いま中心市街地では、郊外で大賑わいの大型ショッピングセンターと対抗するように、これでもか、これでもかと大駐車場やマンションが建てられている。マンションの建設業者や居住者には、建設費や購入費の一部助成まで行う力の入れようだ。
もともと「中心市街地」の定義がはっきりせず、助成などに対しては、同じ市街地内で、日々の食料品を買い求めるスーパーに逃げられ、自らも廃業を余儀なくされた元自営業者からは、「うらやましい」といった声も出ている。政策の説明が十分に行き渡っていないようにも見える。
環状線建設の見通しはどうだろうか。県などは「国はLRTに傾いており、追い風が吹いている」と見ている。社会的な意義は絶大なのだ。しかし、問題は、ライトレールなどの場合と同様、工事費や利用者数、それらからなる採算性の問題である。
予想される難工事
駅前−西町の乗降客は現在、1日3,000人、駅前−大学前は同2,500人。富山地鉄では、「総じて苦戦を強いられているが、何とかやっている」と言っている。新環状線計画について、市と地鉄との協議はまだ始まったばかりだが、今のところ、施設の全てを、市または市が中心となる第3セクターが持ち、運営は地鉄に委託される方向のようだ。ライトレール同様、市が表に出れば、多額の補助金(税金)が国や県、市から引き出せるからだ。
地鉄では、これまで、かつての丸の内−旅籠町−西町の路線を復活しようとか、ほかに新たな路線を敷設しようという案は出ていないと言っている。
工事も難工事が予想されている。短区間とはいえ、旧国道など主要道を2本も通る一方で、市民プラザ前の通りのように狭いところも通る。「人、物、施設などの面で問題点が多く出てこよう。複線が理想だが、初期投資がかさむことや限られた用地のことを考慮すると、難しい面がありそう」という声もある。
また、沿線の市民には「回遊性を図ろうというのなら、小回りの利くカッコいいバスを投入する方が効率的。経費も安くつく」という声も出ている。
富山市議会は、ライトレールの建設には大賛成だった。だが、今回の環状線化については議会の一般質問でも、積極論はあまり見られない。先の議会特別委員会では「環状線化のメリツト、デメリットをはっきりさせ、大手町ルートにする理由を示せ」という意見が出された。これに関連して、中心市街地づくりの方針が一部変更されたことを追及する意見もあった。
市電を中心にした、富山市周辺の公共交通は、建設以来、ジリ貧の一途をたどった。原因は、無論、マイカーの急激な増加。加えて中心市街地の魅力が薄れて誘引力が落ち、郊外の大型ショッピングセンターが、幅広い層を引き寄せているという現状がある。
目を覆う廃線の歴史
市電はもともと富山市が経営していた。まず昭和3年、西町−旧赤十字病院前が開通、11年に「環状線化」がなった。18年に地鉄に譲渡され、まもなく戦争でかなりの被害を受けるが、21年にいち早く駅前−南富山が開通、駅前−大学前が続いた。36年には不二越−中教院前線が西に延びて「東西線」を形成、大学前線と結んだ。
郊外へ向かう路線は、射水(14.4`)、笹津(12.4`)、富岩(10.5`)の3つがあった。「富岩線」はもともと地鉄の所有だったが、港という要衝地を抱えていたことなどから、地鉄の反対を押し切り、国策として国に移管された。
これら路線の廃止は、昭和40年ころから始まった。41年に、高岡駅前を起点とした加越能鉄道の伏木線・新湊線(計12.8`)と直通運転していた射水線が、越の潟(旧新湊市)を富山新港とする大型工事によって切断され、それぞれ折り返し運転になった。55年には射水線は廃止になり、撤去した線路の跡地がバス専用路になったが、高岡側は第三セクターの「万葉線」として活躍している。射水線は、かつては西町まで乗り入れていた。
50年、南富山と笹津を結んでいた笹津線が廃止、近郊線は後のJR富山港線だけとなり、これは06年春、ポートラムに生まれ変わった。
市電の区間廃止は、まず昭和47年9月、中教院前−地鉄ビル前(1.4キロ)が、翌年3月には丸の内−西町(0.9キロ)、約10年後の59年3月には西町−不二越駅前(1.4キロ)が廃止された。同路線は、建設されてわずか23年間の命だった。
富山市の「環状線化計画」は、これらの廃止の歴史を眺めると、とても悲観的になるが、「ライトレールの街」への先兵とする、しっかりとした見通しと、それを支える市民の意欲が成否のカギを握っているようだ。
(06年11月)



JR富山駅前から南へ1本、西へ1本の富山地鉄経営の市内電車が走っている。南富山−富山駅前−富山大学前と見れば1本だ。戦前に建設され、戦災で壊滅的ダメージを受けながら復興し、網の目のように張り巡らされたが、漸次廃線の運命をたどった。最近、この2方向の路線の中間を結んで「環状線化」する計画を富山市が立案、論議を呼んでいる。かつてほぼ同じルートに路線があり、いわば「復活作戦」だ。建設費は20億円以上が見込まれ、国や県、市の補助頼みだが、果たして狙い通りの「中心街活性化」の切り札となるのかどうか。
変形リバイバル路線
富山市が新たな市電の線路を敷こうとしているのは、西町から西へ進み越前町で右折。市民プラザ前を通って県道(旧8号線)に出、左折して丸の内で大学前方面の線路と結ぶ0.9`で、通称「大手町ルート」。
これを聞いて「あれっ」と思う人が多いだろう。実は、西町−旅篭町−丸の内には、昭和48年3月までの約40年間、市電が走っていて環状線を形成していたのである。新線計画は、いわば“変形リバイバル路線”ともいえる。
いまなぜ、環状線化なのか。富山市が挙げる背景的な理由は、おおよそ3つ。@市街地の人口密度の低下。特に中心市街地の空洞化が著しいAマイカーの増加B公共交通の衰退−だ。このため、既に「まちなか居住の推進」など、いろんな政策を実施したり計画をたてている。その中心的役割を果たさせようとするのが環状線化というわけだ。
環状線化することによって、回遊性を向上させ、車がなくても便利で暮らしやすい都心地区をつくるとか、将来、新幹線などの高架化によって、例えばライトレールと現在の市電との「南北一体化」という考えもあるという。