ratugede

The Drama of Magic. PartU
チャロナランのぺーじ

Beryl De Zoete & Walter Spies
『Dance and Drama in Bali』
p.116-p.133
1973(Reprint) Kuala Lumpur :
Oxford University Press
Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938
ratuayu
その2・ 2008年1月30日更新・ DDBHome
PartTバロン-2               p.90(13)〜p.91(32)
PartTバロン-3               p.91(33)〜p.94(26)
PartTバロン-4               p.94(27)〜p.96(13)
PartTバロン-5               p.96(14)〜p.97(22)
PartTバロン-6               p.97(23)〜p.98(40)
PartTバロン-7               p.99(1)〜p.100(19)
 
PartTバロン-8               p.100(20)〜p.101(16)
PartTバロン-9               p.101(17)〜p.102(21)
PartTバロン-10               p.102(22)〜p.104(3)
PartTバロン-11               p.104(4)〜p.105(27)
PartTバロン-12 Kelekek               p.105(28)〜p.109(34)
PartTバロン-13 トゥルニャン村のバロン・ブルトゥック               p.109(35)〜p.113(29)
PartTバロン-14 バロン・ランドゥン               p.113(30)〜p.115
Part U チャロナラン その1               p.116〜p.122(21)
Part U チャロナラン その3 デンジャラン村のバロン・チャロナラン劇               p.125(35)〜p.133


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『タンティン・マス』

 昔々、プディレガン(Pedilegan)の王には子どもがいなかった。そこで、王は王妃と一緒に山々の中へ入って行き、神へ子宝を授けてくれるよう祈ると、シヴァ神が現れた。シヴァ神は「王と王妃が不純な考えを一切しなければ、子どもを授けよう」と約束した。その約束はとても簡単そうに思えた。しかし王宮へ帰る途中、王妃は丸々と肥った子豚を見つけ、「あの子豚のように、私の子どもも健康的で肥っていたらいいのに」と、ひそかに考えてしまったのだった。ようやくして王妃は双子を産んだ。ところがその双子は2匹の丸々と肥った子豚だったのである。雌の子豚はタンティン・マス(Tanting Mas)、牡の子豚はチプ・チプ・マス(Tjipoe Tjipoe Mas, Cipu Cipu Mas)と名付けられ、2匹は低木が繁る森へ追い払われた。母の王妃は、2匹を受け入れることに耐えられなかったからである。森の中で自分たちだけで育った2匹はとても不幸で、互いにこう言った、「私たちは本当の豚ではない。たぶん瞑想をすれば、人間の姿へ戻れるかもしれない」と。



 そしてタンティン・マスは山を登り、チプ・チプ・マスは海へ行き、それぞれの場所で2匹は長い間瞑想をおこなった。それを知ったシヴァ神とドゥルガ女神は2匹を哀れみ、ドゥルガ女神がタンティン・マスへ破壊の力を、シヴァ神がチプ・チプ・マスへ再生の力を与えた。それから2匹は人間の姿を取り戻した。ある日、2人は狭い小道で再会した。しかしどちらも道を譲ろうとしない。それを見たシヴァ神は2人の前に現れ、かつてそれぞれが何者であったのかを2人へ教えた。2人は一緒に、母へ会いにいく旅に出かけた。しかし母である王妃は2人を自分の子どもとは認めない。そしてこう言った「もしお前たちが私の本当の子どもたちならば、私へ丁寧なお辞儀をするだろうに」。→p.123その言葉を聞いた2人が母へ神聖なスンバ sembah(脚注1:宗教儀礼でおこなうお祈りの仕草をおこなうと母は亡くなり、彼女の魂は天国へ飛び去った。彼らは再び2人きりになってしまった。



 タンティン・マスとチプ・チプ・マスは、とても貧しく、みじめな気持ちだった。食べるものは何もない。そこでチプ・チプ・マスは森へ行って木を集め、タンティン・マスはチプ・チプ・マスが集めた木を市場で売った。しかし人々はタンティン・マスの見た目が汚くて惨めだという理由で、彼女をあざ笑う。そこでタンティン・マスは帰宅すると、自身が持つ呪力を使って美女に変身した。変身したタンティン・マスがあまりにも美しかったので王は恋に落ち、彼女と結婚した。かたやチプ・チプ・マスはルマ・トゥリスへ行き、高僧になった(脚注2:高僧ムプ・バラダについての通俗的な説明であることは明らかだろう。ムプ・バラダもルマ・トゥリスの出身で再生の能力を持つ



 さてディラ(Dirah)の王とタンティン・マスは娘をもうけ、ラトゥナ・ムンガリと名づけた。しかしある日のこと、ディラの王が大臣たちとともにいると、子どものラトゥナ・ムンガリが王のそばにやってきて泣きだした。ディラの王はそんな娘に立腹し、母親のもとへ追い返した。すると妃は怒りのあまり呪術を使い始めた。その結果、王は病に倒れ、亡くなってしまった。その一件で妃は国外に追放され、シロ・ワル・ナテン・ディラ(Sira Waloe/Walu Nateng Dira)、すなわち「ディラ国王の未亡人」と名前を変えた。その後ラトゥナ・ムンガリはたいへん美しく成長し、その噂を聞きつけたエルランガの王はシロ・ワル・ナテン・ディラへ、ラトゥナ・ムンガリと結婚させてくれるよう頼んだ。ラトゥナ・ムンガリとアイルランガ王はそれから3年間にわたり、幸せな生活を過ごした。しかし3年が過ぎた頃、ディラ国とアイルランガ国の人々が話し合い、こう言った「なぜアイルランガの王はあんな娘と結婚したのだろう。母親と同じように、あの娘はたぶんいずれ魔女になるだろうに。母子の目当ては王の血や家柄なのか?」。人々はラトゥナ・ムンガリを母の元へ戻すよう、王を説得した。ここからストーリーはいつものチャロナラン物語へとつづく。しかし、いつものチャロナラン物語とはわずかに異なっているところがあり、タンティン・マス物語に登場するバフラは、高僧の息子ではなく弟子という立場になる。また、高僧と魔女が兄妹(訳註:もしくは姉弟)の関係であったことは、注目に価する。さらに、よく知られたチャロナラン物語でもラトゥナ・ムンガリの母の名前は「ディラ国王の未亡人」だが、その名前の由来に関する説明はない。しかしタンティン・マス物語では母の名前を説明している。重要なことは、エルランガ王自身が魔女の娘と結婚することだ。伝説によれば、エルランガ王の母はジャワの王女であったが、彼女は実の息子から疑惑をかけられ、追放されしまった。呪術を使って、息子の父親であるバリの王を殺害したという疑惑によってである。その伝説はジャワ島で発見された石碑文が真実性を強めることとなった。碑文が伝えるところによれば、エルランガ王の母親の墓石には彼女自身の姿がドゥルガ像で表現されているという。彼女の墓石はバリのクトゥリ(Koetri / Kutri)村のブキット・ダルマ(Boekit Darma / Bukit Darma)に今でも建っている。



 タンティン・マス物語では、ヒロインはもっぱら茶番劇風に演じられる。シシアたち4人組の愛らしい舞踊のかわりに、ランダのように装った奇怪な2体が登場し、こっけいな村人たちを脅かす。そして魔女、すなわちタンティン・マスを演じるのは、常軌を逸した女性の物真似が上手いことで評判の、男性の踊り手であった。しかしタンティン・マス自身は、伝統的な醜い老女の姿ではない。ここでは間が抜けていて取り乱しているけども身なりは整っており、中年にはまだ至っていない女性の姿である。彼女はジャンゲルの頭飾りを椰子の葉でわざと下手に真似た頭飾りをつけており、お洒落である。そしてタンティン・マスは、膝を曲げすぎたうえに脚も開きすぎの「洗練された」様式で、踊りながら舞台に登場し、きまって彼女は突然視線を空へ向け、気取っているかのように踊るのであった。それは非常にコミカルな効果をもたらすとともに、彼女の情緒不安定な性格も、どういうわけか見事にほのめかしていた。→p.124見事な滑稽さを披露するタンティン・マスの踊り手であるが、彼の着想の根底には、タンティン・マスが生まれたときは豚の姿だったという事実や、女らしくなりたいと思っていたものの自分の実力以上のことをしようとして多少失敗したことが、おそらくあるのだろう。舞台上のタンティン・マスは、たとえるならばシシアたちのように神経質で、その滑稽さは村人たちにも劣らない。彼女は村人たちが移動し、彼らがタンティン・マスの行き先に関心を抱くたび、身震いする。また何かあれば、村人たちを自分の意思に従わせようとするが、全くかなわない。そしてタンティン・マスは2人の道化から容赦なくからかわれる。道化は2人で同時にイビン(脚注1: ジョゲッド (Djoged, Joged)を参考のこと(訳注:ジョゲッド・ブンブンJoged Bumbungやジョゲッの踊り手が観客の中から男性を選び、ペアとなって一緒に踊ること。ペアは即興的な恋愛表現や簡単な物語を、踊りで表現することもある)のようにタンティン・マスへ求愛する。するとタンティン・マスは甘い雰囲気の彼らに会って感情が和らぎ、様式的に体をしならせて誘惑に反応するのだが、道化たちは彼女の揚げ足をとるのである。さらにタンティン・マスがうやうやしく身を低くしてバラダの説教を聞いていると、道化たちは彼女へぶつかり、九柱戯(訳註:ボーリングに似たゲーム)のピンのように彼女を倒す。彼女が特殊な能力を持っているとはますます不似合いに思えるし、その能力が彼女をある状況に追い込むとは、まったく誰もが想像できなかったはずだ。舞台上のタンティン・マスは昇天できなくなるような危険なできごとについては無関心であったし、木に呪術をかけようとする時は非常に怖がっており、自分の呪いの結果には大変驚いて体を縮ませていた。木を復活させる時には、「ほんの少し前にどんな姿であったか思い出してほしい」と、痛ましいほど彼女は木へ哀願した。そのあと、タンティン・マスは再び呪術をかけるのである。バラダも同様で、落ち着きにいくぶん欠け、説得力のない聖人として登場する。そのような状況だから、読者はランダも呪力を失っていると思っても当然だ。もっともランダは普段と変わらず、立派に登場したのであるが。



 さて、ヨーロッパでは保守的な人たちが、理性的な翻案劇について論じている。その考察の殆どはジャン・コクトーが翻案した古典劇に関するもので、パリのアカデミー会員たちが論じているのだけれども(訳注: コクトーは古典やギリシア神話の翻案を手がけた。著者たちが指しているものは、コクトーが翻案した『ロミオとジュリエット』(1924年初演)、『オルフェ』(1926年初演)、『オイディプス王』(ストラヴィンスキーが音楽を担当したオラトリオ版は1927年初演、同じくオペラ版は1928年初演)、ギリシア悲劇『アンティゴーヌ (Antigone)』(オネゲルが音楽を担当し、1927年に初演されたオペラ)、『地獄の機械 (la Machine infernale, The Infernal machine)』(初演1934年、ギリシア悲劇『オイディプス』を翻案したもの)等に対する論評ではないかと思われる)。しかしバリならば、たとえ革新者でさえ、コクトーのやりかたのようにチャロナランを扱うことはきっとないだろう。いかに個人の着想であっても、その着想は厳粛なものを笑いの条件へむりやり変えようとするバリの性癖に調和している。厳格主義だけならば宗教とは調和しない、というバリの性癖に。





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『ダリ・クリシュナ』

(脚注2:テガルタム村の伝承)


 ある日のこと、ダハ(Daha)国の王が森で狩を楽しんでいたところ、追っていた猪がプラ・ダレムへ逃げ込んだ。王は猪のあとについてプラ・ダレムに入ってみた。すると美しい少女がお供えを供えているところだった。少女はシヴァ神の娘ダリ・クリシュナ(Dari Krishna)で、地上に姿を現している時はプングレンダナ(Pengrendana)と名乗った。ダハの王はプングレンダナを故意に寺院へ留めさせた。彼はプングレンダナに恋してしまったのである。ダハの王はプングレンダナを王宮へ連れ帰り、彼女と結婚した。ダハの王の兄弟であるムダイン(Medaing)が「墓場のそばに1人でいるところを見つけられたその少女は、おそらく魔女だ」と兄へ忠告したにもかかわらず。



 やがてダハの王とプングレンダナのあいだに子どもが生まれた。慣習に従って生後3ヵ月の催しがおこなわれることとなり、王宮の関係者全員が催しに出席するよう命じられた。ムダインを除く全員が催しに出席した。ダリ・クリシュナ(=プングレンダナ)は、夫の王へムダインが欠席した理由を尋ねた。ダリ・クリシュナの心を傷つけることを恐れた王は「忘れてしまったのだろう」と答えた。しかしダリ・クリシュナは、王が嘘をついていないか確かめるために尋ねただけなのである。そして彼女が非難するように2本の指で王を指差すと、その場で王は亡くなってしまった。ダハの国中が混乱に陥った。そこでムダインが王に即位した。→p.125ムダインはダリ・クリシュナと子どもをジャングルへ追放し、ダリ・クリシュナはワル・ナテン・ディラ(Waloe Nateng Dirah, Walu Nateng Dirah)(脚注1:ディラの女王の未亡人という名を授かった。しかし彼女に同情する人たちがいて、彼らはダリ・クリシュナに従ってジャングルへ移住し、彼女がジャングルでプラ・ダレムを建てるのを手伝った。やがてプラ・ダレムは完成し、開基祭がとりおこなわれた。そのとき、バイラヴァ神(Bhairava)(脚注2:シヴァ神が最も破壊力の強い神に変容した時の姿が登場し、ワル・ナテン・ディラへ2つのロンタル(訳註:古文書)を授けた。1つは破壊の呪文が掲載されているニスチャヤ・リンガ(Nistjaja Lingga, Niscaya Lingga)、もう1つは破壊されたものを復活させるための呪文をとりあつかうニルチャヤ・リンガ(Nirtjaja Lingga, Nircaya Lingga)である。彼女は2つのロンタルを学んで、それぞれの呪術を駆使できるようになった暁には、ムダイン王の子どもを死の神へ生贄に捧げると約束した。また、ムダインが彼女へおこなった悪いことに報復し、ムダインの王国を破壊することも約束した。それからあと、彼女のたくさんの弟子たちが、ワル・ナテン・ディラの報復を手伝った。 (ここで、一般的なチャロナランの物語と同じ高僧バラダのエピソードと、バフラがワル・ナテン・ディラの娘と結婚するストーリーが挟まれる)  



 人々は王国が平穏さを取り戻したと思っていた。王は高僧バラダと約束を交わしていたので、彼へ領土の半分を与えた。しかしワル・ナテン・ディラは、バイラヴァ神ととりかわした約束を忘れていなかった。そこで彼女は王の子どもを奪い、プラ・ダレムへ連れ去った。子どもがいなくなった哀れな王は国中の至るところを捜し回った。しかし子どもは見つからない。高僧バラダでさえ捜し出すことができなかった。王はとても怒り、バラダを宮廷から追放した。ところが、追放された高僧バラダが偶然プラ・ダレムの前を通り過ぎようとしたとき、バイラヴァ神が子どもと遊んでいるのを目撃した。そこでバイラヴァ神が目を離した隙に高僧は子どもを奪い、父王のもとへ連れて帰った。王のムダインは自分がかつて怒ったことの記憶として、エランギア(Eranggia)と変名した(脚注3:エラン Erangの意味は「怒る」



 そのあと、ストーリーはチャロナラン物語のいつもの終結部へと続く。ただし魔女の魂は墓場の境界に存在し続け、彼女は死者の魂を守らせられる羽目となった(脚注4:その役目はバロンと分かち合っている。彼女の存在が墓場をテンゲット(Tenget)、つまり呪術的な危険に満ちた場所にさせたのだろう。シシアたちは幽霊のような存在となって、以前と同じく彼女に従者として従っている。



 他にも、登場人物の名前が変わっているだけで、チャロナラン物語の理解しやすい別本がある。ムンゲスタ(Mengesta)の山岳部の村では、その別本はバロンの舞踊とともに上演される。



 タンジュンガラ(Tandjoengara, Tanjungara)王と妻の間には、ディヤ・クルワラ(Dijah Keloewara, Diyah Keloewara)という美しい娘がおり、ディヤ・クルワラはストリアン(Soetriang, Sutriang)王と結婚することになっていた。ところが結婚式に向けて全てが準備された頃、ストリアン王は花嫁の母が黒魔術をおこないレヤックへ変身する術も身につけていることを伝え聞いた。そこでストリアン王は大臣のムンガラ・ユダ(Mengala Yoeda, Mengala Yuda)を差し向けて、結婚をとりやめることを伝えた。すると王妃はランダに変身し、大臣を焼き殺してしまった。またムンガラ・ユダの兄弟のジャガ・ユダ(Djaga Yoeda, Jaga Yuda)も大臣であったが、彼もムンガラ・ユダと運命を共にした。



 しかし、その別本がそれから先どのような展開を辿るのか誰も知らない。明らかに、そこから先の展開はチャロナラン物語と結びつかないだろうが(脚注5:現地でこの物語を採録したフレイダー氏(Mr. Grader)のおかげで、筆者たちはこの別本を知ることができ、彼に感謝している。(訳註:クリスティアーン・ヨハン・フレイダー(Christiaan Johan Grader)は1906年ジャワのマゲラン(Magelang)生まれ。1925年オランダのライデン大学に入学、専攻はインドネシア研究。1932年から1951年までオランダ領東インド政府の官吏をつとめ、1937年から翌年までは、植民地政府がかつての8つの王家に自治的な統治をさせる『自治的地統治区域(Zelf Bestuurs Regelen)』の準備を担当した。シュピースはフレイダーと交流が深く、オランダの学者や官吏によるバリの研究成果も教えてもらっていたようだ。第二次世界大戦中の抑留期を除いて、官吏時代のフレイダーは殆どをバリで過ごした。なおインドネシア共和国は1950年に発布された『1950年暫定憲法』をもって統一を果たし、バリもインドネシア共和国の1州となったが、1946年から1949年までのバリは、カリマンタン島・スラウェシ島・モルッカ諸島・バリ島以東の小スンダ列島とともに、東インドネシア共和国(Negara Indonesia Timur, State of East Indonesia)の領土下にあった。フレイダーは1947年から翌1948年まで、東インドネシア国大統領(バリ人)の私的顧問を務めている。また、バリに関する研究論文も多数執筆した)

  

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