観光の目玉とされる中島閘門は、昭和9年に建設され、平成10年に復元。同年、木構造物としては全国初の国指定重要文化財になった。閘門はもう1つ復元されていて、天門橋付近にある「牛島閘門」がそれだ。
梅雨時になると、運河の水面が一面、藻で覆われる。南米産の「オオカナダモ」と言われる種類で、熱帯魚用水草や植物の実験材料として持ち込まれたらしい。水深2bの底までびっしり繁殖しており、大きな網をクレーンつけてすくい上げているが、すくった後から繁殖するから、いたちごっこだ。この費用が年間約1千万円。
もっと怖くてやっかいなのが、全国的に問題になり、その猛毒で恐れられたダイオキシンである。12年、閘門付近の川底から、国の基準値を大幅に上回る、最大6千5百ピコcが検出された。排出元は特定できていない。「ダイオキシン類は水に溶けにくく、飲用にも利用されていない」と、県は人へのいますぐの害については楽観的だが、「親水、憩いの場」に、そんなものが沈んでいるのは、なんとも気持ちが悪い。
しかも、この除去が、一筋縄ではいかない。計算では総量が、全国でも例がない26万6千立方b。除去費用だけで20億円以上。その無害化には、さらに膨大な費用がかかる。県は「対策検討委員会」を立ち上げているが、まだ、しゅんせつ実験の段階だ。しゅんせつ土の一部は、既に富山新港東埋め立て地に搬出されており、15年5月にこれを遮水シートと土砂で覆う工事をしている。漏れ出す心配はない、と県は言っているが、引き続き周辺での監視を続けているという。
06年10月になって、拡張工事中の環水公園の地下から、基準値の2倍の鉛が検出された。これにも県は大慌てだ。
富岩運河は、「暴れ神通川」の副産物である。神通川は、明治中期に今の富山城址付近まで大きく蛇行し、大雨のたびに市街地を浸水した。そこで、川の直線化工事が始まったが、至る所に蛇行部分が廃川地として残った。ここを埋めるためには、大量の土砂がいる。妙案が生まれた。土砂は、海岸まで“みぞ”を直線的に掘って取り出し、跡を運河とする。北部地域に工場を立地し、そこへは船を使って資材を運ぶ。まさに一石二鳥。昭和5年に掘削開始、5年間で開通した。
一時は「埋め立て案」も
運河の水も当然、ゆるくではあるが流れている。といってもわずかだが、河口部と天門橋の標高差は2.7b。しかし、上流から大量の水を流し込むわけにいかないので、このままだと運河の水はすべて海へ流れ、上流が干上がってしまう。そこで堰が造られた。だが、これでは船が通過できない。それが、この横に設けられた閘門の役割である。堰によって上流部の水深を約2bにキープし、下流部との水位差を、閘門の水を操作することにによって、船を水面に浮かせたまま、上流、あるいは下流へ送り出すのだ。
運河は開通当初、水もきれいで人が泳いだり、魚釣りを楽しむ人も多く、親水の役割も果たしたらしい。しかし、運河沿いに立地した工場はパルプ、セメントなどわずか。しかも、資材輸送はトラックにとって替わり、運河の水運の役割は急速に廃れる。水面は貯木場と化した。当然、環境が悪くなり、住民から苦情が相次ぎ、埋め立て論争が起きた。昭和30−40年の、いわゆる高度成長期である。全国の運河でも同じような論争が起きた。
富山県の結論は「再活用」である。62年に「ポートルネッサンス21」と名付けられた再開発計画がたてられ、平成元年から「住友」を除く、3つのゾーンで整備が始まった。「舟だまり」だった現在の環水公園の上流は埋められ、ここには後に、富山市立体育館や共生センターなどが建てられた。
いったい運河は全国にいくつあるのだろうか。答えは、琵琶湖疎水の1カ所である。「運河法」という法律があり、これによって各地の運河が維持管理、整備されていたが、水運の衰退などで法の適用を受けるところは減り、運河を再生を図る自治体は、港湾整備事業としてや都市計画法に基づいた整備を始めたのだ。
富岩運河の3つのゾーンの事業費は膨大だ。総額で220億円。うち本体の運河には両岸の整備、付属施設などに100億円。環水公園には120億円で、うち最高は用地費の72億、天門橋に10億、泉と滝の広場に5億円などである。「本体」には、藻の除去費、それにダイオキシンの除去費がかかる。“金食い運河”だ。実施率は80%で、整備が終わったところから順次、一般に開放されている。運河本体の工事はほとんど終わっているが、全部が完了するのは30年ごろ、と県は言っている。
全国的に有名な運河と言えば、小樽、柳川、利根(千葉)、芝浦(東京)、堀川(愛知)などがある。中でも小樽は抜群で、年間観光客750万人(17年度)の6割以上がここを訪れるという。小樽も「運河埋め立て論」にさらされたが、幅を半分埋めて幹線道路としただけで生き残った。メーン部分は長さ660b、幅20b。このコンパクトな所に、個性的な店舗として活用されている旧石造倉庫群をはじめ、ポケットギャラリーや壁画、特徴のある橋、ガス灯など新旧取り混ぜた「仕掛け」がある。近くの市街地にあるレトロな旧銀行支店などの建物ともうまくリンクしている。
活性化案は目白押し
現存するこれらの運河に比べて富岩運河は規模が大きい割に、いまいち人気がない。11年に富山で「運河サミット」が開かれ、元気のいい事例が数多く発表された。それを受ける形で、15年に県が「運河活用検討委員会」をつくり、いろんな提言を出した。「野鳥観察」や「遊覧船の運航」、「中島閘門の活用」、「魚釣り」、「散策」など盛りだくさんだ。富山市は、ライトレールとのリンクも考えている。
だが、個々の提言はあまり実現していない。「遊覧船」などのイベントの多くは年に1−2回程度。閘門の見学者も思ったほどではない。多くの人は、閘門は見ただけでは、仕組みが簡単に理解できない。実際に船を浮かべれば「一見にしかず」なのだが、その船が思うようにチャーターできない。全て新しく復元された牛島閘門となると、さらに寂しい。構造は中島閘門と同じで、小さいだけだが、「ここに、これがあった」というだけで、小舟さえ通れない「いたち川」とのリンクがうまくイメージできない、という意見が多い。
「提言は提言、活用は民間が頼り」が現状のようだが、民間もそう簡単に動けず、加えて県の財政事情もよくない。それにしても、施設が全て完成するのは12年先、加えてダイオキシン除去は方法も予算も未定というのは、心許ない。


運河。ゆったりした流れの水面を、観光船やプレジャーボートが行き交い、両岸には釣り糸を垂れる人や散歩を楽しむ人。鳥や魚たちの天国でもある−。本来なら「富岩運河」は、いまごろこんな楽園になっているはずである。だが、両岸を整備し、かつ国指定重要文化財の「中島閘門」やオブジェ、ミニ噴水などの改修・設置も終えたのに、肝心のにぎわいがないのだ。しかも、溜まるヘドロや、湧くように発生する大量の藻の除去など、バカ高い維持費。そのヘドロに、とてつもない高濃度の猛毒ダイオキシンが沈んでいた。長大運河は「お荷物」にならなければいいのだが。
富岩運河は、正確には最上流部の環水公園、富岩運河、岩瀬運河、住友運河の4つの総称だ。幅はいずれも40−60b、水深2b。曲線が美しいアーチ型の橋「天門橋」と周囲がライトで囲まれた広い水面。これが環水公園。近くには富山市立体育館などの公共施設があり、これらとリンクしているように見える。
変化に乏しい直線5`
運河は、天門橋付近を起点に富山港口までの5キロを言う。しかし、現在、観光的や親水という点から整備されているのは、中島閘門までの2キロだ。残り2つの運河のうち「岩瀬」は、カナル会館を中心にプレジャーボートの基地として再生、環水公園とともにそれなりの存在感がある。「住友」は、貯木水面として使われている。
「本体」である富岩運河は、閘門までの両岸の園路(歩道)の大半が、いわゆる石畳。園路添いは緑地だ。左岸の一部には湿地にして、そこを木道で通る。土、日曜などを中心に散歩する人が見られるが、何しろ運河はほぼ直線で変化に乏しく、閘門まで結構遠い。オブジェなどの構造物もあまり目立たない。両岸には工場があり、中には騒音を出している所もある。住宅地や工場地区を通る川も何本か流れ込んでいる。喫茶店など、あろうはずがない。夏は日陰がないうえ、照り返しが強く、冬は雪があって散歩にはきつい。