ratugede

The Drama of Magic. PartT
Barongのぺーじ

Beryl De Zoete & Walter Spies
『Dance and Drama in Bali』
p.86-115
1973(Reprint) Kuala Lumpur :
Oxford University Press
Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938
ratuayu
その14・ 2007年9月24日更新・ DDBHome
Part1−2               p.90(13)〜p.91(32)
Part1−3               p.91(33)〜p.94(26)
Part1−4               p.94(27)〜p.96(13)
Part1−5               p.96(14)〜p.97(22)
Part1−6               p.97(23)〜p.98(40)
Part1−7               p.99(1)〜p.100(19)
 
Part1−8               p.100(20)〜p.101(16)
Part1−9               p.101(17)〜p.102(21)
Part1−10               p.102(22)〜p.104(3)
Part1−11               p.104(4)〜p.105(27)
Part1− 12 Kelekek               p.105(28)〜p.109(34)
Part1−13 トゥルニャン村のバロン・ブルトゥック               p.109(35)〜p.113(29)
Part2 チャロナラン その1               p.116〜p.122(21)


p.113の30行目から

『バロン・ランドゥン』 (原著写真 No.45とNo.46)

          (個人的に撮影した写真を掲載しました。原著の写真のほうが素晴らしいので、原著の写真を是非ご覧ください。)


 バロン・ランドゥン(Barong Landoeng, Barong Landung)という名称は、巨大な男性と巨大な女性という2体の人形を指しているのだが、それぞれの人形はふつう男性がジェロ・グデ(Djero Gede, Jero Gede, 大きな人)、女性がジェロ・ルー(Djero Loeh, Jero Luh, 女性)と呼ばれている。2体の人形は、オーストリアのザルツブルグ州タムスヴェーク(Tamsweg)郡で催される『サムソンの行列』に登場する人形、もしくはフランスのニースの巨大なカーニバル人形と同類のものである(脚注2:オランダ南部フェンローの巨大な人形のカップルも参照のこと。2体の巨大な人形は祝祭の時に市長と市会議員たちの前で踊らされる。デンパサール近郊のいくつかの村では、バロン・ケッが踊るときに登場したサンダラン(それもデンパサールのケースであった)にかなり似た、小さな仮面の人形たちがバロン・ランドゥンに同伴しており、その小さな仮面の人形たちとバロン・ランドゥンの全員で歌唱劇を演じるのである。バロン・ランドゥの季節はバリの元旦に相当するガルンガンであり(訳註:ガルンガンよりもニュピ/Nyepiを新年の元旦と解釈するのが一般的かと思います)、p.113→それはまた同時に、ほかの種類のバロンたちが一斉に遠出に出かける時でもある。その季節には、大きな人形のカップル、バロン・ランドゥンが道をパレードしている。或いは、太鼓やフルートの1種であるスリン(suling)、ゴング類といった小規模なガムランの演奏とともにバロン・ランドゥンたち人形は道路で休止している。そして村人たちが取り囲む中で、民謡や即興の対話にあわせてバロン・ランドゥンたち人形は互いに接近したり、引き下がったり、揺れたり、上半身を傾けるといった単純な踊りを展開する。そこでは常にバリ語を使って様々な物語が演じられる。また独特な旋律と唄い方がみられる。そしてバロン・ランドゥンの歌唱劇では、男性の人形が女性の人形の肩に腕を回しながら、キスや愛撫の真似や、きわどいジェスチャーとともに、コミカルな男女の戯れが演じられるのが一般的である。2体のバロン・ランドゥンのうち男性のジェロ・グデは大きな黒い仮面で、大きな白い歯が突き出ており、唇はとても赤い。また牙状の突出物が出ている。彼の頬と鼻は黒光りしていて、頬も鼻もまさに同じ大きさである。しかも頬と鼻は、ビリヤードの球に似ている。彼の左の耳には白い羊毛の束が覆いかぶさっていて、灰色のむさくるしい髪にはチュンパカ(訳註:フランジパニ)の花が撒いたように飾られている。顔には、小猿の柔毛の肌でできた多量の房飾りがぶら下がっている。彼の両手は大きくて黒く、白い印がついていた。そして大抵のジェロ・グデは格子模様のズボン吊とベルト、演者の身体を隠すことのできるカイン(布)を身につけていている。

デンバサールのジェロ・グデ
ジェロ・グデ(ヘンな映りでスミマセン。しかし著者よ、そこまで言うか・・・。この写真ではお顔がはっきりわからなくてよかった。ほっ)

いっぽう女性のジェロ・ルーの仮面はアイボリーもしくは白色で、眉は張り出しており、目尻は上がっている。さらに謎めいた微笑を思わせる長くカーブした唇と、胡桃割り人形のようなあごを持っている。ジェロ・ルーの仮面には、どことなく日本の能面のキャラクターが感じられた。彼女の頬と眉はふつう、金色で輪郭が描かれている。ジェロ・ルーが非常に洗練されていて、かつ尊大な創造物であるのは、綿モスリン製の胴着を着て、あちこちへぶらぶらと歩くことから明らかである。そして彼女の肩幅は広く、平らな胸には乳房を表す小さなポケットが取り付けられている。また、大抵かなり乱れている灰色の髪と花で飾った帽子のおかげで、庭仕事をしているイギリスの老嬢のようである。ジェロ・ルーの手は長くて白い。そしてジェロ・ルー、ジェロ・グデともに左手は踊りのポーズのような状態にある。すなわち、左手の中指をある方向へ向けたまま左腕を胴の前で静止させているのである。いっぽう右手は自由で前後に動く。その動きは特にジェロ・ルーの場合、何とも言いがたい無頓着さを醸し出している。

デンバサールのジェロ・ルー
ジェロ・ルー(これまたヘンな映りでスミマセン)

さて、鬼のような仮面に反してジェロ・グデは、村の居酒屋にいる滑稽な酔っ払いにかなり似ている。夜更けに家族をびっくりさせ、とても好色で、自分に対する冷たい評判にがっかりしている酔っ払いに。 



 筆者が今まで観たなかでもっとも優れたバロン・ランドゥンの上演は、デンパサール近郊の村で催されたものである。そこではサンダランに似た仮面の人形が、王家の血をひく役柄として3体登場した。そのうち2体が男性、1体は女性であり、それぞれが金の冠をかぶり、肩掛け、金箔が施された首飾り、金箔が施された長袖の衣装を着ていた。そして王子のカインは金色の素晴らしい花が刺繍されたアイボリー色の美しいものであった。

お顔がサンダランに似た人形その1 お顔がサンダランに似た人形その2 お顔がサンダランに似た人形その3
お顔がサンダランに似た人形(またまたヘンな映りでスミマセン。この写真はどちらかといえばレゴンに似ていますね)

この時のジェロ・ルーは髪をきちんと結わえ、後頭部でまとめていた。また、そのときのジェロ・ルーの耳は、金色に塗られた革に細工が施されたうえに青い石もあしらったピアス、および耳掛け式の耳飾りで装われていた。彼女は道で会う大抵のバロン・ランドゥンよりもすべての点においてもっと壮麗で、高貴な表情や、金で眉と頬の輪郭が描かれた地色がアイボリー色の洗練された仮面、そして曲線を描いた唇は目だって魅惑的であった。さて、青と赤の花、椰子酒、卵、米から作った菓子などが入った椰子の葉でできた四角いカゴ状のお供えを、プマンクが仮面へ供えた。すると2体の巨大な人形が踊り始める。左右に揺れるようにして、或いは太鼓やシンバル類も演奏されているが、主にスリンの演奏に応じて、唄いながらゆっくりとお互いの周りを回る。そうやって彼らは軌跡を描きながら、ぎくしゃくした動きを行う。ジェロ・グデが笑うと、彼の体はブルブルと身震いして揺れた。そんなバロン・ランドゥンに対して、p.115→サンダランに似た小さな仮面をつけた人形たちの踊りはとても愛らしい。彼らの頭部は固定されていなかったので、中に入っている少年や男性たちが、人形の首を左右に動かす動きを操作してはエンゴタン(engotan)と呼ばれる踊りの動きの真似をおこない、感銘を与えた。また彼らはかなり多様性に富んだステップを見せる。たとえば、ゆっくりとした旋回や広範囲にわたって交差して歩くさまは、このうえなく惚れ惚れするような効果をもたらした。それに対してジェロ・グデとジェロ・ルーは、若い3人に仕える男女の従者、すなわちアルジャ(Ardja, Arja)(訳註:歌唱を伴う舞踊劇)に登場するプナサール(Penasar)とチョンドン(Tjondong, Condong)のように見えた。

サンダランに似た人形とジェロ・ルー、ジェロ・グデたち
お顔がサンダランに似た人形とジェロ・ルー、ジェロ・グデの御一行さま(どことなく立ち話しているみたいな雰囲気)

しかし、対面で向かい合っておこなう伝統的な愛情表現の舞踊シーンを含んでいるけれども、動作は極めてわずかである。2体の白い仮面をつけた人形は、互いが向かい合って左右に通り過ぎたり、両膝をついて傾いたり、或いは、ゆっくりと体や足を入れ替えたために現れた上品で優雅なポーズの時に、何か奇妙な動作をおこなった。そして人間と人形の大小がとても簡単に逆転する。人形の中に操り手がいるのであるが、自分の担当した持ち分が終わって称賛を受けるとき、彼は滑稽なくらい大きく見えた。その光景はまるでアリスがラッパ飲みした後のようである。同時に観客は小人のように映り、バロン・ランドゥンの人形一座が意識を持つ者たちのように見えたのもおかしなことではない。さて、バロン・ランドゥンの仮面は、寺院もしくは僧職関係者の家の祠に収納されている。そのうちのいくつかは著しくサクティ(Sakti)、すなわち呪術的能力が高い。



 バロン・ランドゥン上演時にうたわれる詩を、ここには載せない。なぜならば言葉に関する問題をたくさん孕んでいるからである。しかし明らかにバロン・ランドゥンの詩歌は、遠く離れた中国やユーゴスラヴィア内陸部の農業圏にみられる求愛の歌の中心的な流れに属している。歌は対話形式となっており、めいめいの歌詩は4行形式で韻を踏んでいるのが一般的である。漢詩のように似ているものを述べつつ、最初の2行でたいていイメージを喚起させるようになっている。しかし「〜に似ている」「〜のようだ」などといった言葉は使わない。たとえば「溶かされているのは椰子殻のボウルに入っている砂糖・・・・愛しいジェロ・ワヤンを想うと私の心は溶ける」といった具合である。また、おなじみのアルバ(訳註:alba。11世紀および12世紀頃に、プロヴァンス地方の吟遊詩人あるいは吟遊歌手のトルバドゥールたちがうたった恋愛詩。夜明けに恋人と別れなければならない辛さや悲しさをうたっている)のシーンもあり、「父に見つかるのが怖いから。母に見つかるのが怖いから」と、淑女は恋人へ立ち去るよう命じる。バロン・ランドゥン劇でうたわれる歌はロマンティシズムに満ちており、そのようなロマンティシズムはレゴンやアルジャを除いて、恋愛をテーマとしているバリのほかの舞踊や舞踊劇にはみられない。ひきつづき淑女は、恋の苦しみから逃れることができるよう一突きに殺してくれと頼み、「私が死んだなら、火葬塔にボマ(Boma)の頭をあしらってほしい」と、自分の葬儀の際に使われる火葬塔に関する指示を出す。



 バリの場合、古風で典型的な求愛の詩歌は儀式の中に存続しているが、至るところで平行して起きている現実の求愛や結婚とは無関係であるというのが事実である。それとよく似た例で、ハワイの場合、“認められない恋愛”という代表的なテーマは、儀式的な舞踊がおこなわれるホールに入ることが許されるためのパスワードとして用いられる(脚注1:Annual reports of the Bulletin of the Bureau of American Ethnology:N.B.Emerson, Unwritten Literature in Hawaii, No.38.を参照のこと 。しかし舞踊と恋愛に関する詩歌の関係はとても間接的であり、こじれた性質になる可能性が高いのかもしれない。たとえば古代中国の詩歌や、かつては恋愛に関する詩歌であったことを完全に否定されている、もしくはその点について忘れ去られている可能性がある旧約聖書のソロモンの歌と同じように。 

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