「富山県の県債残高が初めて1兆円を超えた」―。多くの新聞が、本年度の県予算について、こんな大きな見出し(資料=朝日)で報じました。この借金額は1人当たりにすると、およそ89万円になります。
しかし、この「1兆円」に関するローカル紙の見出しは、極めて小さいか、無視されていました(資料=北日本)。ローカル紙には、県に好意的な「ほんわかした」見出しばかりが並んでいました。
ある大手紙は、さらに「北陸新幹線建設費が県予算に大きくのしかかっている」とも書きました。県債残高が増加した理由は、道路やホールなどの公共建築物が次々と造ったからです。いわゆる「バブルの時代」でした。マスコミは、なんの疑いも見通しもなく、これらの政策を支持しました。 現在、暫定税率を廃止するかどうかの議論が、世論を2分しています。この時期に、富山県が、暫定が廃止された場合の「試算」を発表しました。「市街地の開発は遅れ、富山大橋の架け替えは3年先になる」などが、主な内容でした。
ところが、この「試算」内容を報道したのは、ローカル紙2紙だけでした。見出しは特大でした。大手紙は無視しました。なぜでしょう。
みなさんもご存知のとおり、一般的な事故や災害、および殺人などのニュース価値は、その規模や残虐性、普遍性、距離、社会への影響などによって、判断されます。光市での母子強姦殺人事件、東京での夫の遺体切断事件、秋田での連続子供殺害事件、さらには中越沖地震は、まさに「第一級の事件・事故」です。
それでは、最近頻発している硫化水素による自殺や延命装置の取り外ずし、などの事件は、どう考えたらいいでしょう。どちらも、とても大きな社会的な事件ですが、いくつかのマスコミは、このニュースの見出しを小さくしたり、完全に無視したものもありました。 連鎖反応を恐れたのです。延命装置の取り外しは、「医師による殺人」に結びつくかもしれません。慎重にならざるを得ないのです。
ところで、ニュースに見出しをつけるのは、それほど簡単ではありません。 普通、見出しは2本で、右側にある「主見出し」は8文字がカッコよく、ベストです。傍にある「ゲタ見出し」は10文字がベストです。もちろん、見出しの意味と記事は、中学生にも容易に理解出来るものでないといけません。
記事が長くて、見出しが小さいものでも見落とさないでください。時には、その中から有益な知識を得ることができるかも知れません。
最近始まった後期高齢者医療制度と年金制度の統合は、大きな混乱を引き起こしています。これらのシステムには、最初から欠陥が含まれていました。言うまでもなく、それらは役所の失態―うっかりミスと言ってもいいのですがー、マスコミもまた、怠慢や不勉強のため、それらの問題のチェックを怠ったと言われても仕方がありません。
硫化水素の作り方は2年前にインターネットで見受けられました。しかし、だれも、むろん、マスコミも全く無関心で、警鐘を鳴らしませんでした。有害な情報ですから、当然、そのホームページを削除するなどの方法もあったはずです。
いま、マスコミ業界で特に心配されていることは、全国のローカル紙が、地方の行政権力に「にじり寄って」いることです。最初に書いた「1兆円の県債残高」と「暫定税率」のニュースの書き方が、その典型的な例と言えます。1兆円」は行政にとって不利益な事実の隠蔽、後者の「暫定税率」は「県民への脅し」または「世論誘導」とさえ言えるのです。
いま、大半の新聞が、生き残るために懸命の努力をしています。若い人たちが新聞を読まなくなったこと、いわゆる活字離れ、そして電子新聞(インターネット)への志向が強くなっていることです。さらに、新聞は新聞の価格を上げることが出来ない状況にあります。テレビの世界では、広告の奪い合いがますます激しくなっています。
特にローカル紙は、行政側と組んでイベントを次々と仕掛け、間接的な収入を得るとともに、知名度を上げ、新聞の部数を増やします。むろん、行政側も「よくやっている」との評価を県民から受けます。双方が「利益」を受けるわけです。こんな関係では、新聞は行政側の「不都合な問題」を自由に書くことが出来るのでしょうか。
これからは、新聞というものを、少しばかり疑いの目をもって読んでほしいと願っています。
(この原稿は、筆者が週一で通っている富山外国語専門学校
公開講座で行ったプレゼンテーションの日本語訳です)
(08年5月)