2月のあるのどかな日。こんな日は午前中 の得意先まわりを早々にきりあげ、弁当を買 っていつもの土手に向かう。川沿いにつづく 細い砂利道。川を右に見ながら車をゆっくり と走らせる。この道からゆるやかな傾斜の土 手がくだり、きれいに雑草が生え揃う河原の 向こうに川が流れる。 川幅はどれくらいだろう。だいたい電車の 車両一両分くらいか。川底が見えるくらいの 深さで流れもおだやかだ。 やがて、いつものポイントにたどり着き、 土手の傾斜がはじまるギリギリのところに車 を止める。そうして車の中から川を見下ろし ながらお昼を食べる。 それにしてもいい天気だ。「3月下旬ごろ の暖かい陽気となるでしょう」という今朝の 予報どおりだ。 せっかくだから窓を少し開けてみる。草の においと一緒にここちよい空気がスゥーと車 内に入ってくる。実に気持ちがいい。 おかげでいつもと同じからあげ弁当がおい しく感じられた。こういう時だけは営業でよ かったとつくづく思う。 さて、午後の仕事開始まではまだまだ時間 があるので、これまたいつものように昼寝に 入ることにする。シートを倒しながら何気な く河原を見下ろす。おっ、向こう岸の土手に もスーツ姿のサラリーマンが地べたに座って るぞ。 (ん?) あわててシートを起こして目をこらす。あれ はなんだ?スーツ姿ではあるが人ではない。 顔が、というより頭部全体が、魚だ。ちょう どワイシャツの首の部分に大きめの魚がのっ ている感じ。さらによく見ると、ズボンのす そと上着の袖から出てるのは、ヒレだ。 なんだなんだなんだ?半魚人の着ぐるみの 上にさらにスーツを着て、ちゃんとネクタイ までしめて。 何かの撮影か?それともどっかの劇団の練 習か。それらしき人たちをあたりに探すが誰 もいない。彼(?)ひとりのようだ。 驚きと状況把握の混乱に陥っていると、や がてそいつが立ち上がった。ヒタヒタと川の 方へ歩いていき、水際までくるとズボンのす そを丁寧にめくり始めた。 川へ入るつもりか?めくったすそから見え てくるのはやはり魚のヒレ、のような感じの 足、いや、ヒレ。 時間をかけたわりにはたいしてめくりもし ない。そして準備万端とばかりに一歩川へ近 付き、ゆっくりと右足ヒレを水面のほうへ伸 ばす。 ヒレの先が水に入った瞬間 「うっきゃっほう!」 と、かん高い声をあげ、手足をバタバタさせ てピョンピョン飛びはねながら辺りを走り始 めた。 思わず笑ってしまった。魚の格好をして水 に入れないなんて滑稽すぎる。 やがてしばらくすると動きをピタリと止め、 くるりと川の方へ向き直って、何ごともなか ったかのようにまたヒタヒタと歩き出した。 そして川へ足をゆっくりと伸ばし、水に触れ ると 「うっきゃっほう!」 とまたバタバタと走り始めた。 こいつは面白い。もっと近くで見たくなり、 車を降りてヤツに気づかれないように土手の 中腹あたりまで行き、腰をおろした。 その間もずっと、水に右足ヒレを入れては 「うっきゃっほう!」バタバタバタバタ、ピ タリ。ヒタヒタ、そろ〜り、「うっきゃっほ う!」を繰り返している。 ここまで来ると頭の部分の魚がはっきりと 見える。なんともグロテスクなアンコウのよ うな魚。おそらく深海魚の一種。 それにしてもよく出来た着ぐるみだ。質感 から何から本物そっくり。そっくりを飛び越 えてむしろ生々しい。しかしスーツ着用とい うへんてこさが妙なおとぼけを醸し出してい る。 一体いつまで同じことを繰り返すのだろう。 いっこうに水の中へ入っていけそうにない。 のどかな河原にヤツのすっとんきょうな声だ けがこだまする。 でもなんか楽しそうだ。水に入ることより も「うっきゃっほう!」を楽しんでるように も見える。顔(?)はあくまでもグロテスク な深海魚なのだが、うれしそうな表情にも見 える。きっとそうだ、ヤツはあれを楽しんで いる。 その様子があまりに笑えるのでしばらく眺 めていたが、ふと、水がどのくらいの冷たさ なのか確かめたくなった。 向こう岸のヤツの真正面を避けるように川 に近づき、裸足になってそっと足を入れてみ た。 なんだ、たしかに冷たいけれどそんなに大 騒ぎするほどではない。暖かい陽の光とヒン ヤリと気持ちのいい川の水が子供の頃を思い 出させるようで、しばらくバシャバシャと遊 んでみた。 何か急に静かになったような気がして、無 意識にヤツのいるほうに目を向けた。すると、 ヤツは微動だにせずこちらをじっーと見てい る。 あれ、気づかれたか。あの深海魚ぶりでそ んなに凝視されると、ちょっと不気味な感じ もするが“どーも”というつもりで頭を下げ てみた。 するとヤツも同じように頭を下げた。その 様子がこちらをほっとさせた。思いきって聞 いてみる。 「何かの練習なんですかぁ?」 ヤツも何かを言って返してる様子なのだが声 は出ていない。頭の魚をとるわけにはいかな いのだろうか。一応もう1回 「よくできてますね、その着ぐるみ」 と自分の体を指差すジェスチャーをしながら さらに大きな声を出した。すると向こうも自 分の体を指差しながら何かを言ってるようだ が、やはり声が出ていない。 これ以上声をかけても同じような気がした ので 「がんばってください」 と会釈し、車に戻ることにした。何をがんば るのかよく分からないが。 (邪魔をしてしまったかな) 靴を履きながらふと気になってヤツの方を見 てみた。するとヤツも前かがみになりながら こっちを見ている。靴はないのに靴を履くよ うな仕種をしている。 あまりによく目(顔?)が合うので今度は 手を振ってみた。ヤツも同じように手ヒレを 振る。もっと大きく振ってみた。すると向こ うも大きく振る。まったく同じように大きく 振る。 なんだ?こっちの真似をしているのだろう か。その確認もこめて両手で軽く万歳をして みた。むこうも両手ヒレで万歳。次は小さく 前ならえをすると、ヤツも小さく前ならえ。 アキレス腱を伸ばすポーズ、右手をあげると 見せかけて左手をあげる。ジャンプすると見 せかけてジャンプしない、息があがるくらい 色々やってみたが、全て見事に真似された。 (まったく、真似すんなよっ) そんなの無視すればいいのだが、真似される と気になって、なんとかして振りきってやろ うと思ってしまう。 (バカバカしい、子供じゃあるまいし) そう自分をおさめようとするのだが、なんか 悔しい。 そうだ!名案が思い浮かんだ。これならヤ ツも真似できない。笑いがこみあげてくるの をこらえて川辺へ行き、再び裸足になった。 ヤツは相変わらず全ての動きを完璧に真似し ている。 (ここから先は真似できるかな) ヤツから目を離さずにゆっくりと右足を水に 沈めた。ヤツはたまらず声をあげるに違いな い。 ところが、ヤツも右足ヒレを水の中に入れ たままじっとこっちを見ている。 (くそっ、やっぱりあれは遊びだったのか) さあ、どうする。両者右足を川に浸したまま のにらみあいが続いた。 こうなったら逆にヤツの真似をしてやろう。 なるべくかん高い声で 「うっきゃっほう!」 と言ってみた。すると向こうも 「うっきゃっほう!」 と声をあげた。しかしここからが違った。こ ちらは水にじっと足を入れっぱなしなのに対 し、ヤツは例のバタバタバタバタ、ピタリの 動きを繰り返し始めた。 (やった!) 勝負はついた。ヤツの「うっきゃっほう!」 を背中で聞きながら、余裕で足を拭き、靴下 と靴を履いてゆっくりと歩いて車に戻った。 その間、一度も振り返らず。 しかし車にキーをさした時、うしろから 「ドボンッ」 と大きな音がしたので思わず振り返ってしま った。 川の水面にたくさんの泡がたっていた。そ して、ヤツの姿も消えていた。 2002,3,3 |
・演歌のいばら道 |