300年
それは多分確かではないこと。 恐らく、いや数え間違いがないのなら、朽ちたものにかけて200と68だと彼は笑った。 俄かには信じ難く、また途方もない数字と時間だと思った。あのいつもランゲイと二人楽しそうに笑っている子供はその実遥かに歳を重ねた人間で、外見とは裏腹に大人びた顔を凄みを持って覗かせる。 別れは尚そういう一面で。 お互い生きるのには間違いがないが、馴れ合う必要はなくもう逢う事もないかと夕日を背にした。そのテッドの手にはランゲイが愛用した水パイプが握られている。美しい日に二人打たれ一人の人間を思っていた。 「もう十ももたない。あんまりよくは判らないけれど、あれは我慢が利かないからなぁ。元よりよくもった方だ」 「死ぬのか」 「間違いなく。…人の正しい道だよ。サナには酷かもしんねぇけど」 戦いは終息を迎え、残り火ももう消える。それを先導したのは崇拝を持って慕われた元は盗賊の少年。 そう少年だ。俺が奴に掴まったのはそう早い時期ではなかったが、よくこんな人間を頭に据えたものかと暫し呆れた記憶がある。過ごした時間は充分にそれを払拭したが、今でも時折そう思う。 ランゲイが紋章を手にしたのはそれなりに遠い日だそうだ。あれは定かには喋らないが、この大地に立った瞬間と似たような時期だと。ランゲイの年月は彼の外見からしか想像出来ないが、炎の英雄ランゲイはどう贔屓目に見ても18歳以下の外見をしている。風聞が流れ出したのは何時の頃だろうと夜の席でたまに目を閉じた。 テッドが本当に成長を止めたのは17の時だと云う。 「間抜けな事に小さな小さないたいけなお子様だった俺はまんまと小狡い大人に紋章を奪われてしまてってだね」 一息でそう云ってまずはとテッドは琥珀色の酒を煽った。もう慣れてそう飲む意味はないけども、逃避物体だね。甘いあじーと同席した子供は似合わない台詞と一緒にその酒を煽る。ゆっくりと余り目立たない喉仏が上下してから、再び口を開いた。 隠れ家という名の通りこの大洞は薄暗い。迷い道のようにいくつもの穴が繋がった洞穴。見つけたのは誰だったか、蜂の巣のようなこれが俺達の隠れ家だ。その洞の一つの酒場。時間は盛りを過ぎて人は少なかった。それでもそう人前で話す事でもないのと、一応幹部というものらしい俺達は奥まった席に通された。テッドだけが愛想を振りまいて適当に注文をしてうきうきと上機嫌で。もっとも彼はいつもそんなものだが。 俺はテッドに確かめるように聞いた。過去を、年月を。テッドは楽しそうに笑って酒場に誘って手を引いた。語らう者は久々だと口元が緩んでいるのが見えた。 今は外見の話だ。時間を映す事のないそれ。 「俺はこれを手放す事が出来ない身の上だから、必死で取り返したよ。情けない事にもう何かアイデンティティだしなぁ」 そう云って右手を撫でる様はけして俺には出来ない事だと思う。これとは付き合うしかないし、手放すつもりもないが、馴れ合えるものでもないと理解している。お前達はおかしいと子供二人に云えば、唯馬鹿にしたような答えばかり返ってきた。 「これの不老の仕組みはよく知んねぇけど、外してた間にここまで大きく育っちまった。出来る事が増えたのはいいけどな」 「煩わしい事が増えたか」 「そうだ!」 始めに成長を止めた時と、再び止めた時。合わせて恐らく17だと云った。手足が伸び声も変わり、人が変わり触れ合いが変わる。途端に寂しくなって、人を抱く事を覚えた。それが許される事が堪らないと彼は云う。 「小さかった時期が俺は長過ぎた。長い間そのつもりで居たから自分がこう変わるなんて思わなかったんだ。ギャップが凄かったなぁ。肌に触れるものが変わってしまった」 小さな子供が生きる方法と演じる事も違う。自分はもう「出来て」しまっていたし、胸が小さいままの自分は違和感ばかりが肥大して押し潰されそうだと。それが寂しくて堪らなかったらしい。女の肌も男の肌も同じ意味ではなくなり、体の時間が動いて心が遅れて動く。小さいままの時はそれを知ってはいたがそう興味もなかったそうだ。まるで聖人のように。 俺は自分が子供だった時の事などとうに覚えていない。テッドは時間の分だけ何を忘れ覚えているだろう。想像もつかない時間がそこには横たわる。 「大きくなっていく手、変わる視線、その頃において記憶という概念は充分にあった。目を閉じれば何年前だってすぐ目の前だ。それで、さ。風化以外自分の周囲で変わるものはないと思っていた、だけど目線が変わったんだ。観念じゃなくて位置だ。素晴らしいよ。その気分が判るか、ゲド。俺は多分類稀に幸運なんだ」 「それはまた…大袈裟だな」 「ふん。今に判るぞこのジジィめ!不安になって俺に話を聞く癖に。お前も余程生に執着があるな。ランゲイより貪欲だ」 グラスに伸びていた手が水滴で滑った。 「…そうでなければ傷を作ってまでは生きはしない。何より欲深いものを飼っているものが何を云う。この世の呪いだろう、それは」 世界に二十と七。 自然、事象、理やそれに次ぐ法。始めに誰の物であったか剣と盾。そこから全ては零れ出でたと云う。硬質な金属が打ち合う最中に弾かれる煌の光りが形を成したような。得体の知れないものを、俺達は手にしている。 望もうが望むまいが。 「俺にはこれしかない。ランとは違う。それでもダテや酔狂で長生きしているわけじゃあない」 与えるのは指を爛れ落とすような力と何の慈悲か老いる事のない体。救いなのは死か。それでも、人は世界の寄る辺に逆らえる筈もなく。 手放し難いものには違いなかった。 テッドのそれが命を屠り喰らうものだとしても。彼が生きてる事象が欲深い人間という事実でなければ何だと云うのか。およそ250年と幾漠か。 「長くも短くもある時間の道程だ。楽しんでいなければランのように死に触れる。…尤も、あいつはそれさえも楽しむような輩だ。比べようが、ないか」 長い、時間で何を。 惑っているのは俺一人かと取り残される気分で考えた。水滴を垂らすグラスはいつのまにか軽く、その中身が思考を導いているのかもしれない。 何時の間にか変わりを注文していたテッドに倣って俺も頼む。料理も程よく皿の下地を覗かせていた。 視線を上げる。テッドが躊躇うような仕草で口を開いた。 「…誰も、アレの死ぬ事への疑問を口にしないのがおかしい。俺に何も云わない」 喰らうのかと。 正直驚いた。そういう質の紋章を彼は持っているが、非難を待っているかのようなセリフに。 彼が右手を奮う事はそうない。躊躇いはないと云ったが、余り目にはしなかった。それでも、その凄惨さを目にした人間は後ずさる。血さえ流れない死体に。 それでも夜に目にするテッドでさえ変わりはないのに。 呆れ半分で口を開いてやる。慰めが欲しいのはどちらだ。 「それは皆がお前の事を知っているからだろう」 「……そうか…」 少しは心苦しさを感じていたのかテッドは聞いて、見た目相応の笑みを浮かべた。若い少年らしく、頬まで少し赤い。 一人の人間の死が色々と沁みて困るのだ。何度直面しても慣れないとテッドでさえ云う。だったら自分はどうすれば。 「あのなぁゲド。俺もそれなりだが、ランとはまた違うよ。それに俺達がランゲイの歩みを止められた事があったか?」 「…ある訳もない。無理だ」 止める事が出来ない。手の平から零れ落ちるように。自覚はしていなかったが、見透かしたような視線でテッドが目尻を緩める。 「お前が感じる負い目ではないだろう」 年月。どれ程か。或いは自分と変わりないのかもしれない。 人の記憶やそれに対する概念、周りに残るもの。例え人一人死んで変わるものは少なくても、俺は死んではいけない男だと思っている。例えランゲイにどれ程苦渋があろうとも。自分でさえ生きているのだ。 しかし、理由を付けると難しい。人の領域を超えてからは特に。 「寿命は…いくつだろうな。本来なら80くらいでさ、よぼよぼになってことんと死ぬんだ。それくらいを越えると、確かに死にたくなる」 「俺は…まだだ」 「だから若造だと云うのだよ。俺に年月を尋ねるな。死ぬ理由なんてあってないもの。不安になるくらいなら止める素振りでもすればいい。あいつは構ってもらうのが好きだろう。お前がしてやらなくてどうする。女の為に死ぬと云う人間を俺達が止めなくてどうする」 それでも。死ぬだろう? 「止められないものを。難しいな…」 「行為にしなければわだかまる。いい加減老成したらどうなんだその為りで子供みたいだなぁ」 ゲドちゃん、と一つ呼んでテッドが笑うものだから俺は思い出したように酒に手を伸ばした。この子供は口さがない。 一人の男が死んでも、歴史が動いても、誰もが置いていくが変わらない。 生きているのだから。 「じゃあな、ゲド。サービスだ。俺はゲドちゃんが寂しくないように300までは努めて生きてやろう。大きなおーきな子供が寂しくないように」 「逢いもしないものをどう確かめる」 「どうにでも。人が死ぬ事は些細だが大きい。すぐに知れるさ」 目印、あるしさ。とテッドは右手を指差した。縋るつもりもないものを。 「それではお前が300になるまでは俺も死に難いのだが」 「当たり前だ。死ぬなよ。寂しいなぁ」 「……お前さては酔っているな?」 バレたか、とテッドがまた笑うので溜息の後で声に出して笑った。この男は優しい。約束を残してくれるらしい。何かがなければ確かに生き難い。 俺の為か自分の為か。 ランゲイの為か。 その後送れと喚く胸元の肩を抱いて部屋まで支えた。最後に悪戯する子供のような笑みでテッドは明日出て行く、とひっそりと笑って扉を閉じる。300年。彷徨うばかりの、日々。 そう思ってその長さにやはり溜息を着いた。 「俺はランに聞いたんだ。死ぬってどんな感じだって。でもさ、あいつ笑うんだよ。そんだけ」 「300年経てばお前も判るぞ」 「まぁぁああゲドちゃんったら!」 この意地悪!とパイプを振り回されたので避けて視界の光に目を細めた。広がるのは美しく離れ難い大地。死ぬなら此処でしか有り得ないと思っていたが。 生きる術はそれなりにあるのだから、旅に出ようと思う。一つ所に止まるには時間は長過ぎるのだし、今は名が知れてしまった。いずれは戻れるだろう。 「ランゲイが死んでも俺は泣かない。それぐらいのもんだ。慣れたこともあるからな。でもな、あれはしつこいから幽霊になってそうだ」 「…それは鬱陶しいな…」 「うわ。ひでー!」 さぞかし楽しそうだと笑う。自由になるとはそんな感じだろうか。けれど。 「何かに縛られてるからこそ人生だ。俺は生憎まだ死ねない性分だし、幽霊ライフも望みやしない。だから、どうか」 今の内にこの一瞬を惜しんでくれ、とテッドは云った。 人に残るとは何だろう。知り合いも増えたが、荷物も増えた。年月の分だけ。あの少年はあんなに足取り軽く歩いていたのに。 ふとその虚に気付いて、辿る年月。ちょうど300。恐らく300。数え間違いもあるだろうが。 「別れだな」 自分はまだ100にも満たず。それでもまだ生きてみようと心もとなく笑う。失われた理由は思うにはもう頼りなかったが。 300年、生きた少年の事を思うと溜息が漏れ、俄かに笑いが漏れてしょうがなかった。 ****** テドゲドテド(笑)楽しかった…!テッドとランにからかわれるゲドが愛しいです。可愛いじじぃー(失礼!) 別に拘らずに書きました。300年とはなんて不確かで特定しにくいんでしょう!楽しかった楽しかった。 これが本編の流れかは未定だけれど(テドランだし)これならテッドは死ぬ時ぜいはぁしながら「ことばってこれだから怖ぇーなぁ」とか苦笑いしながら死ぬといいなぁとかぽやーんとしてました。うふふふ。 ランは幽霊ライフをとても楽しんでいます。テッドは幽霊にもなれないかあいそうなんですよー。 テッドでお題をやりかけたものです。お題は300年で、とてもうきうきして書いたのですが思いのほか難しくて四苦八苦したのが思い出です(06.2.13) 脱稿…04.08.06 |