

「ここだけの話」と対峙した1つの新聞、1つのTV
沖縄の前政府高官、前復興担当大臣の発言
「ここだけの話」は、庶民の中にもいつもある。大したことのあるものから、犬も食わないものまで。その、大したことのある、かつ“忌まわしい”言葉を政治家が相次いで言った。悲しいことに、それを聞いた記者の多くは書かなかった。ネグレクトした新聞、放送は、“後追い”というみじめな思いをする。
沖縄での前防衛局長の「ここだけの話」(以下オフレコ)は、こうして生まれたようだ。
居酒屋での記者たちとの非公式の懇談会。関係者の発言を記録、報道しないことを前提としたオフレコ形式だった。会費制で9人が参加し、局長はテーブルの中央に座った。「環境影響調査報告をなぜ年内に提出しないのか」との地元、琉球新報社の記者の質問に、局長は「女性を犯す前に“犯しますよ”と言いますか」と応じた。
同社は「オフレコとはいえ、読者に伝える義務がある」としてこれを記事にした。同時に「わが社はなぜ書いたか」という記事も載せた。他の8人は書かなかったが、その中に、同社のライバル紙(沖縄)の記者もいた。
ライバル紙は、書かなかった理由について「本紙記者は離れたところにいて発言内容を確認できなかった」と紙面で説明した。
以上は、琉球新報に載った記事をもとにしたもので、同社とライバル紙にもこのことを確認した。
記事が載った後、沖縄防衛局(報道)は、「オフレコである以上、否定せざるを得ない。新報社を出入り禁止とする」と言ってきたという。
宮城県知事に対する、松本前復興担当大臣の、あの“恫喝”に似たシーン。テレビで繰り返し流されたので、覚えている方も多いと思う。程度の差はあれ、身近にも、あのようなタイプの政治家や企業の幹部がいるーそう思った人もいるだろう。
この1件を報じたのは、東北放送(仙台市)。午後11時過ぎのテレビのニュースのトップだった。前大臣が“暴言”を吐いたのは昼過ぎで、局内でも放送するかどうかで論議され、深夜近くの放送になったという。
『お客さんが来るときは、自分が入ってから客を呼べ。いいか。長幼の序が分かっている自衛隊ならやるぞ。(記者団に)今の最後の部分はオフレコです。絶対書いたら、その社は終わりだから』。前大臣の発言は、ひと言で言えば「威圧的」で、沖縄での政府高官の発言よりは「結果」の軽重以前に、はるかにレベルが低い。
このニュースは、他の報道機関が一斉にフォローしたが、東北放送が報じなければ、フォローはなかったかも知れない。「その社は終わりだから」の言葉よりも、発言のバカさ加減を“優先”させたようだ。
テレビで報じられたシーンはYou Tube に転送され、これまた多くの国民が目にした。格好の政治ショーであった。
ある大手紙のコラムがオフレコ発言についてこう書いていた。
「窮屈な世の中にしないよう、暴言失言にはまず弁護席に立って吟味するのが小欄(コラム)の習性だが、非公式の記者懇談にしても今回の防衛局長の発言はかばいようがない」
“不作為のオフレコ”と言えるものもある。九州電力の「やらせメール事件」は、市民討論会や佐賀県知事と九電の動きなどから、その事実が、早くから噂されていた。
しかし、このことを、九電や県の強い否定にもめげず、執拗な取材を続け記事にしたのは、政党の機関紙的な新聞だった。他のマスメディアは“後追い”をせず、1週間後、国会で問題になってから、連日書きまくった。
このような“オフレコ”は、全国あちこちで起きているのではないだろうか。
(11年12月)

「県民ニーズ世論調査」、必要ですか?
「景気対策が4年続けて1位、2位は雇用の確保と創出、3位は医療の充実…」。こんな県民世論調査の結果が地元紙に大きく載った。ちなみに、他には高齢者福祉の充実、防災・危機管理など。
世論調査は、県の総合計画に掲げる施策のうち、主要なものについて県民1,200人を対象に尋ね、約8割から回答があった。対象者は県の担当課が、住民票台帳をもとに年齢などに配慮して抽出。委託業者が調査票を持って該当者宅を訪れた。費用は200万円。
調査は、既に42回に上るが、いったい、これらの県民ニーズは調査までしなければ得られないほどのことなのか。「さらに結果を詳細に分析して施策に生かす」そうだが、さて何が浮かび上がるのだろうか。
ニーズの多くは、世相を反映するものであるし、県の各課は常にそれらに敏感であるはず。また、県議会議員は県政報告会を開き、ヒザ突き合わせて県民のニーズを聞いているという。“アンテナ”は強力なはずだ。
調査項目や設問の仕方などは明らかにされていないが、それらを吟味、工夫することによって、時に県民の真摯な“目からウロコ”のような意見や要望が拾い上げられると思うのだが…。

“温存”されたミニ踏切の惨事
石川の列車衝突 復旧、数時間で済んだ?
ミニ踏切で特急と車が衝突、車の残骸を300m引きづり、停止した位置がこれまた同じ型のミニ踏切。踏切は乗用車通行禁止なのに、「進入止め」がなかった。しかも、この300mの間に数年前にできた立体交差道路が2本もかかっていた。
事故は11月29日の夜明けごろ、石川県加賀市の北陸線の踏切で起きた。線路の間に車輪を落として動けない乗用車に、富山発大阪行き特急が衝突。運行が再開されるまでに12時間半もかかり、特急、普通合わせて108本が運休した。
ミニ踏切には、警報機、遮断機、さらには監視カメラまで付いていた。幅は2m、複線のため長さは14mにも。ずっと以前は耕運機なども渡っていたが、いまは住民の通行専用だ。別のミニ踏切も同じタイプ。そのようなミニ踏切は石川県内に7カ所、富山県内にも「いくつかある」(JR)という。
何とか廃止したいというJR側の思いと、地元民の「存続要望」が、なんとなく共存していたらしい。「進入止めがない」という管理の杜撰なところへ、「石川県外の人が道に迷って進入、脱線」という“想定外”のことが起きた。
事故で、列車の最前部の一軸が脱線したほか前部が壊れ、脱線した車輪が走ったコンクリート枕木に傷がつき、枕木の何本かを交換したという。信号ケーブルの一部も損壊した。
事故の原因は“単純”である。けが人もいない。ところが、警察の現場検証に、運輸安全委員会(以下委員会)の調査が加わった。この間、復旧作業らしいことはほとんど出来なかった(JR金沢支社広報課)。保線区の関係者は「現場は見ていないが、復旧だけなら5,6時間ぐらいで済んだのでは」と言っている。
委員会は東京(国交省)にしかなく、鉄道担当の調査官2人が現場に着いたのは、午後2時半ごろ。事故発生から7時間余りたっていた。
JRが事故を委員会に通報した際、「現場保存が優先で、復旧作業は始められない」と受け取った。
一方の、委員会(広報)は「法律で、脱線の場合は、まず現場に赴くとなっている。JR側に現場保存、つまりそれまでは復旧作業をするな」と言ってはいない」と言っている。
委員会は、調査官の出発と同時に、新潟運輸支局のスタッフに現場写真を撮るよう依頼していた。
火事が発生すると、消防は人命の救助と同時に消火に全力をあげる。原因究明はその後だ。このことを、新潟運輸支局に話すと「そう言われると、辛いものがあります」と言った。
「復旧の遅れについて、こちらでもクレームを受けた。JR側と意思の疎通を欠いた点があったかもしれない。お客様への迷惑は当然考えた。今後、その点を十分に心掛けて検証に臨む」と、委員会(広報)は言っている。


「田んぼと山しかないなぁー」
−「Railways」 あなたはどう見ましたか
冒頭の感想は、試写会を見た県の幹部が述べたものだそうだ。
映画には「愛を伝えられない大人たちへ」という、たいそうなサブタイトルがついていて、ポスターなどには「富山県内オールロケ」とうたってあった。
観客数の伸びは、関係者が驚くほどで、スタートとしてはまずまずのようである。ストーリーはともかく、余貴美子の冴えた演技力と三浦友和の存在感が、観客の心を捕えたのかも知れない。
ところで、「田んぼと山しか…」だが、かなりの富山県人が、そう感じたようだ。それなりの“ご当地向けシーン”を期待していたら、これがえらく“渋い”のである。
乗客の少ない地鉄電車が何度も田園を走る背景は、スカっとした冠雪の立山連峰ではなく、墨絵のよう。ヘリから撮られた田んぼの中の単線、電鉄富山駅のホームも不自然なほどに人影まばら。運転手詰所のある南富山駅の正面は3回ほど写し出され、これが何とも素朴な姿。
加えて、「レッドアロー号は西武鉄道からの払い下げ」とまで俳優に言わせる丁寧さ。運転手の安月給を思わせるシーンもちょこちょこあった。
もしかして、制作側は“ど田舎”を強調したわけではなく、その視点を大事にすることによって、“ストーリーの深部”を浮き上がらせたかったーそう考えるのはどうだろうか。
セリフの中で「そいがやちゃ」などの言葉が出るたびに、館内で失笑が起きた。「どこか変」という思いと、「自分が、日ごろあんな(ダサイ)言葉を使っているのか」という一種の自己嫌悪を感じたようにも見えた。
富山弁の多くは、映画も演劇などでよく使われる東北弁と違い、どこか野暮ったく、ニュアンスが難しい。俳優たちが手こずったことは想像できる。