項目資料室:横浜

    2008年

    0224祭事芸能
    ハマの「スピードクィーン」第26回横浜国際女子駅伝
    123456789012345678901234567準備中
    ●日本ナショナルチームの結果は2位(1位はエチオピア)
    1区5km   小林祐梨子(兵庫:豊田自動織機)区間1位
    2区10km   赤羽有紀子(北海道:ホクレン) 区間2位
    3区6km   湯田友美 (京都:ワコール)  区間4位
    4区6km    小島一恵 (京都:立命館大学) 区間2位
    5区10km   勝又美咲 (東京:第一生命)  区間1位
    6区5.195km 吉川美香(神奈川:パナソニック)区間5位
    上の画像は、。                   画像加工


    2007年

    0707風土建築
    桜木町駅「初代横浜駅」明治5年(1872年)
    横浜市電の最初の路線は、
    明治37年(1904年)開通の
    神奈川(神奈川駅)〜大江橋(初代横浜駅、つまり桜木町駅)間で
    あり、日本の都市として12番目というけっこう遅い開業。
    遅れた理由は、人力車団体の反対のためということだ。
    ちなみに日本最初の路面電車は明治28年(1894年)の京都市電。

    横浜市電のその最初の路線は、、
    明治5年(1872年)開通の日本最初の鉄道、
    品川(新橋)〜初代横浜駅の神奈川〜初代横浜駅(桜木町駅)で
    路線が重なっている。

    横浜市電(路面電車)を知るためには、鉄道の横浜駅の歴史を知る
    ことが必要だ。

    1887年(明治20年) 官設鉄道が国府津駅(御殿場線東海道線)
    まで延伸開業、初代横浜駅でスイッチバック式の配線となる。
    (つまり神奈川駅から初代横浜駅の路線と、保土ヶ谷駅と
    初代横浜駅がスイッチバックで繋がれたようだ)
    その後、明治29年(1895年)東海道線は神奈川から保土ヶ谷へと
    延びていき?(というか神奈川駅と保土ヶ谷駅をつなげたようだ)
    それから、その神奈川〜保土ヶ谷間に平沼駅をもうけることになり
    (1,5代横浜駅?現京浜急行の線路上にあったようだ?)
    それは明治34年(1901年)にできたとある。

    しかしやはり不便とのことで、高島町に大正4年(1915年)
    二代横浜駅ができ、初代横浜駅は桜木町駅となり、
    東海道電車線?(京浜東北線?)の
    二代横浜駅〜桜木町駅間は高架で電車が通ったようだ。
    (なぜ高架になったのか?その理由を私は知りたいが、、、
    それも二代横浜駅の高架の貨物線の下をくぐり抜けすぐに花咲橋の
    手前でぐっと高架にのぼる。その頃の国道1号線は、踏切だったの
    だろうか?マァその頃は自動車の数は少なかったので、、、)
    (大正3年の東京駅開業とともに東海道本線の東京〜高島町が電化
    される)
    (大正4年保土ヶ谷駅と初代横浜駅間のスイッチバック路線が廃止)
    その間というか、昭和3年三代横浜駅できるまであたり、
    神奈川〜大江橋(桜木町駅)間の市電の路線もかなり、
    変更があって、興味深い(個人的に、オタク的に)。

    昭和3年(1928年)に集中する私鉄とのかねあいで、
    (その頃の相模鉄道は神中鉄道という名であり、神中とは
    神奈川第一中学、現希望ヶ丘高の略だろう?しかしその頃神中は
    西区藤棚にあったわけだが、、、やはり神奈川の中央という意味
    での神中であろう?しかし創業者が神中卒だったのかも知れない。)
    「東横電鉄は、建設が始まるのは二代目の駅が高島町に
    あったころで、大正15年に神奈川〜丸子多摩川が開通します。
    ここから先は、二代目の横浜駅に入って国鉄に接続し、さらに
    桜木町、伊勢佐木町を通って鎌倉まで行こうとしていました。
    京浜電鉄は、品川から神奈川まであった線路を横浜の都心のほう
    まで延ばしていこうとするんですが、横浜駅には接続せずに、
    神奈川から岡野町あたりをぐるっと回って、平沼、戸部を通って
    長者町を目指す計画だった。免許も取っていたんですけれども、
    神奈川駅の廃止ということがあって、東海道線との接続駅が
    失われてしまった。じゃあ三代目の駅に入れなさいよということに
    なったわけです。神中鉄道も、最初は保土ヶ谷に接続する予定
    だったんです。たまたま横浜駅の移転があって、近くなったからか、
    変更されている。湘南電鉄は、最初、横須賀方面から黄金町まで
    来ていたんです。ここからは、桜木町につないで、桜木町を拠点に
    しようという案があったんです。結局これが実現せず、日ノ出町
    から戸部を通って、三代目横浜駅に入る。それで京浜電鉄に連絡
    するという今のルートに変わってしまったんです。
    結果的に三代目横浜駅がここにできたおかげで、横浜近辺の私鉄が
    全部ここに集中するという、全国でも異例な形になってしまったん
    です。もしこの移転がなければ、また全然違う形態になっていた
    ことが考えられます。」
    三代横浜駅ができたとある。
    (現横浜駅?位置は同じだが駅の建物を含め周辺も全く新しい!)
    (三代横浜駅の駅舎は1980年11月7日に東口新駅舎ができたと
    あるので、それまでは、1945年5月29日 の 横浜大空襲により
    駅設備の大半が焼失したにもかかわらず、東口駅舎は残っていた
    ということだろう?だから、これ以後の、1980年11月7日から
    の横浜駅は四代横浜駅といったほうがいいのだろう?)
    1964年(昭和39年)桜木町駅- 根岸線が磯子駅まで開通して
    国鉄桜木町駅は終点ではなく通過駅になる。

    現横浜駅には1976年(昭和51年)に 横浜市営地下鉄が開通し、
    (この線は横浜駅〜桜木町駅の地下も通る)
    2004年(平成16年)には 東急東横線横浜駅〜桜木町駅を廃止し、
    横浜高速鉄道みなとみらい線(地下鉄)が開通し東急東横線との
    相互直通運転開始される。(この線は横浜駅〜桜木町駅の海側の
    みなとみらい21エリアの地下も通る)
    横浜駅〜桜木町駅間の鉄道の変遷は、蒸気機関車、列車、路面電車、
    電車、地下鉄、、、旅客、貨物、、、国鉄、私鉄、市営鉄道など
    とても多様で興味深い。
    桜木町駅(初代横浜駅)は新橋駅よりも早く出来たので、たぶん
    品川駅(神奈川駅と同じような通過駅タイプの駅舎)とともに
    日本で一番最初の鉄道の駅(始発終着駅タイプの駅舎)なのだろう。
    桜木町駅の近くには紅葉坂という桜の名所(野毛山も桜の名所?)
    があり、花咲町という地名もあるので、桜木町駅のまわりにも
    桜がたくさん咲いていたのだろうか?たぶん桜木町駅の海側に
    桜が咲いていたのか、桜木町駅の錦絵にすこしだが描かれている。
    ●彩色写真(横浜写真)
    ●初代横浜駅
    ●神奈川台場(松山藩が構築、設計は勝海舟)
    ●上の緑色の文字の部分は
    有隣堂 平成16年1月1日 第434号 P2 より引用。
    上の画像は、
    ●初代新橋駅(現汐留?)
    ●陸蒸気
    ●初代品川駅
    ●初代横浜駅(現桜木町駅)
    ●初代横浜駅(遠くに見えるのは伊勢山で、右側駅舎の上部山頂付近
    に非常にわかりにくいが伊勢山皇大神宮の鳥居?が見える。
    右側駅舎の右側、画面中央付近には瓦斯局のレンガ煙突、その右側
    山頂付近には二階建てベランダ付洋館は離宮。手前の橋は弁天橋。
    写真には見えないが、左手に大江橋がある。この写真の右側には
    後年横浜ランドマークタワーがそびえることになる。) 
    ●伊勢山からみた横浜市街地(左上に初代横浜駅が見える。その上に
    は蒸気船か帆船か、外国航路の船がいくつか見える。初代横浜駅の
    右側、画面中央付近には大江橋が、わかりにくいが見える)
    ●神奈川台場の絵 幕末頃の横浜?(愛媛県知事久松伯爵が松山市の
    萬翠荘に壁画として残す)
    ●神奈川駅(この線路の上を日本最初の陸蒸気は走ったのだ!遠くに
    見えるのが横浜市街地、画面中央上部の左にカーブしてる線路の先
    に、初代横浜駅があり、現横浜駅は中央右手上部のカーブしている
    所のやや右側の海というか沼のあたりの位置だろう。
    写真に見える神奈川駅は今はない。手前の水平の道はたぶん東海道?
    で、左が品川、川崎、右が保土ヶ谷と思う。)
    ●新橋横浜之間鉄道之図 明治5年頃?部分。上部右の出島のような
    部分は神奈川台場か?
    ●横浜全図 明治3年1870年 部分。
    ●湘南電鉄沿線名所図会1930年昭和5年(吉田初三郎画)部分。
    この図を見ると湘南電鉄(現京浜急行)は黄金町から桜木町までを
    高架で結ぶ計画だったのが良くわかる。         画像加工



    0707技匠工芸
    横浜「市電の思い出」昭和37年頃
    昔、登校するときに、寝坊したりして遅れそうになると徒歩でなく
    市電を利用した。雪見橋の方からものすごく横ゆれしながらやって
    くる単車の市電の記憶は印象が強いのだが、、、
    単車でダブルルーフで、クリームとダークブルー(グリーン?鋼板
    でなく木造羽目板貼り?)のツートンカラーのはず?、、、
    それを図書館で借りてきた本で調べる。300型は昭和27年まで
    に廃車とあるので、やはり400型だ。
    中の写真は、昭和40年の撮影で桜木町駅の近く4番系統だ。
    (本で調べると420〜431の車両番号は昭和27〜41に廃車とある)
    カラーはクリームにブルーの帯だが、この塗装は41年頃からで
    あり、その前はクリームとダークブルーのツートンカラーだった
    はず。その仕様の車両のカラー写真は、私はまだ見たことがない。
    (今日発見する!0716)
    左の写真は、私が勝手に白黒写真を着色したものだ。
    その頃、都電はすべてボギー車で単車はなかったように思うが、
    元気のいい単車の横浜市電は私のタイプ。

    なぜ都電はすべて?ボギー車だったのかを調べると、昭和20年
    1945年3月10日の東京大空襲で602両が焼失して壊滅的な被害を
    こうむったという記録がある。横浜市電はそれにくらべ空襲による
    被害は約200両中、44両だけとある。
    空襲の被害のなかった京都市電はチンチン電車(京都市電北野線)
    が昭和36(1961)年まで走っていた。
    ●横浜市電の時代 長谷川弘和 大正出版株式会社
    ●ダブルルーフ
    ●単車
    ●ボギー車
    上の画像は、
    ●横浜市電400型421号。大正15年製造、横浜船渠
    (よこはませんきょ、ドック、のちの三菱重工業横浜造船所)製造。
    ●横浜市電400型422号 桜木町通り、昭和40年2月24日、
    うしろ高架線は東横線グリーン色の5000系車両。
    ●横浜市電300型307号 桜木町通り、昭和5年(1930年)
    上の写真と角度は異なるが、場所は同じ所、桜木町通り。
    ●横浜市電400型422号 桜木町駅前、昭和29年10月31日、
    この手前が大江橋、右手に見える市電は弁天橋を渡るのだろう。
    (このカラー写真はまったく美しい!まるで絵画のようだ。)
    ●横浜市電500型523号車内?復元車両?
    ●横浜市電400型420号車内、昭和40年4月11日。
    ●横浜市電400型423号、鉄板張り改造のため、腰羽目板を取り除
    いてある昭和35年3月16日。
    ●横浜市電1200型1204号 昭和37年3月3日、桜木町駅前から
    大江橋方面を見る、工事中の国鉄根岸線の橋桁が見える。
    橋桁の下あたりが大江橋。大江橋を渡ると馬車道、尾上町と市電の
    停留所があった。(私はこの写真の光景を目撃しました。)
    下の画像は、京都市電北野線チンチン電車(狭軌1型2号車)
    製造初年は明確ではないらしいが,明治後半と推定されるらしい。
    1900年頃?                    画像加工


    0707技匠工芸
    岩手「花巻電鉄の思い出」昭和35年頃恋の片道切符
    花巻電鉄は大正4年(1915年)の開業から、昭和40年、
    昭和44年と縮小され昭和47年に廃止される。
    123456789012345678901234567準備中
    ●日本の路面電車2 原口隆行 JTB出版販売センター
    ●ロンリー東京人
    上の画像は花巻電鉄デハ4号(チュウチュウトレイン?)画像加工


    0428技匠工芸
    「横浜と京都」宮川香山と真葛長造
    123456789012345678901234567準備中
    ●宮川香山
    ●真葛長造
    ●京都市中央図書館
    上の画像は、貫入黄釉盛絵金彩花枝二鷹高彫花瓶。
    昭和20年5月29日横浜大空襲。
    (写真中央からやや左下あたりか?南区にあった横浜真葛焼の工場
    および住居が全焼、三代香山も焼死)
    横浜真葛焼の工場。                 画像加工


    2006年

    1224
    「氷川丸とマリンタワー」文化遺産
    氷川丸と横浜マリンタワーが25日で営業停止のニュース。
    なんとなくわびしく、そしてちょっとビックリの感じもする。
    さてこのたびキリンビールで、明治仕様のラガーが復刻発売された。
    その缶のラベルには、
    KIRIN BREWERY COMPANY,LIMITED とあるが、資料を調べると
    JAPAN BREWERY COMPANY,LIMITED とあるようだ。
    日本最初のビール醸造所は横浜・山手の「スプリング・バレー・
    ブルワリー」(生ビールか?)であり、それを麒麟麦酒株式会社が
    引き継いだとある。つまりこの復刻ラガービールは、文明開化時代、
    1888年、最初のキリンブランドで、当時18銭で発売された、
    横浜の味ということだろう。
    ちなみにサッポロラガービール(札幌麦酒)
    も1888年に16銭で発売されたとある。
    ●「スプリング・バレー・ブルワリー」
    上の画像は、。 画像加工

    1115
    神戸・横浜散歩 芸備の道
    123456789012345678901234567準備中
    ●司馬遼太郎 街道をゆく21
    ●朝日文芸文庫
    上の画像は、。           画像加工


    1112
    「アートミュージアム・横浜」
    123456789012345678901234567準備中
    ●
    上の画像は、。         カメディアとW41H 画像加工


    1112
    「ふるさと野毛・横浜」
    123456789012345678901234567準備中
    ●
    上の画像は、。           カメディア画像加工


    1111
    「パシフィコ横浜」
    123456789012345678901234567準備中
    ●
    上の画像は、。           カメディア画像加工


    0803
    ヘルシーな・凍頂烏龍茶
    マァめやすとして100グラム1000円で、おいしい凍頂烏龍茶
    を飲みたいですね。マァめやすとして、むらす時間は4分かな?
    ●西門通りあたり                
    上の画像は             カプリオ画像加工


    0802
    かわいい・杏仁豆腐
    人生イロイロ、杏仁豆腐もイロイロ、、、結局、こんな寒天系の咲
    き乱れる杏仁豆腐が、私のタイプ。
    ●大通りあたり                
    上の画像は                 カプリオ画像加工


    0802
    あたりまえの・春巻
    どんなに苦しかろうが、のぞみを捨てては行けない。もし朝おきて
    今日は、ちょっとうまい春巻がたべたいな、と思ったなら、それを
    妥協してはいけない。そのまま、のぞみ号にちょいと飛び乗れば、
    サイコーに優雅な昼食に間に合う、まるで金団雲に乗ったみたいに。
    ●大通りあたり                 
    上の画像は             カプリオ画像加工


    0419
    江戸時代の横浜絵図で思い出す
    123456789012345678901234567準備中
    風土建築●サライ(雑誌バックナンバー)
    上左画像は、野毛切り通しの絵図(部分)左手前は野毛橋(現都橋)
    中央は吉田橋、右上は遊郭(現横浜スタジアム)私は野毛橋と吉田
    橋の間の松並木の道を毎日、吉田中学まで通学していた。
    上中央画像の手前左の海につきだしているのは、横浜のお台場。
    遠くに吉田橋が見える。
    上右画像のぴおシティは野毛橋の近くにある。    画像加工


    0306
    ゴールデンな子供時代
    昔々横浜の桜木町駅のみなとみらい地区と反対側駅前に、今は名前
    が変わっているかもしれないがゴールデンセンターという商業施設
    ビルがあり、そこの地下フロアに飲食、食品関係のお店がたくさん
    あって、ちょいとおいしい食材を買うのに便利なので、私はよくお
    使いにいかされた。
    あの時代のイメージは、セピア色のリズムアンドブルースか、、、
    「こんなメシくえるか!」と家を飛び出し野毛のレストラン小西で
    ハンバークライスをよく食べたなあ、、、
    カンバック!カンバック!カンバック!
    ワインをちょっと飲みすぎる。

    レストラン小西(たぶん今はないだろう)をインターネットで検索
    したら港・横浜裏観光ガイドというサイトにヒットする。
    私の子供の頃「勝烈庵」と言うと高級なお店というイメージがあり
    何か「晴れ」の時の会食そんな印象でした。(自分が大人になって
    昼食に利用できるようになるとは夢にも思ってませんでしたよ。)
    レストラン小西はどちらかと言うとカジュアルでしたが。
    そこに上のコメントがあった。レストラン小西はやはりあったのだ。
    たしかにあの頃のトンカツって、かなりのゴチソウだった、、、 
    ハンバークはゴチソウというより、テガルな洋食だったのだろう。
    (今と同じと言えば同じだが、マクドナルドハンバーガーとは、
    まったく異なるということは理解してもらえるだろう)
    レストラン小西はカジュアルというか大衆食堂というのが私の記憶、、、
    上の画像は、桜木町ぴおシティ。図の下側に野毛商店街がひろがる。
                              画像加工


    2005年

    0918
    ニッポン万博こと始め
    昨日放映されたNHK教育ETV第2部「ニッポン万博こと始め、世界
    に挑んだ明治の職人たち」の録画を見る。おもしろい!備前藩お抱
    え金工師の正阿弥勝義、京都から新天地横浜に移り住んだ陶芸家の
    宮川香山。すばらしい!
    これら明治の職人たちの技は、極みでありピークであり、今はもう
    不可能な領域の技であろう。
    今宵は十五夜。
    上の画像は、十五夜の月。              画像加工


    2004年

    2003年

    2002年