシェンド”+ディミヌェンド”の事であり、”P”の意味ではありません。)等は、多くの場合特別な場所、つまり終止形等に置かれた長い音、或いは比較的長い音で、尚且つ属音に付けられた”フェルマータ”(多くの場合、任意の装飾も要求されています。)等に対して行うべきと考えられます。(勿論、各音、夫々の中で、微妙に変化するであろう事を前提としていますが。) そして、更に言えば、”Adagio”は大抵は不完全終止で、その場合”Attaca”で直ぐに”Allegro”に繋げられて、恰も4楽章からなるフルート・ソナタが、まるで2楽章からなっているかの様に演奏されます。

 もう一方で、統一性という事も考えなくてはならない重要な事と考えています。 前述の4楽章からなっている様な”ソナタ”の場合、その”テンポ”を考える時、夫々の楽章間には、何等かの関連付けをする必要が有るのではないでしょうか。 第1楽章の”Adagio”と全く何の関連も無く”Allegro”のテンポを取ってはならないと考えています。 例えば”Adagio”の1拍を4分音符で取った場合、”Allgro”の1拍は2分音符で取る必要があります。 仮に全楽章が4分の4拍子であった場合、(そんな事は有り得ませんが、念の為。)つまり、第1楽章4分音符=第2楽章2分音符/=第3楽章4分音符=第4楽章2分音符の様に。 その事に依って、一つの”ソナタ”は関連付けられ、統一性を持った一曲として認識されるのではないでしょうか。

 更に言えば、演奏の1回性という事も考えなくてはならないでしょう。 バロック期は、間違い無く沢山の作品が生み出された時期と考えられます。 然しながら、そう考えると今日まで残っている作品の数は余りにも少ないと考えざるを得ません。 “Johann Joachim Quantz”(クゥアンツ)は、その著作“Versuche einer Anweizung die Floete zu spieren”(フルート トラベルソを演奏する為の試みの指針。)の中の第10章、21項の中で書いています。 『〜その功績が一つ以上の場所で知られている様な巨匠の作品だけを演奏すると良い。 その作品が新しいか、又は古いかに就いては気にしなくて良い。 良い作品であれば十分である。 新しい作品が、新しいからと言って美しいとは限らないからである。〜』 此の事は、バロック期に一般的には現在とは全く正反対に、新作であればある程価値の高い作品であると評価されている事を推測させるに充分な事と考えられます。(勿論”クゥアンツ”はそれに異を唱えている訳ですが。) という事は、バロック期の一面として”目的音楽”、つまり、例えば”食卓の音楽”(その多くは、所謂領主が、ヨーロッパ各地に政治的な旅行に行った際に書かれた様です。)”水上の音楽””花火の音楽””踊りの音楽”、そして最も重要な”宗教音楽”(いろいろ考え方は有るにしても、当時、主には宮廷か、宗教界にしか音楽家の生きるべき場所は無かったろう事は、容易に想像できる事です。)等々の為に作曲され、演奏されていました。 此の事は、音楽は常に消費されていくものと考えられていたのではないでしょうか。 常に、それは新しく作られるものであって、それ故一般的には正に新しいという理由で、価値が有ったと考えられていたと推測されます。 その事が、演奏の基本として”1回性”、つまり例えば繰り返しがあった場合、全く同じように演奏してはならない、と言う事に繋がっていきます。  それは、即ち各種の装飾(定型の装飾、任意の装飾、更にはダイナミックス、アーティキュレーション、リズムの装飾。)によって、まさに新しい作品が、今の瞬間生まれた様に演奏されなければならなかったのではないかと、考えられます。(日本で言えば、一期一会に通じるのでしょうか。) そして、その作品が如何に優れている作品であったとしても、当時、作曲家と演奏家が同一であった場合が多い(J.S.Bachが、オルガンの名手であった事は周知の事実です。)という事から考えて、その場で捨て去られていったという事は、十分に考えられる事と考えています。

                                

                   サンスーシー宮殿に於ける、フリードリッヒ大王の”フルート・コンツェルト”の演奏風景。
                                     @ は “Johann Joachim Quantz”
                                     A は “Karl Philipp Emanuel Bach”
Johann Joachim Quantz(1697〜1773)
 オーバーシェーデンに生まれ、8才の時のコントラバスから始まり、チェンバロ、オーボエを経て、最終的にフルート奏者となる。 フリードリッヒ大王(二世)のフルート教師となり、ベルリン及びポツダムの宮廷作曲家を兼ね、ポツダムでその生涯を終えた。

※ 追記
 繰り返しを考える時、”J.S.Bach”と、他の作曲家とを同じに考えてはならないかも知れません。 一般的には、繰り返しの音量は最初の部分と逆になり、(繰り返しが有る楽章の殆どの場合、二つに分けられて、その両方で繰り返しが要求されています。)2部分目は途中適当な場所で元に戻し、最後は始めた時の音量で終わります。 また、最初の部分を繰り返したからと言って、2部分目も繰り返さなければならないという事は無いと考えています。 任意の装飾は、特に速い楽章の場合、繰り返しの部分のみ適用されるべきと考えられます。 そうでないと、元の形なのか装飾なのか分からなくなるからです。 然しながら、”J.S.Bach”はそうしてはならないと考えています。
 更に音量に就いて具体的に言うならば、例えばゆっくりした楽章で、”ヘンデル”の場合最初の部分は極端に言えば、”p→f”になり、2部分目は”p→f→p”になります。(しつこいようですが、2部分とも繰り返さなければならないという意味ではありません。) バッハの場合は異なり、最初の部分を繰り返したとすれば、次の部分も必ず繰り返さなければなりません。 音量は”p→f/f→p”になります。 そして、一部の定型の装飾を除き一切の任意の装飾は拒否されています。


V バロック期の音楽上の一般的考え方に就いて



1.音階等に就いて(音階 Tonleiter/Skala-独 scala-伊 gamme-仏 scale-英)

 音階に就いても、数学(ただの算数?!)の知識が必要なので、余り書きたくは無いのですが、書く必要があると考えていますので、間違いが含まれているという前提でお読みください。(此のページ全てに言える事ですが。)

@ 音階の成立(音階を数値化したという意味に於いて。念の為。)

 人間の感覚は、自然で、多様で、無限とでもいえる様な音の変化を明確に知覚出来ない為に、幾つかの音を選別して、今この瞬間に鳴っている音と、その直前に鳴った音とを段階的に結合して感じる事から音階が成立したと考えられています。(現代に於ける”デジタル”化!? 例えば、音楽C.D.の様にある瞬間を切り取って”サンプル”とし、それを数値化して記録する事に似ているのかも!?) その事は、必然的に夫々の民族、夫々の地方、夫々の時代等により感じ方が異なる事によって、沢山の音階が成立する原因になったと考えられています。 そして、現在のところヨーロッパの音階を最初に数値化したのは、有名な数学家である”Pythagoras”(ピタゴラス)氏であるとされています。 当時、音楽は数学の一分野でしかなかったという事を考えれば、数学家が音階を数値化したという事実は、何も驚くには当たりません。 彼は、基本的な音程の比率を次のように規定しました。 つまり、オクターブ=1:2/5度=2:3/4度=3:4/12度=1:3/2オクターブ=1:4。 そして、後に、長3度=4:5/短3度=5:6が付け加えられました。

A バロック期の音階の考え方に就いて

 バロック期には、大別すれば現在広く使われている”12平均律”、そして”純正律”(純正調)、”不等分平均律”等、様々な調律法が存在していた事が解っています。 ”12平均律”を全く乱暴に言ってしまえば、オクターブを12等分(多分正確な表現ではありません。 また、53等分を主張している方もいらっしゃるようです。)にした調律法です。 それは、”異名同音”を生じますので転調する事が非常に容易に出来る事になります。  しかしながら、5度音程、(純正律の完全5度よりも狭くなります。)3度音程(純正律の長3度よりも広くなります。)が純粋では無いので、完全な協和音にはなりません。 その事によって、不協和音から協和音への解決が曖昧にならざるを得ません。 それに対して”純正律”(純正調。)は、協和音は完全に融け合い、不協和音は見事にぶつかり合い、ある意味美しくない音を生じます。 従って、前打音を正しく拍頭に置けば、不協和音から協和音に明確に解決される事になり、不協和音はより美しくなく、その事により、協和音はより一層美しく感覚されます。 その事は、明確性を重要に考えている時代にあって”純正律”、もしくは”不等分平均律”が多く用いられるのは、当然の事と推測されます。 因みに、”C-dur”で”12平均律”と”純正律”を主な音で比べてみると、”12平均律”より”純正律”の方が、”E”は低く、”G”は高く、”H”は低くなります。 その結果、”純正律”では全音の開きに広いものと狭いものが生じ、”大全音”と、”小全音”として区別されました。 そして、当然、半音の開きにも広いものと狭いものが生じ、これも”大半音”と、”小半音”として区別されました。 更に言えば、”C-dur”を転回してゆき、最終的に”His-dur”になった時、それは”C-dur”と同一ではありませんでした。 その結果、同じ音は一つとして存在しない事になります。 此の事が、少なくとも”異名同音”が存在しない理由であると共に、例えば”H-dur”と”Ces-dur”が存在する理由でもあります。 ”クゥアンツ”は、多分”不等分平均律”(不等分平均律=複合純正律 第3音と第5音の相対的な高さには、種々様々な計算方法が有り、私には理解不能です。 ただ言える事は、全音を大全音と小全音の中間の数値を取っている為に、『中全音律』とも呼ばれています。)を主張しているのではないかと推測されます。 何故なら、”大半音”と”小半音”に就いては、執拗とも思える程の説明が為されているにも拘らず、”大全音”と”小全音”の区別に就いては何も論じていません。 概ね次の様に書いています。 つまり、7個の幹音の間に5個の派生音が置かれて、夫々が幹音との間を二つに分けます。 しかし、2等分にはしない為に、上下の幹音との間に広いもの、つまり大半音と、狭いもの、つまり小半音が出来ます。 従って、必然的に二つの自然の音階の中にある半音程、”E”と”F”の間と、”H”と”C”の間に更に半音程が作られて、”Fes”と”Ces”、そして”Eis”と”His”が加えられます。 そして、彼は”フラット”が付けられた音を、”シャープ”が付けられた音よりも高めに取る事を要求しています。 彼は、その事を実現する為に、前述の”フルート・トラベルソ”の為の運指表で、例えば”As2”と”Gis2”の音に異なる運指を充てています。 その事により、”As2”は”Gis2”よりも1コンマ高く取れると述べています。 以上の事実は、ベーム・システムの現代のフルートで演奏可能かどうかは別として、少なくとも知っておく必要は有るのではないかと考えています。

B バロック期の調律に就いて

 更に、調律の基本となるべき”A”の振動数に関しては、前述の様に、厳密な音程の微妙な差異を重要に考えていた時代であったにも拘らず、皮肉な事に現実は、非常に大雑把であった事が”クゥアンツ”により明らかにされています。 現在、古典楽器を志向されている一部の極端な考え方をお持ちの方々の中には、バロック期の”A”は、現在の”As”に相当する高さであると主張して譲らない向きが有るようです。 然しながら、”クァンツ”の著作、第一章9項には次の様に記されています。 『〜総ての場所で、同一の調律が為されていれば、此の3部分(フルートに於ける頭部管、胴部管、足部管を指していると考えられます。)で充分である。 調律の基本と成る”ピッチ”が非常にバラバラで、各国どころか、多数の地方や都市でさえ、別の調律や、(12平均律のみでは無いと言う事です。 念の為。)又は”ピッチ”を持っている。 更に言えば、同じ場所であったとしても、注意深くない調律師によって、ある時は高く、又ある時は低く調律される事は言うまでも無い事である。〜』 ”クゥアンツ”は此の為に何本かの”中管”を用意して、此の事に対処するように指示しています。 更に”シュミッツ”先生によれば、『少なくとも後期バロックには、異なる高さの標準音が存在していて、その高い音と低い音とでは、少なく見ても長3度の差があった。』と仰っています。 此れ等の事は、単に他を批判する為ではなく、バロック期に限らず実際の演奏に際して、常に自問自答しなければならない、多くの問題を含んだ事実と受け止めるべきと考えています。 そして、その事によって結果はどうあれ、少しでも良い演奏をという演奏者の積極的な方向付けをする切っ掛けになると信じています。

※ 追記

 最近になって解ってきた事は、J.S.Bach作曲「平均律クラフィーア曲集」の音律も、12平均律とは異なっている事が明らかにされています。 しかし、私には理解不能なので興味のある方は是非勉強してみて下さい。 オクターブを12等分にはしていないという事は確かな様です。

2.リズム等に就いて(リズム Rhythmus−独 ritmo−伊 rythme−仏 rhythm−英)

 (リズムを説明する事は私には出来ませんし、不遜ですらあります。 従って此処では、一般的な理解による事と致します。)

 バロック期の2音音型は(4音音型も当然含みます。)不平等(不均等)の原則から、基本的には2等分になってはならないと考えられます。 それは、アクセントを伴った第1音の”良い音”(重い音)と、アクセントを伴わない第2音の”悪い音”(軽い音)とを明確に区別する為に、第1音を大き目に、そして長めに演奏する必要があります。 その長さの割合は”シュミッツ”先生によれば、9:7から3:1までとの事です。 しかし、決して3:1を越えてはなりません。(それは、拍子にも置き直して考える事が出来ます。 例えば4分の4拍子ならば、常に”良い拍”=”重い拍”である1拍目と3拍目を、”悪い拍”=”軽い拍”の2拍目と4拍目より意識していなくてはならないでしょう。) そして、その2音音型の不平等性(不均等性)によって、通常の付点音符は、決然とした激しい情熱を表現する必要から、付点音符の後の短い音の長さを正確に規定する事が出来ないので、与えられた二つの音符の長さの殆どを付点音符が取り、短い音符は瞬間の時間しか与えられない様に演奏すべきであると考えられます。 例えば、”クゥアンツ”の第5章21項に次の様にあります。

譜1.



上記の、夫々の、上の短い音符と、下の短い音符(矢印)を一致させる様に演奏します。 此の事は、バロック期に於いては一般的な考え方であったので、それがバロック期に複付点音符が存在しない理由なのです。 同じく第5章23項には、通常”Lonbardisch”と呼ばれるリズム型に関して書いています。

譜2.



最初の短い音は、アクセントを伴って短くすればする程、快く響きます。 関連して、下記の夫々の拍の最初の長い音、短い音も同様に演奏されます。

譜3.



更に前述の規則は、第5章22項で下記の3連譜を伴った上声部に対して、他の声部に付点音符が有る時にも守らなければなりません。

譜4.



つまり、付点の後の短い音符は3連譜の3番目の音と一致させてはならず、その後で発音しなければなりません。 そうでなければ、下記の様に8分の6拍子、又は8分の12拍子に聴こえてしまうからです。

譜5.



しかしながら、前述の様に当時は当時は非常にたくさんの作品が書かれていた時代であったので、記譜を省略して書いていた場合も屡々有った事が解っています。 ひとつの目安として拍子が4分の4拍子、4分の3拍子、4分の2拍子であったとしても、その”メロディー”の動きが、もし3連音符を主とした動きであるならば、それ等の曲は、実は8分の12拍子であり、8分の9拍子であり、8分の6拍子であるかも知れないと、疑ってみる必要があるのかも知れません。 そして、もし確実にそうであると確信したならば、それ等の付点音符は3連符、即ち2:1で演奏すべきと考えられます。 例えば、”Georg Friedrich Haendel”のフルート・ソナタop.1Nr.4の第1楽章のフルート・パート、及び通奏低音の一部を書いてみます。

譜6.



此の曲は、実は8分の9拍子と推測され、実際には付点音符に続く8分音符、16分音符は3連符の三つ目の8分音符と一致させて演奏しなければならないと考えられます。 つまり、以下の様にです。(矢印の部分を一致させる。)

譜7.



従って、任意の装飾は、2連符、4連符ではなく、3連符、6連符が主要なリズムにならなければならないと考えられます。 参考の為に私自身の為に書いた譜面の極く一部を書いてみます。

譜8.






W バロック期の”テンポ”の考え方に就いて(速度 Zeitmasse−独 tempo−伊 temps−仏 tempo−英)



 言う迄も無く、人間の感覚は絶対的でも普遍的でもなく、それは時代により、或いは環境により常に変化するものと考えられます。 当然の事ながら、”テンポ”に就いても同様の事が言えるのではないでしょうか。 ある時代、ある地域で正しいと考えられていた”テンポ”が、別の時代、別の地域ではその姿を全く変えてしまう事も有るのではないでしょうか。 例えば、バロック期の”メヌエット”には、色々な速さの”メヌエット”が存在していたという事が解っています。 ”クゥアンツ”は彼の著作の中で、現代の我々の感覚からは想像も出来ないくらい速い”テンポ”、即ちメトロノームの数値で言えば、4分音符=160を指示しています。 しかしながら、より落ち着いた”メヌエット”が存在していた事も、また事実です。 つまり、時代により、地域により、更には作曲家個々人により種々様々な”メヌエット”が存在し、それ等は総て”メヌエット”であると考えるのが妥当なのではないでしょうか。 即ち、唯一絶対正しいと言う様な”テンポ”は元々存在しないと考えるべきと考えています。 (但し、一般的に考えられている”バロック期”は”テンポ”が遅いと言う様な考え方は、以上の事から、明らかな間違いであるという事は、疑い様も有りません。) しかしながら、一方である程度の拠り所を必要とするのも、また当然の事と考えられます。 ”クゥアンツ”は、当時既に”メトロノーム”の様な機械が発明されていたにも拘らず、音楽的にその機械を全く信用せず、”テンポ”を考える時、人間の生理的な”テンポ”、即ち”脈拍”をその基準に考えていました。 それは、状況によって常に揺れ動き、その事によって生きた演奏に繋がってゆくと考えられていたと推測する事も出来るでしょう。 それはともあれ、一般的に言って脈拍は、ほぼ一分間に80平均と考えた時、その事を基準として”クァンツ”の考え方を我々にとって解り易い”メトロノーム”に置き直してみたいと思っています。 然しながら、彼の考え方も飽く迄一つの提案ですので、その数字に拘ってならない事は言うまでもありません。
 以下に、”クゥアンツ”の著作第17章7節49項辺りから、58項辺り迄を要約します。 「音楽が必要とする”テンポ”は、種々様々であり、それ等を厳密に規定する事は不可能です。」 彼は、その事実に注意を払う事を促して、その後、一般的な表情標語と舞曲に分けて、その”テンポ”の拠り所を提示しています。 そして、51項に於いては、4分音符=80の速度で、32分音符の速さが限界であると記しています。 私見ですが、此の事は楽器の違いを考慮しても、速過ぎる”テンポ”設定に対する強い戒めと考えられるのではないでしょうか。 何故なら、仮に人間業を遥かに超える程の速さで、正確無比に演奏できたにしても、聴覚は、最早それ等を個々の音として認識できないからです。 我々は、正確無比な速さを競っている訳でも無く、只、単なる美しさを追求している訳でも無いのです。 ひたすら、聴いている方達と共に、感動の世界に身を置きたいと願っているに過ぎません。

A. 
  一般的な表情標語による分類

1. 速い速度
   Allegro assai (Allegro=陽気な・快活な assai=更に・ますます)
   Allegro di molto (molto=多くの・極めて)
   Presto (Presto=速い・迅速な)
    (A) 4分の4拍子 ― 2分音符≒80 4分音符≒160
    (B) Alla blave ― 全音符≒80 2分音符≒160
2. やや速い速度
   Allegretto (Allegretto=やや快活な)
   Allegro ma non tanto (non tanto=甚だしくなく)
   non presto
   Moderato (Moderato=程よい・手頃な・控え目な)
    (A) 4分の4拍子 ― 4分音符≒80
    (B) Alla blave ― 2分音符≒80 4分音符≒160
3.やや遅い速度
   Adagio cantabile (Adagio=ゆっくりと・静かに・慎重に cantabile=歌う事の出来る・歌う様に)
   Cantabile
   Arioso (Arioso=風通しの良い・広大な)
   Larghetto (Larghetto=Largoよりやや狭い空間・Largoよりやや速く)
   Soave (Soave=快い・甘美な・柔らかな)
   Dolce (Dolce=甘い・柔らかな・優しい・小さい)
   Poco andante (Poco=少しの・僅かの andante=二流の・目立たない)
   Affettuoso (Affettuoso=情趣豊かに・優しく)
   Pomposo (Pomposo=壮麗な・華美な)
   Maestoso (Maestoso=威厳に満ちた・堂々たる)
   alla Siciliana (alla=〜風に Siciliana=古代シチリアの舞踊音楽)
   Adagio spirituoso (spirituoso=元気の良い・生気に満ちた)
    (A) 4分の4拍子 ― 8分音符≒80 4分音符≒40
    (B) Alla blave ― 4分音符≒80
4.遅い速度
   Adagio assai
   Adagio pesante (Pesante=重い・もたれる・活気の無い・退屈な)
   Lento (遅い・ゆったりした)
   Largo assai (Largo=元々は教会前の広場、即ち”Platz”を意味していました。つまり、数百人程度が集まれる様な空間。幅広く。)
   Mest (Mest=悲しげな・寂しげな・痛ましい)
   Grave (Grave=重大な・荘重な・物静かな)
    (A) 4分の4拍子 ― 8分音符≒40
    (B) Alla blave ― 4分音符≒40 8分音符≒80

※ 関連して、序曲の”Grave”に於ける付点音符は、付点の所まで次第に音量を増してゆき、(クレッシェンド)、続けて弓を弦から離し、(つまり、レガートでは無いという事です。)与えられた時間の最後に最も速く付点に続く短い音が奏されます。

※ 以上の事を踏まえながらも”J.S.Bach”に於いては更に考える必要があるようです。 例えば、彼の”Andante”は速度の指定ではなく、その感覚の指示であったと考えられています。 つまり、滑らかな感覚や、軽やかな感覚の表現を要求していたと考えられています。 従って、遅くなり過ぎたり、引きずる様な感覚であってはならないと、理解すべきと考えています。 反対に、”Presto”は重い動きを表現しなければならないので、速くなり過ぎてはならないと考えられます。

 上記4つの分類の間の夫々の”テンポ”の関係は、整数倍にて関連付けられています。 此の事からも、バロック期の一つの理念である”統一性”という事を、感じる事が出来るのではないでしょうか。

A” 
 Aに関連して注意すべき事項

1. 分類1の”Allegro”等に関連して

@ 遅めの”Allegro”
 4分の4拍子に於いて、声楽曲、又は余り速い”パッセージ”を好まない器楽曲に多く使われます。 単純に”Allegro”と記される事が最も多いのですが、”Poco Allegro”又は、”Vivace”(Vivace=活発な・生き生きした・鋭い・鮮明な)と記される事もあります。 ”テンポ”は”Allegro assai”と”Allegretto”の中間の速さ。
 (A) 4分の4拍子 ― 4分音符≒120

※ また、上記の事は”シュミッツ”先生によれば、『バロック期に於いて”Vivace”は、”Allegro”より重く、且つ遅く演奏される事を意味します。 しかし、19世紀以降からは全く正反対に”Allegro vivace”は”Allegro”より速く演奏されます。』

A ”Allegro”で4分の2拍子、又は速い8分の6拍子の時。 ― 1小節に付き”メトロノーム”≒80
 (A) 4分の2拍子 ― 2分音符≒80 4分音符≒160
 (B) 8分の6拍子 ― 付点2分音符≒80 付点4分音符≒160

B ”Allegro”
 (A) ”Allegro”で、4分の3拍子で16分音符、又は、8分音符の3連符で出来ているフレーズのある時は、2小節を一つに纏めて、1小節目の1番目と3番目、及び2小節目の2
   番目の4分音符に夫々1拍ずつ充てます。 つまり、2小節の6個の4分音符に対して3拍を充てる事になります。
    4分の3拍子 ― 2分音符≒80 4分音符≒160 付点2分音符≒53

譜9.



 (B) ”Allegro”で8分の9拍子に対しても、上記(A)と同様に考える事が出来ます。
    8分の9拍子 ― 付点2分音符≒80 付点4分音符≒160 1小節≒53

譜10.




C 非常に速い4分の3拍子と8分の3拍子で、各々の小節の”パッセージ”に速い音符が6個までしか与えられていない場合、つまり、4分の3拍子では8分音符、そして、8分の3拍子では16分音符の時は、1小節に付き”メトロノーム”≒80.

 (A) 4分の3拍子 付点2分音符≒80

譜11.



 (B) 8分の3拍子 付点4分音符≒80

譜12.



※ 関連して4分の3拍子、及び8分の3拍子の”Presto”の場合は更に速くなり、4つの8分音符が”メトロノーム”≒80、つまり4分音符≒160になる速い4分の2拍子の速度で、その8分音符と同じ速さで、4分の3拍子の3つの4分音符、そして同様に8分の3拍子での3つの8分音符を充てる。 つまり、4分の2拍子の4つの4分音符と、4分の3拍子の4つの4分音符、及び、8分の3拍子の4つの8分音符が同じ速さになると云う事です。

譜13.



D 速い曲で、16分音符、32分音符が混ざっていなくて、3連符のみのパッセージの時は、より速めに演奏する事が出来ます。 特に8分の6拍子、8分の9拍子、8分の12拍子では好ましいと考えられます。

※ 更に“クゥアンツ”は55項に於いて、速い楽章の繰り返しに就いて、2回目は1回目より速く演奏する事を要求しています。 何故なら、人間の感覚は、仮に1回目と同じテンポで2回目も演奏した場合、2回目は遅く感じる性質を持っているからと考えられるからです。

2. 分類3の“Adagio cantabile”等に関連して

@ “Adagio cantabile”で、4分の3拍子で、バスの動きが8分音符の時は、8分音符≒80

・ バスの動きが4分音符で、“Arioso”の様な時は、4分音符≒80

・ 調性(短調であると考えられます。)や、付加された形容詞が“Adagio assai”“Mesto”又は“Lento”ならば、8分音符≒80

A ”Arioso”で8分の3拍子は、8分音符≒80

B ”alla Siciliana”は、8分音符≒80では遅すぎるので、1拍が”メトロノーム”≒80の速さで、2拍を3つに分けて第1、及び第3の8分音符に、夫々1拍ずつ与える。 しかし、その分割に際しては、その事を考えてはならない。 そうでなければ、3番目の8分音符が長くなり過ぎるからである。 もし、その事を現代風に置き換えて均等に考えるならば、2拍の間に亘る3連符の様にする事になるので、数字に置き換えれば以下の様になります。

 8分の12拍子 ― 8分音符≒120 4分音符≒60 付点4分音符≒40

譜14.



※ 但し、均等に考えた場合、3連符とした考えてはならないと考えられます。 何故なら、4分の4拍子になってしまうからです。

B. 様々な舞曲のテンポの設定

1・  壮麗に ― ”Intrade”(独) ”loure”(仏) ”corrent”(伊) ”Sarabande”(独) ”ciaccona”(伊) ”passacaglia”(伊)

(1) ”Intrade” ”loure” ”corrent” ”Sarabande”
 ”Intrade” ”loure” ”corrente”は、華やかに、そして、壮麗に演奏されます。 弓は、付点音符であっても、普通の音符であっても、各4分音符にあたる場所で離されます。 つまり、スラーは4分音符の長さの中で考えなければならないと云う事です。 ”Sarabande”も同様に考えられますが、少し控え目で、心持よく演奏されます。 つまり、スラーを多めにしても良いと考えられます。

 4分音符≒80

@ ”Intrade”(独) ”entrata”(伊) ”entree”(仏=アントレー?)
 4分の4拍子、又は”alla breve”で、16〜17世紀に於いてホモフォニー様式(”Homophonie”独=同音のと言う様な意味で、主声部の旋律に対して、伴奏を付ける様な様式。)で書かれた祝典、又は行進曲の様な楽曲の最初の置かれる音楽として書かれています。 17世紀初めのドイツに於いては、管弦楽組曲の行進曲風序曲として書かれています。 ”Beethoven”は、フルートの為に書いた、殆ど唯一の作品である(ソナタも有りますが。)”Serenade D-dur fuer Floete Violine und Viola op.25”及び、ほぼ同一の作品であるop.41”Serenade D-dur fuer Floete und Klavier”の、何れも第1楽章で、短い序曲の意味に於いて”Intrade”を書いています。

 4分音符≒80

※ 古典組曲
 同じ調性である、舞曲を集めた組曲を言います。 その並びは、必ず”Allmande””Courrente””Sarabande””Gigue”になります。 他の舞曲を入れる時には、”Sarabande”と”Gigue”の間に入りますが、その曲数に就いての制限はありません。 対して、新しい組曲には決まった規則は有りません。 例えば、シューマン作曲「子供の情景」等々。

※ 補足 = ”Allmande”(仏=アルマンド)
 1550年頃の2拍子系の、緩やかで荘重な舞曲です。 従って、当時の一般的習慣である、遅い曲は基本的に”ピアノ”で演奏するという事実に反して、基本的なダイナミックスは”フォルテ”が要求されています。  J.S.Bachは、これ以上ない装飾を施し、舞踊の為と言うよりは、純音楽的な曲に昇華させました。 ”メトロノーム”で考えた時、どの程度の速度が一番正解に近いのかは解りません。 因みに私自身は、4分音符≒40で演奏します。

A ”loure”(仏=ルール)
 4分の3拍子の緩やかな舞曲。 フランスのノルマンディ地方の古典楽器である”バッグ・パイプ”を演奏する際に、良い拍(重い拍)を革袋を強く押して強調しました。 此の動きを”lourer”(ルーレ=動詞)と言い、18世紀にそのリズムから生まれました。 従って、1拍目には、やや強めのアクセントが必要と考えられます。

 4分音符≒80

B ”corrente”(伊) ”courante”(仏=クラーント)
 2分の3拍子、又は4分の6拍子で、古典組曲の第2楽章に用いられるフランスの古い舞曲。 曲の初めには、8分音符、又は16分音符の短い”Auftakt”を持ち、屡々付点音符が使われます。 Johann Mattheson(マッテゾン=ドイツの作曲家であり、音楽理論家でもありました。)の言によれば、「甘き希望」を意味しているそうです。 ”Bach”は2分の3拍子と、4分の3拍子をほぼ平均して用い、”Haendel”は4分の3拍子を多く用いました。

 4分音符≒80

※ ”Bach”に於いては、流れるように滑らかで、”フォルテ”で演奏する事が要求されているので、少なくとも4分音符≒80では遅すぎると考えられます。

C ”Sarabande”(独) ”sarabanda”(伊) ”sarabande”(仏)
 16世紀初めにスペインで始まり発達し、17・18世紀にヨーロッパで流行した舞曲。 そして、後には古典組曲を構成する1つの楽章となりました。 正確で威厳を持って演奏されますが、基本的な音量は”ピアノ”になります。

 4分音符≒80

(2) ”ciaccona” ”passacaglia”
 ”ciaccona”も”passacaglia”も壮麗に演奏されますが、”passacaglia”は”ciaccona”よりも少し速めに演奏されます。

@ ”ciaccona”(伊) ”chaconne”(仏=シャコンヌ)
 4分の3拍子の舞踊として、スペインに始まりました。 非常に良く似ている”passacaglia”と同様に、16・17世紀を通して大変重要でした。 組曲の終曲として書かれた事もあり、17・18世紀のフランスでは”Rondeau”に結び付けられていました。 主題は和声的には変更されませんが、極めて自由に変奏されます。

 4分音符≒160(”passacaglia”よりは遅めに演奏されます。)

A ”passacaglia”(伊=パッサカリア) ”passacaille”(仏)
 ”ciaccona”と同様に4分の3拍子系の組曲として、スペインに始まりました。 17・18世紀に器楽曲の終曲として書かれました。 従って、”ciaccona”よりも少し速めの速度になると考えられます。 低声部に主題が置かれ、他の声部によって変奏されます。

 4分音符≒160

2. 甘美に ― ”musette”(仏)

(1) ”musette”(仏=ミュゼット)
 ”musette”は、17・18世紀にフランスに於いて非常に好まれた、バッグ・パイプに似た楽器の事で、革袋に空気を送り込んで発音しました。 此の楽器はアタックが難しいので、必然的にこの舞曲は、媚びる様に甘美に演奏されます。

 4分の3拍子 ― 4分音符≒80 / 8分の3拍子 ― 8分音符≒80

3. 情熱的に ― ”furia”(伊)

(1) ”furia”(伊) ”furie”(仏=フーリエ)
 ”furia”は、激怒、激昂を意味するので、非常に情熱的に演奏されます。 従って、速度も速くなります。

普通の偶数拍子 ― 2分音符≒80=4分音符≒160
16分音符が混ざっている4分の3拍子 ― 2分音符≒80=4分音符≒160

4. 楽しそうに ― ”bourree”(仏) ”rigaudon”(仏) ”Tamburin”(独) ”Gavotte”(独) ”Rondo”(独) ”giga”(伊) ”canarie”(仏)

(1) ”bourree”(仏) ”rigaudon”(仏)
 ”bourree”と”rigaudon”は、極めて早く、且つ楽しそうに演奏されます。 軽く、短い弓使いで演奏されるので、必然的にレガートは少な目にしなければならないと考えられます。

@ ”bourree”(仏=ブレ)
 フランスのブルターニュ地方の民謡で、速い4分の4拍子、又は4分の2拍子になります。

 4分音符≒160

A ”rigaudon”(仏=リゴドン)
 フランスのプロヴァンス地方の激しい踊りで、普通は4分の4拍子ですが、稀には4分の2拍子、又は4分の6拍子をとる事もあります。

 4分音符≒160

(2) ”Tamburin”(独) ”tambourin”(仏=タンブーラン)
 フランスのプロヴァンス地方の太鼓を”tambourin”と言い、2拍子の舞曲である”tambourin”は此の楽器から生まれた名前です。

 4分音符≒180

(3) ”Gavotte”(独) ”gavotta”(伊) ”gavotte”(仏=ガヴォット) ”gavotte”(英)
 フランスのドゥフィーネ州の住民、”ガヴォ”族の舞踊です。 4分の4拍子で、17世紀中頃に”Lulli”が使用してから流行する様になり、”ordre”(仏―オルドル=”Couperin”が名付けた、フランスで発展した古典組曲。)の中の1曲として用いられ、後に組曲を構成する曲となりました。 ”rigaudon”とほぼ同様に演奏されますが、速度は遅くなります。

 4分音符≒120

※ F.Couperin (クープラン ― 仏 1668〜1733)
 ”Couperin”は、”Bach”一族と並び称されるフランスの音楽一族の一人です。 彼の書いたクラブサン(Kielfluegel―独 cembalo―伊 clavecin―仏  日本では、一般的にチェンバロと呼ばれる事の多い撥弦楽器です。)の教本からは”J.S.Bach”も影響を受けた様です。 因みに、私の現在唯一の”C.D.”の最初の収録曲が、彼のクラブサン曲の中から”恋のうぐいす”です。 興味をお持ちの方は、是非御一報下さい。!!!

※ J.B.Lulli (リュリ ― 伊⇒仏1632〜1687 イタリアに生まれフランスに帰化。)
 ”Lulli”はオペラに於ける序曲の重要性を強調し、その事は後の作曲家に多くの影響を与えた事で知られています。 また彼は、非常に貧しい生まれから劇的なまでに成功した事でも知られています。 その事は、多くの音楽を志す若人達に、多くの勇気と希望を与え続けて呉れているのかも知れません!!!

(4) ”Rondo”(独) ”rondo”(伊) ”rondeau”(仏)
 13世紀中頃から15世紀頃の歌曲の形式で、合唱の部分を”Rondo”と称しました。 従って、少しゆっくり目に演奏されます。 拍子は”alla breve”、又は4分の3拍子です。

 4分音符≒140

※ A−B−a−A−a−b−A−B
 大文字が”ロンド”と称され、合唱で歌われました。 小文字は”クプレ”と呼ばれ、ソロで歌われました。 後に、器楽的様式としたロンド形式(Rondo Form―独=回旋曲)に繋がります。

※ ロンド形式 A−b−A−c−A
 同一の主題が何回か繰り返される間に、”クプレ”にあたる”エピソード”が挿入されます。 通常、主題は3回現れ、その間に異なった”エピソード”、即ち”クプレ”が2回挿入されます。

(5) ”giga”(伊) ”canarie”(仏=カナリー)

@ ”giga”(伊) ”gigue”(仏=ジグ)
 ”giga”は、16世紀に流行したイギリスの”jig”と云う生き生きとした8分の3拍子、又は8分の6拍子の舞踊から生まれ、1650年頃から1750年頃迄、組曲の終曲として書かれました。 従って速度は速く、短くて軽い弓使いで演奏されます。 付点のリズムを持って、旋律の音程は6度、7度、オクターブ等、広く取られました。

 付点4分音符≒160

A ”canarie”(仏=カナリー)
 17世紀のフランスの舞踊から生まれた”canarie”は、”giga”と同様に速い8分の3拍子、又は8分の6拍子で、良い拍(重い拍)が付点音符になるので、短くて鋭い感覚で演奏されます。

 付点4分音符≒160

5. 跳ねる様に ― ”Menuett”(独) ”passepied”(仏)

(1) ”Menuett”(独) ”minuetto”(伊) ”menuet”(仏)
 ”Menuett”は、フランスの地方都市で生まれた円舞曲で、小さいステップを意味しました。 従って、速度は速いですが、4分音符は少し重たく、短く、強調されて演奏されます。

 4分音符≒160

(2) ”passepied”(仏=パスピエ)
 ”passepied”は、17世紀フランスのブルターニュ地方で生まれ、”Menuett”より少し速く演奏されます。 そして、此の”passepied”では、当時屡使われていた(特に終止形)一種の拍子の装飾(変換)であるところの”Hemiole”(独=ヘミオーレ)を、曲中で表現しなければならないと考えられています。 つまり、例えば8分の3拍子で、本来4小節でなっている2つの音型を持っている様なフレーズを、3小節で書いて、真ん中の音の上に2本のダッシュが付けられた場合、2つの4分音符は、短く弓を切って(つまり、決してレガートになってはなりません。)演奏されて、恰も4分の3拍子で2小節で成っている様な感覚で演奏されます。

 8分音符≒180

譜15.



※ 以下に典型的な実際の”Hemiole”の例を示しておきます。 先ず、一番解り易いと思はれる”Haendel”作曲”Sonate e-moll op.1 Nr.1b”から、8分の3拍子”Allegro”、同じく”Haendel”作曲”Sonate h-moll op.1 Nr.9”から、2分の3拍子の”Vivace”と8分の6拍子の”A tempo di Minuett”(私のC.D.の2曲目の収録曲です。)そして、”Bach”作曲”Sonate h-moll BWV1030”から16分の12拍子(前記の”Matteson”によれば、16分の12拍子はイライラした熱情を表現しなければならい様です。)”Presto”の2部分目。

@ G.F.Haendel-Sonate e-moll op.1 Nr.1b ”Allrgro”8分の3拍子

譜16.―a



譜16.―b



A G.F.Haendel-Sonate h-moll op.1 Nr.9 ”Vivace”2分の3拍子

譜17.



B G.F.Haendel-Sonate h-moll op.1 Nr.9 ”A tempo di Minuett”8分の6拍子(前述した様に、”メヌエット”は本来4分の3拍子であるべきなのですが、8分の6拍子で記していると言う事は、遅くなってはならないという事を意味しています。)

譜18.



C J.S.Bach-Sonate h-moll BWV1030 ”Presto”から、2部分目の16分の12拍子

譜19.




※ 基本的に、3拍子系の曲は”Hemiole”が有ると見なければならないと考えられます。 それを判断する材料は、フルート譜だけではなく、通奏低音譜、及び右手譜が誰かの手により充填されていれば、それら等の譜面を頼りに総合的に判断しなければならないと考えられます。 その上で、”Hemiole”が適切に且つ明確に為されていれば、その演奏は、感情表現と言う意味に於いて、素晴しい結果をもたらす事と確信しています。

6. 重々しく ― ”Marsch”

(1) ”Marsch”(独)”marcia”(伊)”marshe”(仏=マルシェ)”march”(英)
 ”Marsch”は、重々しく真面目に演奏されます。 従って、やや遅めの速度になります。 元々行進を目的にした曲なので、拍子は2拍子系になります。

 2分音符≒80

※ 後には、必ずしも行進だけがその目的では無くなりました。 例えば、前述のベートーヴェン作曲”セレナーデ”の第1楽章は、表記されている訳ではありませんが、”Marsch”とみて良いのではないかと考えています。

※ 個人的な考え方
 考えなければならない事は、クゥアンツが速すぎる速度設定に対して強い戒めを発しているにも拘らず、彼の設定自体が現代の感覚からすれば、充分過ぎる程、非常に速いという事です。 此の事から推測できる事は、バロック期の速度は、現代の一般的な認識とは異なり、遅めの速度で、無味乾燥と言っても良い様な感覚で演奏しては、絶対にならないという事です。 勿論、それは曲自身の性質にもよるでしょう。 同じ舞曲であったとしても、その中の一番速いフレーズが、8分音符なのか、16分音符も混ざっているのかと言う事で、速度設定は当然異なった結果となるでしょう。 従って、此れ等の数値に拘り過ぎてはならないと考えています。



X バロック期の装飾の考え方に就いて(装飾=定型《本質的な》の装飾 wesentrliche Manieren 独 / 任意の装飾 willkueliche Veraenderungen 独)


 此の項に就いて私が書く事は、心底恐ろしく、躊躇せざるを得ません。 何故なら、その事を殆ど理解できていない事を自身で認めざるを得ないからです。 然しながら、此の事を書かなければ、最終章に最も書かなければならないと思っている”Schmitz”先生の”技術の習得の方策”に繋がって行かないので、蛮勇を奮ってでも書かなければならないと考えています。

 何故、此れ程までに”バロック期”の装飾が難解なのかに就いて考えた時、当時は天才と呼ばれる演奏家の多くが、作曲家でもあったという事と無縁ではないでしょう。 彼等にとって至極当然の事が、残念ながら多くの我々にとっては、非常に難しい事なのではないでしょうか。 又、一口に装飾と言ってもそれは、”テンポ””拍子””アーティキュレーション””ダイナミックス””リズム””定型の装飾”そして、なりよりも厄介な”任意の装飾”を指します。 当時の装飾の基本的な考え方は、正に演奏の現場に於いて、自由で、且つ即興的な演奏を要求しました。 従って、”任意の装飾”と言っても、それは”定型の装飾”の延長線上であり、その区分けそのものが意味を為さないのかもしれません。 更に、例えば”J.S.Bach”が”W.F.Bach”の教育の為に書いたとされる”定型の装飾”の為の”装飾音表”にしても、彼の作品総てに当て嵌まるとは考え難いのではないでしょうか。 此等の事を可能な限り理解しようと考えた時、我々の道程の余りにも遠い事を思はざるを得ません。 一つ提案させて頂けるのなら、”モダン・ジャズ”の世界は、もしかすると可也”バロック期”の世界と似ているのかも知れません。 例えば、拍子=ビート?、リズム=不均等?、先取り=シンコペーション?、装飾=アドリブ?、通奏低音=コード・ネーム、等々。 もし、此のページをたまたま読んで下さっている、未だ充分に時間をお持ちの若く、才能溢れる貴方が、一時、モダン・ジャズの世界に身を置く事が出来れば、バロック期の演奏に、相当程度以上近付けるのかも知れません。 その事は勿論の事、他の時代の演奏にも、より多くの良い影響を与える事が出来る事と確信しています。 リンクのページに、個人的にお世話になっていると同時に、尊敬している”ジャズ・トランペッター”の”鈴木基治”氏のページを貼っています。 ”アドリブ”に関しての入り口とでも言うべき譜例が示されていますので、是非にも御覧になって頂きたいと思っています。 その事によって、”バロック期”の真の演奏の為に、モダン・ジャズを知る事が如何に重要かを理解して頂ける切っ掛けになればと考えています。 それは、何故なら、我が愛する日本人から心の底から尊敬し、畏怖し、敬愛して止まない我が恩師”H.P.Schmitz”と同等とは云わない迄も、彼に肉薄出来る様な演奏家が出現して欲しいと心から願っているからです。 私の知り得ない未来の音楽環境は、予測不可能な最悪の状況に陥っているかもしれません。 しかし、だからこそ真の意味での演奏家が求められているのです。 貴方が頑張って下さい。 貴方が為さなければ誰も無し得ないのです。

※ 通奏低音(Generalbass―独 bassso continuo―伊 basse continue―仏=バス・コンティニュ)
 1600年頃からイタリアで始まり、1750年頃迄(つまりバロック期)用いられた、謂わば即興的な右手の和音の指示の為の低音譜の事を指します。 曲の初めから終わりまで、低音だけは連続して演奏されたので、即ち通奏(continuo)低音と呼ばれました。(右手が不要な時は、数字の”0”、又は”tasto solo”と記されました。 反対に必要な場合には、”accord”−和音、 ”tutti”−全奏 ”con accompagnato”−上声を以て、等と記されました。) 従って、任意の装飾は、当然此処に示されている和音の中で行われなければなりません。

※ 先取り(Vorausnahme―独)
 和音の進行に於いて、後続和音の中の音が先行する和音の中に先立って挿入される事を云います。 従って、先行する和音は先取り音が挿入された時点で不協和音になり、後続の和音が奏される時点で協和音として解決されます。 実際の演奏に際しては、その事を明確に表現する為に、”アクセント”を伴って奏さなければならないと考えられます。

譜20.



譜例 J.S.Bach ”Sonate h-moll fuer Floete und obligates Cembalo” BWV1030

譜21.



 以下に、主に”Quantz”の記述を基にして出来る限り解り易く書いてみたいと考えています。 しかし、これ等の事も、飽く迄一つの手掛かりに過ぎないという事を、考えておかなければなりません。

1. 前打音に就いて
 前打音(”Vorschlag”−独 ”appoggiatura”−伊アッポジャトゥーラ ”port de voix”−仏ポール ド ヴォア)

※ ”appoggiatura”=もたせ掛ける、又は支えるという意味の”appoggiare”から派生したとの事です。

 前打音は紛れも無く、各種定型の装飾の基であると考えられます。 それは、例えば通奏低音から数えて3度、若しくは6度の主要音の2度上に付けられれば、4度、若しくは7度の不協和音(Dissonanzakord−独)から協和音(Konsonant−独)に解決する事になり、結果、協和音の連続から聴覚を開放し、新たな感覚を呼び覚ます事を促します。 その分類が種々有ったようですが、結局のところ前打音として一括りにされた事に、今日の我々の混乱の基が有るのかも知れません。 更に”Quantz”は、前打音に必要とする時間を主要音から取る場合と、主要音の前の音から取る場合に就いて説明しています。 つまり、前打音には二種類あり、一つはアクセントを伴う音として強拍の音から時間を取り、もう一つは経過する音として弱拍の音から時間を取る場合です。 そして、前者を”アクセント前打音”、後者を”経過的前打音”と称しています。 此の”経過的前打音”が19世紀以降の主流になったと個人的には考えています。 その事に因って、更に前打音の理解が困難になったのではないかと思われます。

※ 経過音(Durchgangsnote−独 note de passage−仏)
 一般的に、和声音から和声音へと音階的に繋げていく音を指します。

譜22. 経過音の譜例




(1) 前打音に必要な時間を主要音から取る場合。
 前打音は、普通の音符と区別する為に、小さな音符で書かれ、その為に必要な時間は主要音(前打音が付された音符。)から取られます。 そして、前打音は基本的に先行音からの掛留なので、先行音の高さによって上音からでも、下音からでも取る事が出来ます。

 然しながら、バロック期では、例えば”J.S.Bach”の装飾音表有る様に、記号で書かれる事もありますし、また、普通の音符で書かれる事も非常に屡々ありますので、(”W.A.Mozart”にも、普通の音符で書かれた前打音が存在します。)我々の理解をより一層困難にしているのかなと考えています。 勿論、普通の音符で小節に組み込まれている様な場合は、アーティキュレーションが指示されていなくともレガートで演奏しなければならないでしょうし、その音に元々前打音が書かれていない限り、更に前打音を附してはならないと考えられます。

※ 掛留(”Vorhalt-独” ”sospensione”-伊 ”suspension”‐仏シュスパンション)
 協和音の進行に対して、旋律の進行を遅らせる事によって不協和音が生まれ、その後協和音に解決します。

譜23. 掛留の譜例



@ 上音からの前打音。
 先行する音が、前打音を付けるべき主要音より2度、又は3度高い場合は前打音は上音から付される。

(A) Quantzの譜例
譜24.



(B) J.S.Bachの装飾音表から、記号による上音からの前打音の譜例。
譜25.



A 下音からの前打音。
 先行する音が、前打音を付けるべき主要音より低い場合なら、前打音は下音から付される。

(A) Quantzの譜例
譜26.



(B) J.S.Bachの装飾音表から、記号による下音からの前打音の譜例。
譜27.



※ ”Abzug”(独―引く) ”accent”(仏アクサン―消え入る様に)
 前打音は舌で柔らかくタンギングし、時間に余裕が有れば音量を増します。 次の音は(主要音)より少ない音量で、控え目に前打音と柔らかくレガートで結ばれます。 此の装飾の方法を”Abzug”と称し、それはイタリアから始まりました。

B 普通の音符で書かれた前打音。

(A) 前述の J.S.Bach ”Sonate h-moll BWV1030” から

 〈1〉 前打音なので必ずレガートで演奏されます。
譜28.




 〈2〉 前打音に”トリル”が付されているので、”トリル”はその音から始めなければなりません。
譜29.




(B) 前述の G.F.Haendel ”Sonate h-moll op.1 Nr.9” から
 最初の前打音は必ずレガートで演奏され、次のトリルは前打音に付されたトリルなので、その音から始めなければならないと考えられます。
譜30.




C 付点音符に付された前打音。

《1》 前打音が付された音が付点音符の場合、主要音は3等分され、3分の2の長さの音価を前打音が取り、残り3分の1が主要音の音価となります。

※ Quantzの譜例
譜31.



《2》 8分の6拍子、又は4分の6拍子に於いて”Gig”に於ける様に、付点が付された音が後続音と”タイ”で繋げられている場合は、前打音は最初の付点音符の音価を全て取る事になります。

※ Quantz”の譜例

(1) 8分の6拍子
譜32.



(2) 4分の6拍子
譜33.



D バスと不協和の主要音に”トリル”が付されている場合。
 バスと不協和を為す主要音に前打音が付されている場合は、(バスに対して主要音が、増4度、減5度、7度、2度であるならば、それ等の音に前打音を付すと協和音に変化します。)可能な限り協和音に聴かせてしまわない様に、前打音は出来るだけ短く奏さなければなりません。

※ Quantzの譜例
<1> 増4度
譜34.



<2> 減5度
譜35.



<3> 7度
譜36.



<4> 2度
譜37.




E 音符の後に休符がある場合。
 音符の後に休符がある場合は、息継ぎに問題が無い限り前打音は主要音の音価を取り、主要音は休符の音価を取ります。

※ Quantzの譜例

<1> 譜38.



<2> 譜39.



<3> 譜40.




F アクセント前打音、又は下拍に奏される前打音。
 短い上拍の後に続く長い下拍に付された前打音は、主要音の半分の音価を取ります。

※ Quantzの譜例

譜41.



G 前打音に2つの旗が付いている場合。(つまり、16分音符の前打音。)
 16分音符による前打音が付けられた時は、主要音の音価を短くしてはならない。 例えば、4分音符、或いは2分音符であろうと、同一音上の2つ、又はそれ以上の長い音符に於いて、前打音は下から取られようと、上から取られようと可能な限り短く主要音の代わりに下拍で奏される。

※ Quantzの譜例

譜42.



※ 此の記述の判断は大変迷う事になります。 何故なら、主要音の音価を短くしてはならないと言っているにも拘らず、主要音の代わりに下拍で奏されると述べているからです。 従って、その判断に2通りの考え方が生まれても止むを得ないのかなと考えています。 以下に”Schmitz”先生の判断と、”Arnold Dolmetsch”氏の判断を記述致します。 私自身は、残念ながら今現在に於いても結論を得ていません。

<A> H-P.Schmitz
 この様な前打音に続く主要音は、その音価を奪わない様に演奏されなければならないと云う事は、繰り返される音、つまり同じ高さの長い音の間に書かれた前打音と同様に、拍の前(つまり主要音の前。)で演奏されなければなりません。

<B> A-Dolmetsch
 同じ高さの2つの音符の間にある前打音は、強拍上で(つまり主要音の拍の最初。)非常に短く演奏される。

※ Arnold Dolmetsch(アーノルド ドルメッチ 英1858-1940)
 非常に優秀なヴァイオリン演奏家として世に出、後に古楽器演奏家、古楽器製作者、そして、バロック音楽研究家としてその地位を築きました。


(2) 前打音に必要な時間を主要音の前の音から取る場合。

@ 経過的前打音。
 同じ音価の音が下行3度跳躍して続く場合には、経過的前打音が用いられる。

※ (A) Quantzの譜例

譜43.



 付点は可能な限り長く保ち、前打音はタンギングされ主要音にスラーで繋げられます。

 以下の様に演奏してはなりません。 何故なら、経過的前打音は甘美な表現を要求しています。 そして、なりよりも此の前打音を成立させたフランスの奏法に反する事になるからです。

※ 経過的前打音の意味に反するQuantzの譜例。
<a>
譜44.



<b>
譜45.



※ (B) Leopold Mozartの”Gruendliche Violinschule”からの譜例。

譜46.



※ Leopold Mozart(レオポルド モーツァルト 墺1719-1787)
 W.A.Mozartの父であるレオポルド モーツァルトは、Quantzに刺激され此の”基礎のヴァイオリン奏法”を書いた事が知られています。

※ 然しながら、此の経過的前打音に関しても、別の考え方が存在する事も知っておく必要があるのではないでしょうか。 例えば、Quantzと同じ時代を生き、それどころか一時期同じ職場の同僚でもあったK.Ph.Emanuel-Bachは、彼の著作(クラヴィーアの正しい奏法)の中で、経過的前打音を否定し、総ての前打音を主要音の拍頭で奏する事を要求しているようです。

※ Karl Philipp Emanuel Bach(カール フィリップ エマニュエル バッハ 独1714-1788)
 古典ソナタの形式を確立した一人とされています。 その事が、ハイドン、ベートーヴェンの形式に多くの影響を与えた事で知られています。

A 2つの前打音が付されている場合。
 1つの主要音に2つの前打音が付されている場合、1つは小さな音符で書かれ、もう1つは拍の中に組み込まれた普通の音符で書かれます。

※ Quantzの譜例。

譜47.



B 前打音が記譜されていない場合。
 前打音が記譜されている時に、それを適切な音価で奏する事が出来るだけでは充分とは言えないでしょう。 記譜されていない場合にも、適切な場所に前打音を付加して奏さなければなりません。 例えば、1個または数個の短い音符の後に、1つの長めの協和音に属する音が有った場合、その長めの音には前打音を付さなければなりません。 それが、上音からなのか下音からなのかは先行音によって決められます。 更に確認すれば、前打音は多くの場合速い音符の前か後に付され、大部分の”トリル”には前打音が要求されています。 と言う事は、つまり、逆に考えれば普通の音符で書かれた前打音の”トリル”には、更に前打音を付してはならないという事を改めて確認しておかなければなりません。 そして、





続く。但し、生来の怠け者故、多少時間が掛かります。》

《最終章に参考文献の総てを網羅する心算です。》




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