ダイアナ・スペンサーは、1961年7月1日の午後、エドワード・ジョニー・スペンサーとフランシス・ロシェ夫人の三女として誕生した。
しかしダイアナが6才の時、スペンサーの暴力に耐え切れなくなったフランシスは、愛人の許に走った。父の許に残された子供達・・。
母に捨てられたというさびしさがダイアナを襲った。
離婚の翌年、ダイアナは貴族の令嬢達が学ぶ寄宿学校に入学した。
運動神経抜群で活発なダイアナが見られた反面、情緒不安定で過食と嘔吐を繰り返す摂食障害に陥っていた。
後、スイスの花嫁学校へ入るが、ホームシックにかかりわずか6ヶ月でロンドンへ。やがて、曽祖母の遺産で、ロンドンに豪華なアパートを借り、料理教室やダンススクールに通いながら、幼稚園で週に3日ほど働き、小遣いや生活費を稼いでいた。
この時、ダイアナ18才。友人との共同生活は、自由で一番楽しい時間だったかもしれない。
1972年、チャールズとカミラ・シャンドは初めて出会った。
チャールズは、この時彼女に一目ぼれしていた。
決して美人とは言えない彼女だったが、ユーモアや会話のセンスが良くチャールズはすっかり魅了されてしまった。
しかし、男性経験のある一才年上のカミラに対して、結婚への踏ん切りがつけなかった。そんな優柔不断なチャールズに対してカミラは近衛儀仗騎兵隊の大尉・アンドル・パーカー=ボウルズと結婚してしまう。
カミラは、トム、ローラという2人の子供を生むが、チャールズとの仲は終わることなく、逢瀬は続いた。
カミラの夫もまた、自分の出世の為に、妻の不倫を歓迎していたようだ。
1980年夏、王室のパーティーでチャールズは19才のダイアナに目を留めた。
3年前に、ダイアナの姉・セーラは、チャールズと交際していた。
そのチャールズがセーラからダイアナへ心を移したのは、冷淡だったセーラに対してダイアナは、大叔父・マウントバッテニ卿の死の時、優しく慰めてくれたりした事だった。
それからは、オペラ鑑賞やポロの試合など、2人のデートが重なった。
出会いからわずか二ヶ月ほどでマスコミが動き出し、騒ぎ出してしまった。
人妻・カミラ・ホールズへの思いもあり、優柔不断なチャールズ本人がまだ決断が出来ないうちに、報道が過熱してしまったのだ。
1981年2月24日、皇太子はダイアナ・スペンサーとの婚約を発表した。
そして、ダイアナはバッキンガム宮殿に移り住み、結婚の為のお妃教育を受けた。そこで待っていたのは、チャールズのク−ルな対応、王室内での息が詰まるような雰囲気、つねに護衛やマスコミなそ人の目にさらされているプレッシャー・・・。さらに、この時初めてチャールズの恋人・カミラの存在を知った。FとGの石をからめた金のブレスレットを見つけてしまったのだ。チャールズは別れのプレゼントだと弁解したが・・結婚式の二日前、それを持ってカミラに会いに出掛けたー。
そんなこともありダ゙イアナはしだいに精神的に不安になり、再び過食症に陥っていくー。
それから五ヶ月後の7月、ロンドンのセント・ポール大聖堂で世紀のロイヤルウェディングが執り行われた。
おとぎ話しの始まりは実は悲劇の始まりだったー。
新婚旅行中は、チャールズは釣りと本にあけくれ、自分に無頓着なチャールズ。
さらに、結婚生活でも業務や公務での自由のない王室生活、ダ゙イアナは過食と拒食を繰り返し、ノイローゼ状態になり、妊娠三ヶ月に自殺未遂も図った。すぐに病院へ運ばれことなきを終え、その後、無事長男・ウイリアム王子を出産した。
しかし、その子供への教育方針でも姑・エリザベス女王とも確執が発覚し、徐々にロイヤル・ファミリー内から孤立していった。
日々輝きを増すダ゙イアナは、美しいプリンセスとして成長し、ダ゙イアナ人気はとどまる事を知らなかった。それとは逆に、人気が地に落ち、おもしろくなかったチャールズ。益々、ダ゙イアナから気持ちが離れていってしまった。
1984年、次男・ハリー王子の出産後、ダ゙イアナとチャールズの仲は完全に終わった。と同時に、カミラとチャールズの親密さは、増して行った。
一方、ダ゙イアナも寂しさと口惜しさで一番身近にいた、王室警護係・バリー・マナキに悩みを聞いてもらううち、親しくなった。
しかし、1986年7月、マナキは突然異動となり、その翌年春、バイク事故で死亡。
その他にも、乗馬の教師だった騎兵隊の将校・ジェームズ・ヒューイット少佐。
銀行家のフィリップ・ダン。近衛騎兵連隊・ディヴィッド・ウォーターハウス少佐。
ギリビー社の御曹司・ジェームズ・ギルビー。
美術商のオリヴァー・ホア、etc・・・。・・・・
次々とマスコミに暴露されては、情事にピリオドをうったダ゙イアナ。
別居から離婚へ突き進んだのは、ダ゙イアナ自らの暴露本出版やテレビ出演だった。
そして、1996年7月晴れて離婚したダ゙イアナは自由を手に入れた。
そして、翌年の夏・アルファイド・ドディと恋に落ちた。
この夏は、ダ゙イアナは恋人と2人の王子ととともにフランスのリヴィエラ海岸でバカンスを過ごした。
それは、マスコミの取材合戦を再熱させた。
そんなパパラッチの執念が最悪の事態となって、ダ゙イアナを襲った!!
1997年8月31日深夜、彼女の乗ったリムジンは、トンネル内のコンクリートの支柱に激突し、同乗していた恋人・ドディと運転手も即死した。
皮肉なことに・・この衝撃的な死により、ダ゙イアナは永遠のプリンセスとして名を残すこととなった・・・・。 |
このダイアナの死は・・・。
本当にパパラッチによる執拗な追跡をふりはらった為だったのか・・!?
運転手の飲酒運転が原因だったのか!?
未だに多くの謎と憶測が飛び交っている。 |
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