




「“拝啓 石井知事さま”とは、なんですか」ー。
「ホームページ更新」の案内メールを差し上げると、その都度、多くの方からメールを頂きます。多くは激励ですが、中には「制度的欠陥をあげつらったり、重箱の隅をほじくっている」というのもあります。
「拝啓 石井知事であるべき理由」は、(1)知事そのものが敬語。「先生さま」と言いますか。(2)「さま」によって、書き手がへりくだっているように見える。(3)さらには、相手を茶化しているようで、原稿の品が落ちる。イエローペーパーならそれでいい。ー
実は、筆者の原稿の各所に「知事」と書いており、これでは一貫性がありません。「へりくだり」、「茶化す」気持ちはむろんありませんが、そのことに気付かないのが怖いです。この人からのメールにはまさに感服です。
筆者の原稿に「県民の多くは」とか「とは言えないだろうか」のような表現がよくあります。これには「なぜ、自分の言葉で書けないのか」というお叱りもあります。
「マスコミがあまり取り上げない告発ものは刺激を与えてくれる」、「一過性でなく、全体像が捕えてあって分かりやすい。いつでも見られる点もいい」というメールも頂きました。
最近、石川県内の北陸線で、車の乗り入れ禁止の狭い踏切に入って脱輪し、特急と衝突、14時間も全列車が運休になる事故がありました。
この事故の裏には、関係機関の“怠慢”が多々ありました。検証が終わらないと復旧作業に取り掛かれないと受け取った鉄道側、その点での態度があいまいだった国の検査機関。
しかも、この踏切は、遮断機・警報機、それに監視カメラ付きという、住民の既得権に低頭したアンタッチャブルなものでした。廃止しなくても、1本の進入防止のポストを打てば事故は防げた、という管理の杜撰さも伴いました。
この原稿には、「長時間の不通で富山県民も大きな迷惑を受けた。しかも、復旧が長引いた背景をマスコミは報じていない。取材が甘いのでは…」という、こちらへの“激励”の言葉がありました。
時に、些細な事柄の原稿にも反応が来ます。
「知事の後援会長が電力会社の元会長とは…」。「確かにテレビで見る知事はいつもにこにこ顔。シビアな場面なのに…」(最近は、ご覧の通り、目立ちません=筆者)
昨年の1月に「38豪雪を知っていますか」という原稿を書きました。県の映像センターに当時のフィルム映像のあることを知り、それとリンクしたら、これが評判になりました。
原稿は、筆者が新潟に出張した際、三条市付近で筆者の乗る列車(SL)が大雪に閉じ込められ、大幅に遅れて帰社したという内容でした。
最近、ある大手紙の電子版のアーカイブに、筆者と同じような体験を書いた記事が載りました。この記者は、筆者と同時刻ごろ、新潟から東京に向かった急行「越路」という列車に乗り合わせ、その列車も雪であちこちで立ち往生し、108時間もかかって上野に着いたというルポでした。不思議な感懐を味わいました。
今回、タイミングを逃した“原稿“があります。仮のタイトルは「真夜中の交響詩フィンランディアー金沢の意気込み」です。昨年のカウントダウン・コンサートの夜、5時間にもわたって、1200人もの市民が、オーケストラの演奏や20人もの合吟、芸者衆の踊りに酔いしれた、というだけのことですが、それが15年も続いている凄さ。
さらには、元日に、香林坊の一部を除き、駅前の全店がオープンしている様子を目の当たりにして、この街の圧倒的なエネルギーを感じました。
(12年1月)
スマホって“未完”の商品?
機能多いが、使いこなし困難
電話会社が相次いでスマートホン(以下スマホ)の新型を売り出している。「携帯」の数を追い越したそうだが、テレビなどが報じる「子どもからお年寄りまで使っている」というのは過大表現。電話会社のお先棒を担いでいるようにもみえる。主要な電話会社4社が売り出している機種は、「最新」だけで10種を超える。
自分の持っているスマホの後継機が出れば、「違い」が気になる。ところが、ショップの説明が頼りない。OSという基本的な中心機能が少しバージョンアップしたか、それに便乗して、ソフトの欠陥部分を手直ししたか、「アプリ」と言われる、ゲームや“あれば便利もの”のいずれかだろう。
分厚いマニュアルがあっても、誰も読まないし、理解が出来ない。そこでショップに問い合わせると、「同じ型のもので“再現”しますからお待ちを」といったことが多い。
筆者が持っているスマホについて、不便な点から並べよう。
電池の消耗が恐ろしく早い。病院の待合室などでワンセグTVを見つつ、文字ニュースを読むことがよくあるが、20分と持たず、さて次はインターネット、というわけにはいかない。電池量の表示がまだ半分なのに、TVの消費量が多いからか、受信がカットされることも。
携帯電話の充電は、充電器にセットするだけでよいが、スマホンは底の小さな差し込み口に充電器からのケーブルを挿入する。これが面倒だ。
携帯はキーを押すので、入力ミスはそれほどない。だが、スマホは「タップ」と呼ぶ、画面タッチ方式。この「ミスタップ」が多発する。もっとも、ゲームに親しむ世代なら、苦にならないかも知れない。
インターネットは使えるとは言え、文字や絵が細かい。指で部分拡大することは出来るが、ミスタップは起きる。パソコンなら、マウスでほぼ確実に項目を選ぶことが出来るのだ。
電池の消耗の早いのと、ミスタップの多さから、「スマホを買ったが携帯も手放せない」という若い人も結構、多いようだ。純正でない予備電源を持ち歩く人もいる。
メールの受信、送信項目は、縦が1センチほどの枠に、差出人(受信の場合)、件名、送信時間の3行が並んでいて、どれも虫眼鏡の世界である。本文も、長めのものはとても打っておれない。アプリ・ソフトの“仕業”で、電話帳の人数が3倍ぐらいにも増える時があるから怖い。
今を時めく「You Tube」も見られるが、“見られる”という程度だ。画面が小さくて迫力がなく、パソコンのようには録画ができない。
スマホは高性能なカメラを内蔵している。だが、一般の人は、撮った写真をスマホの画面でしか見られない。実はパソコンに取り出して、プリントすることも出来るのだが、難しいせいか、マニュアルにも、それを補う解説書にも、そこまでは書いてない。
筆者流から見た“欠点”を並べ過ぎたが、むろん、ナビとか、ゲームとか、「レストランがどこにあるか」など言った情報入手で重宝している人が多いことも確かだ。

“おばあさん、急がなくていいよ”
なお使いにくいATM、気になる後ろの客
休み明けの月曜日、銀行のATMの前に、列が出来る。お年寄りが多い。年金が振り込まれる日はなおさらだ。
時折、通帳を何冊も抱えていて、それを次から次へと出し入れするお年寄りがいる。預貯金を知人に頼まれたか、集金した金を預けているように見える。
「何を、もたもたしとる」。後ろの方から、そのような声が聞こえる。お年寄りは、ひとまず中断してもいいかと考えつつ、機械から離れない。操作は歯がゆいほどスローモーに見える。
もしも、お年寄りがこの手続きを窓口に頼むと、どうなるか。まず、整理券を機械から受け取り、どれだけか待って、係員から出される書類に記入、ハンコを押す。昔はそうだったが、客も少なく、誰も、そうせこせこしていなかった。窓口係りの人も多かった。
預金詐欺事件が頻発してから、ATMの画面が「確認」に次ぐ「確認」で、不便になったが、苦情が相次ぎやや改善された。とはいえ、「ご利用控え」が入用の人が多いはずなのら、この「必要」のボタンが左に、「不要」が右にある。逆ではないか。
ボタン操作は、「引き出し」の場合、暗証番号-金額-確認のシンプルさが基本である。
ATMだけが、お年寄りに優しくない施設ではない。
「よっこらしょっ」と言いながら手すりにつかまりながら、バスのステップを上る姿をよく見掛ける。富山地鉄の場合、約180台のうち低床(ノンスップ)バスはまだ4割程度である。ライトレールが開通してから、沿線から離れた地域から、中心商店街への直行バスが減った。数少ない病院行きのバスだけが“盛況”である。
渡り切らないうちに、「赤」に変わる交差点の青信号。電話番号が10ケタぐらいになると、誰しも途中でまごつく。途端に切れてしまうプッシュホン。
優しくないことの最たるものは、幾本ものチューブにつながれ、意識のないまま長期間、寝かされている状態だろう。このような人も含めた「要介護5度」の高齢者(65歳以上)が、富山県内で6,800人(23年
3月現在、医務課調べ)。同世代人口の2.4%で、全国でも高い方だ。 この人たちは、「死と向き合う」という崇高な言葉とは無縁なのだろうか。
とめどない復興費、薄らぐ思いやりの心
手放しで喜べない? 新幹線の延伸
「恐ろしいというより言葉がなかった。テレビで何度も見た時の体の震え。被災地では、その何倍もの戦慄を感じた」ー。県東部の自治体幹部は、数か月前、被災地で見た感想をそう述べた。リポートをまとめたが、「読み返してみると、訴えるものがない。歯がゆい」と嘆いた。
県議や富山、高岡、黒部、滑川などの市議、自治体の防災担当の職員らの多くが、自発的にあるいは公務で現地を視察した。中には、自らボランティアを買って出た人もいたという。
「歯がゆい」と思った自治体幹部は、「自分が戦時中に体験したひもじさ、寒さ、暗黒など多くのことが、よみがえって来たが、その体験がひどく小さく思えた」ともいう。
富山県内の多くの自治体では、放射線から逃れてきた人たちに住居を提供するなど、支援を活動を続けている。だが、本当の復興は遅々として進まない。富山のように遠く離れた住民には、大震災は、“過去のこと”に映っているようにも見える。
北陸新幹線建設の敦賀までの延伸が伝えられた日、石井知事は手放しの喜びようだった。同じ日の地元紙は、県の重要要望事項がほとんど認められた、と大きな見出し付きで書いた。
「被災地のことを思うと、新幹線で喜んでもおれないが…」。知事の言葉に、そんなコメントがあっても良かったのではないか。それまでは、政権党に“不快感”を露わにしていた知事である。
「敦賀延伸は、福井県の原発群の再稼働への“お土産”かも」という話が、関係者の間で交わされているという。「いまの政権党だからこそ、一概に、うがった見方とは言えない」という意見があるが、さて…。
県民は、国はいま1000兆円という膨大な借金を抱えていて、新幹線建設費もそれと無関係ではないと思う人が多い。事実、県の担当課には「24年度の新幹線建設費が減額されるのでは…」との空気が漂っていた。
復興の費用に充てる復興債の発行予定額は約2兆7千億円。この償還は「復興増税」で賄われるという。巨大ダムなどのコンクリート構造物の建設を促進しながらの、この“算段”はどう理解したものか。
「がれきを受け入れて…」という被災地の声に、いまだほとんどの自治体が“音なし”である。どうだろうか。石井知事が自ら「やろうではないか。我々の世代の責任だ」と、ひと声上げては…。市町村もついてこないわけにはいかない。それがパワーとなって、各地で行き詰っている、ごみの最終処分場問題にも道が開けるかもしれない。
大災害は優しさ、安心・安全の大切さを改めて教えてくれた。中でも原発の後処理は、歯がゆいほど、とめどがない。第二、第三の原発災害は絶対に防ぐ。それは国や自治体の責務である。
先ごろ、鳥取県が島根原発(島根県)を抱える中国電力と原子力協
定を結んだ。同県は原発から17kmしか離れていないが、防災対策の重点地域圏外(8-10km)の自治体では全国初の締結。
協定には、国が防災対策重点地域を30キロ圏内まで広げた場合、改定に向けて協議をすることが盛り込まれた。鳥取県知事は「まだ出発点。交渉を重ね、原発立地県並みの運用を迫っていく」と言っている(朝日新聞)。
「30km圏」の拡大は必至とみられるが、その場合、氷見市のほとんどが含まれる。鳥取と中国電力の協定には「立ち入り調査権」はまだないが、この動きが全国的に広まれば、かなり強いものになりそうだ。石井知事も、ぜひとも、その先頭に立ってほしい。
氷見市の議員、職員は最近、志賀原発を見学したという。それも大事だが、ぜひ福島の状況も見てほしいものだ。


