小豆島は吉備の国
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| 小豆島は吉備の国 |
小豆島は、いまは香川県に属しているが、古くは吉備の国の児島の一部であった。
日本書紀は応神天皇の二十二年の条の、天皇が吉備の国へ行幸した話の中に「吉備に幸して小豆島に遊びたまう」と記して、小豆島が吉備の国の一部であることを述べている。平城宮の発掘によって出土した木簡の中には「吉備国子嶋郡小豆郷志磨里」と記したものも発見されている。さらに下って、続日本紀も延暦三年(784)十月の条に「備前国児島郡小豆嶋で放牧していた官牛が民の田畑を荒らすので、この牛を邑久郡の長島に移す」と云う記事が見える。
現在の児島半島もまた、古代には小豆島と並ぶ大きな島であった。従って、小豆島のみならず、児島と小豆島の間に点在している豊島・直島など直島諸島の島々もまた吉備の国の児島郡であったことが知られるのである。すなわち、現在の香川県小豆郡はかつては備前国児島郡の範囲であった。
陸続きになった児島半島を除いて、小豆島や直島諸島の島々が讃岐の国になってしまったのは何時頃のことであろうか。どうも、その時期は漠然としている。
南北朝時代の貞和三年(1347)、それまで南朝方として小豆島を領有していた備前国児島の佐々木信胤が、北朝方である讃岐国守護の細川氏に攻められて降伏し、小豆島が細川領となったことが事の起こりのようである。しかし、細川領となってからも、やはり備前国小豆島と呼ばれていたらしい。豊臣時代や江戸時代前半は天領となったので、その所属は必ずしも明確ではなく、特に、江戸時代中期には備前国倉敷代官所の所管になっていた。宝永五年(1708)頃、幕府はこの天領を一時的に高松藩の預かりにする。小豆島が明らかに讃岐国小豆島と称されるようになったのは、この時のようである。
ところで、岡山県の南の瀬戸内の海には、東半分に小豆島・直島諸島があり、西半分には塩飽諸島がある。この西半分の塩飽諸島の方はどうだったのだろう。こちらも現在は大部分が香川県である。しかし古代はやはり吉備国ではなかったろうかと思われるが、この方についてはどうもよく分からない。ここは中世を通じて、芸予の海の村上水軍と並び称せられた塩飽水軍の根拠地で、政治的独立性が極めて強く、江戸時代には何藩にも属しない自治制度が行われていたほどである。しかし、平安時代末期には近衛家領の荘園として「讃岐国塩飽荘」と見えるので、少なくとも、この頃はすでに、讃岐国に属していたようである。しかし、それより古い時期のことについてはよく分からない。
私は、去年も今年も、夏休みのお盆前後、家族で鷲羽山のホテルに一二泊した。何度来ても、備讃瀬戸の島影の美しさには心が洗われる。瀬戸大橋が、その風景の中で視点を引き締める。でも、その度に私は、これらの美しい島々が、手前にある一つ二つの小さい島を除いて、すべて香川県のものであることに、何とも云いようのない変な気持ちにおそわれる。何だか、他人の家の軒下に杭を打って地所を囲い込んでいるみたいで、実に不自然そのもののように思われるのである。
私はずっと以前、塩飽の本島の出身の人と昵懇だったことがある。彼が酒飲み話にこんな話をしていたことを私は今でも覚えている。「塩飽の漁師と児島の漁師とは仲がとても悪かった。漁場のことでいつも争いが絶えなかった。だから、明治になって廃藩置県の時、塩飽諸島は岡山県に入らないで香川県に入ったのだ」と。歴史的には、そのようなことで香川県に属したのではなかろうが、岡山人・香川人の性格からすると、ありそうなことのように思えるのだった。
(1998年9月)
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写真は http://www.town.uchinomi.kagawa.jp/kanko/kanko_f.html より