その人たちは美術館で、展示室の端々でイ
スに腰かけている。美術館という独特の空気
の中に深く沈むようにしてそこにいる。主に
女性が多いのだが、ひざ掛けをして品よく静
かにじっと座っている。
 壁づたいに作品を観ていくとその延長上に
現れたりするので、無意識に視線を移すとそ
こにあるのは絵画ではなく生身の人だった、
なんてことがあったりして少しびっくりする。
 彼女(彼)達は会場の係員として、鑑賞者
が作品に触れたり、その他むちゃなことをし
ないように気を使う、いわば「ソフトな見張
り役」がその仕事のひとつ。でもむちゃする
人はそう滅多にいないから、当然じっと座っ
てる時間が多くなる。
 そんな時、もし自分だったら何を心配する
か。
 もちろん「眠気」。眠るにはあまりに最適
な美術館のあのシンとした雰囲気。
 体を動かしたりガムを噛んだりなんて出来
ないから、眠気が襲ってきたら丸腰での真っ
向勝負となる。それで勝てるか?いや無理。
とても無理。がんばってみるけどとても無理。
 そのへんのことを考慮してではないだろう
けど、美術館のソフトな見張り役さん達は、
比較的短い時間でその「見張り位置」を順繰
りに移動しているようだ。
 しかしそれでも船をこいでしまう人がたま
にいる。
 まぶたを閉じるまでが2、完全に閉じてる
のが1、ハッとして目を覚まし、かろうじて
目を開けているのが3、という時間配分でこ
の動きを規則的に延々とくりかえしている。
 きっと本人は眠気に打ち勝っているつもり
なんだと思う。
(私ったら、ギリギリのところで眠らずにい
るっ)
て思ってるんだと思う、きっと。自分もそう
だから。でもはたから見るとすっかり眠って
るのよね、やっぱり。
 こうして時々、作品を観てるのか何なのか
訳がわからなくなったりするのでした。

 その人は新宿駅近くにじっと立っていた。
「私の志集 200円」と書いた紙を持って
直立不動のまま前を見つめていた。
 かつて僕は、毎週金曜日に新宿から終電近
くに帰る生活をしていて、小走りに駅へ向か
う途中でいつも彼女を見ていた。
 この若い女性がいるのはいつも遅い時間。
昼間とか夕方に見たことはない。週1回通る
だけだから、毎日そこにいるかどうかは分か
らないけど、暑い夏も寒い冬もいつも決まっ
た位置にじっと立っていた。
 週末で、しかも夜遅いだけに彼女のそばを
通っていくのはお酒がはいって千鳥足の人が
多い。そういう連中にからまれたりしないん
だろうか。しかしそんな隙を与えまいとする
かのような、そして駅に向かう人の波に流さ
れまいとするかのような、かたくなまでの凛
とした立ち姿だった。
 そもそも自分が書いた詩集を売っているわ
けだから、むしろ人に寄ってきてほしいとこ
ろなんだろうけど、彼女が発するその気迫に
も近いオーラのせいか、うかつには声をかけ
にくい感じがあった。
 でもその詩集が気にはなっていた。「詩集」
ではなく「志集」であるところに。
 彼女の「凛」はそんな志の表れか。
 そのまっすぐな視線の先にいったい何を見
ているのだろう。 
 彼女を初めて見てから約3年間、気にはな
りながらも彼女の脇を素通りし続けた。
 そして僕の毎週金曜新宿通いの生活も終わ
り、 彼女の姿を見ることもなくなった。
 それから1年経った冬のある日、何曜日か
忘れたけど夜遅くに、相変わらず同じ場所に
立つ彼女を見つけた。
(まだやってるんだぁ)
考えてみると、彼女は僕が知ってるだけでも
4年近く立っていることになる。その時間の
長さと思いがけない再会とで、彼女を見る僕
の目はある種の感動でキラキラ輝いていたか
も知れない。
 しかしひさしぶりの彼女の姿は意外なもの
だった。
 彼女が、寒さに震えていた。
 哀しげな表情で肩をすくめて立っていた。
まっすぐに前を見据えたキリッとした顔つき
しか記憶にない僕にとって、そんな彼女を見
るのは初めてだった。
 その帰りの電車の中で僕は決意した。
(よし、志集を買おう)
それから何日もしないうちに再び夜遅い新宿
に行った。わざわざ行った。しかしそこに彼
女の姿はなかった。なんてこった。買おうと
思って来るとこれだ。いつも彼女がいる場所
に立って周りを見渡す。人の波に押し流され
そうになりながら彼女の姿を探す。
 しかしいくら見渡してもいないものはいな
い。
 その後曜日を変えて行ってみても彼女には
会えなかった。金曜日にもいない。もう会う
ことはできないのか。
 やがて春が過ぎて夏。
 チャンスは忘れたころにやってきた。気持
ち的にはもうすっかりあきらめてたころに偶
然「彼女のいつもの立ち位置」を通った。
 そこに彼女が立っていた。
 いつもどおりの毅然とした彼女が。
(!)
 封印された「買う決意」が一瞬にしてよみ
がえった。
 鼻息を荒くして財布に手をのばそうとする。
待て待て。鼻息が荒いとはどういうことだ?
そう、この日僕はお酒をしこたま飲んでいた。
このまま行ったらただの酔っぱらいがふざけ
半分で詩集を買いにきたと思われてしまう。  
それは避けたい。また今度にするか?いや、
この機会を逃すといつ会えるか分からない。
 こうしてうだうだ迷っている酔っぱらいの
姿は、彼女の清廉な視線の延長線上にすっか
りひっかかってるに違いない。
 顔が赤くてお酒臭いのはどうしようもない。
とにかく意識をしっかり持って、礼儀をつく
して接すること。
 決意を新たにした僕は、全誠意、全人格を
もって彼女に声をかけたのでした。


ああああああああああああああ2001,7,31





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