ratugede

INTRODUCTION
はじめに

Beryl De Zoete & Walter Spies
『Dance and Drama in Bali』
p.1-p.45
1973(Reprint) Kuala Lumpur :
Oxford University Press
Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938
ratuayu
その3・ 2008年7月25日更新・ DDBHome
はじめに−その1                p.1〜p.7(32)
はじめに その2               p.7(33)〜p.11(23)
はじめに その4               p.16(18)〜p.19(25)
はじめに その5               p.19(26)〜p.22(7)
はじめに その6               p.22(8)〜p.25(17)


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 バリには舞台がないとも言えるし、至るところが舞台であるとも言える。上演のためのスペースがあればどこでも舞台となる。たとえば村を通る道、墓場、寺院の庭、寺院の外側の土地、民家の中庭、王宮の外庭などが挙げられる。ある種の舞踊は、むき出しの地面の上に椰子の葉を編んだ茣蓙を敷き、その上で踊られる。屋根は空が露出しているか、樹が覆いかぶさっている。あるいは陽射しや雨を避ける目的で、竹の柱の上に椰子の葉を編んだ天井を張っていることもある。フランス語でいうところのdécor(訳註:装飾、装飾物、舞台装置)は、王宮や寺院の門に、あるいはそれらの門へ導く階段に施されている飾りつけが相当するかもしれない。さらに村の道に巡らされている壁へ覆いかぶさっている木、群がっている人々の顔もdécorに相当するかもしれない。そう、筆者たちが上演の光景を思い出す際に切り離せないのが、踊り手の入退場するスペースと演奏家たちの座るスペースだけを除いて、上演空間の外側をびっしりと占めている人々の図である。たいてい、裸の赤ん坊たちが夢うつつで目と口を大きく開けながら、演奏家たちのあぐらの上に座っている。さらには、最前列でしゃがんでいる裸の子どもたち、互いにくっつきあってグループになっている幼い少女たち、あらゆる年齢層の女性たち、立っている少年たちや男性たちといった、さまざまな年代の観客も必ず思い浮かぶ。P.11→そして、高貴な身分の人びとも居合わせるならば、その人たちは一般の観客たちよりも小高い壇から上演を観る。高カーストの夫人たちは髪に花を挿し、肩にはスカーフ状のものをまとって、同様に少し高いところに置かれた椅子に座っており、彼女たちはまるでボックス席に座っているかのようである。



 観客が非常にたくさんいることは決してなく、むしろスペースには余地がある。空間は融通がきく、あるいは人びとの体が空間を埋めているかのようである。たとえば、観客のいる大地に穴が掘られることが時々ある。それは雨水に浸かった舞台空間の水はけを良くするために掘られたのであるが、立ち退かされた観客たちはその後、穴の周囲に隙間なく集まって座るだろう。そして筆者たちにとっては、観客たちも踊り手たちとほぼ同じように、上演の一部を占めているのである。なぜならば観客たちはユーモアに反応し、空間に雰囲気をもたらすからである。しかし当然のことながら、観客たち同士で踊り手たちのように互いを刺激することはない。観客たちは単に現実の流れの側面にすぎず、観客たちと絶え間なく続く舞踊の間柄は、水と油の関係にすぎない。上演空間という素晴らしい囲い地の外部にいる者が、もしも舞踊の身ぶりを試みたならば、実際に人びとの関心を惹き付けて、笑いを得るかもしれないが。いっぽう我々は、男性たちがこれといって何もせずにポーズをつけて座っている姿を、エジプトの塑像に結びつけがちであるが、それは突飛なことでもないだろう。彼らは舞踊を観ているにすぎない、バリの普通の男性たちである。上演はそんな男性たちの生気とは関係がないし、また彼らの生気も上演とは関係がない。



 さて、灯を点した小さな台の上には木の実や飲み物、お菓子、ビンロウの実、キンマの葉など、夜を快く過ごすものが並び、女性たちがそれらを売っている。昼間はあらゆるものを頭上に載せ、肩に担いで道を往来していた人びとも、夜になればそれらの物売りの台を見て歩き、しばらく立ち止まっている。さらには牛、ヤギ、犬、なかでも犬たちが常にうろうろしている。空腹を抱えている犬たちは供物の残り物やごみを糧として生きており、犬たちにとってなによりもキビキビとした関心を惹き起こさせるものが、舞踊や舞踊劇の上演であるに違いない。なぜならば、犬たちには上演中の隙をねらって食べ物を奪うチャンスがあるからである。たとえばチャロナランやバロン舞踊劇にみられるように、供物は上演の実際にも欠かせないものであるが、かなり稀な演目が上演される場合になると、供物はもっと豊富で、大量の食べ物が舞台空間に並べられる(残念なことに犬に食べられてしまうのだが)。そしてその場に到着した最初の犬が、供物として供えられていた米を砕いたものを食べてしまう。しかも、道化たちが対話している時や魔女がゴボゴボしたしわがれ声で独白を語っている時に、犬たちがうなり声をあげ、獰猛な喧嘩を始めた挙句、演じ手と犬の声がまざりあうこともある。そのようなわけで、決して舞台空間は誰の干渉をも受けない神聖な場所ではない。しかも驚いたことに、蛙が踊り手のたちの足元で飛び跳ねる。子どもたちはときどき舞台空間を全速力で横切り、危険な呪力をあやつるキャラクターがあまりにも子どもたちへ近づきすぎると、大人が舞台空間を横切って子どもたちを安全な場所へ移す。さらに、王が登場するシーンでは、子豚が登場することもあるかもしれない。けれども、だれもそういったハプニングに対してわだかまりを感じない。踊り手が踊っている最中にもかかわらず、誰かがその踊り手のズボンをピンで留めなければならないかもしれないし、少女の踊り手の胴体に巻きつけられている細長い帯を、誰かがしっかりと巻きなおさなければならないかもしれない。けれども音楽はそんなことに構わず演奏を続ける(脚注1:かたやジャワの宮廷では、主要な役柄をつとめる踊り手たちめいめいに付添い人がついており、付添い人たちはしゃがみながら踊り手を見張っている。付き添い人は踊りの邪魔をすることなく、地面に低くしゃがみながら踊り手へ近づくと、衣装全体のなかでも最小の部分を調整して最適の状態を保つ。音楽や舞踊は、人びとの会話や爆竹の音にも構わず、進行するのである。P.13→さらに上演中は、壁向こうの上方にある寺院の中庭をゆっくりと通り過ぎようとする僧侶や女性たち、樹木の上にいる子どもたち、黄金に色づいたたくさんの稲束を運んでいる人々の行列は、公演が終わるまでそれぞれの行為をいったん中断していた。そして上演が終わると行列は再開し、渓谷へ続く道を進み、小川をわたっていった。バリの上演風景を思い出すと、凝視したり、ぼんやりしたり、暗がりへ一緒に向うそのような人々の姿の美しさを、誰もが思い出すだろう(脚注1:グラノフスキーGranowskyの一座は劇場形式であっても、シーンの中にシーンがあるような印象を観客に与えた。シーンの圏外にいる役者たちが、架空の世界であるシーンの内側を見ていた



 踊り手たちは、踊らない時に舞台空間から完全に去ってしまうことはない(しかし例外がある。仮面をつける舞踊劇などで、別のキャラクターも踊らなければならない時である)。彼らはガムランのそばに座っている。現在のシーンに登場しない彼らは、外気に触れようと仮面を頭上へ持ち上げ、重い冠を脱ぐ。そしてキンマを噛み、ココナッツ・ミルクを飲む。そのような元気を回復させる軽飲食物の類はいつも演奏家たちへ提供される。時には儀式のような行列を組んだ人々が、踊り手たちの間を縫いながら舞台空間を横切って演奏家たちの場所へ軽飲食物を運ぶこともあれば、幕間の休憩時間に軽飲食物が演奏家たちへ運ばれることもある。そのため、踊り終えたか、休憩をしている悪魔役のあぐらの上に座っていた小さな子どもが、キンマを取りにいくために立ち上がり、舞台空間を走って横切ることもある。かたや、その悪魔役は仮面を頭上に上げ、口へガツガツと食べ物を押し込んでいる。さて、固定化した舞台がないということは当然、舞台に固定された小道具はないことを意味する。しかし、持ち運びをすることができて、欠かすことのできない小道具がいくつかある。たとえばアルジョ(Ardja, Arja)やトペン(Topeng)、ジャウッ(Djaoek, Jauk)が踊られる時にセッティングされるカーテン(脚注2:もちろん、読者はのちにそれらの舞踊や舞踊劇に親しむだろう、バロン(Barong)劇やガンブ(Gambuh)やバリス(Baris)に用いられる槍や傘、ランダ(Rangda)がつかむ背が高くてカーブした旗(脚注3:ウンブル・ウンブルOemboel-oemboel, Umbul-umbul。それに対して傘は、バリ語でパジェンPadjeng, Pajeng、マレー語でパユンPayong, Payungと呼ぶなどである。それらの道具は踊り手たちと同じくらい、舞踊や劇中においては非常に重要であり、踊り手が使うと生き生きして踊りの印象深さがいっそう増す。その場合、カーテンや傘、槍、旗は舞台空間上の静的な添え物ではなく、むしろ舞踊の共謀者といった趣もある。しかしバロン劇やガンブが上演されるとき、あたかも踊り手たちが踊る空間の境界を定めるように、舞台となる場所の両側にその場限りで槍が立てられるのも事実であり、その境界の内部は独特の秩序がある別世界のようにもみえる。けれどもガンブの一部やバロン劇、バリスに用いられる傘は、入退場の門に飾られることだけを目的とするのではなく、上演中は傘持ちがずっと傘を掲げている。そして傘持ちが単独で傘を持ってあちこちをぶらぶらすることはない。また、ローマ教皇が教皇用輿に乗っておごそかにサン・ピエトロ大聖堂へ向うとき、教皇には大きな白い傘が掲げられるが、バリの舞台で用いられる傘は、そのような高貴さや神聖さを象徴するだけではない。たとえば2名の従者役がコミカルな幕間劇に登場し、傘をわざと誤って使うこともある。彼らは傘の円い部分を使って楽しいたくらみをおこない、傘持ちの手から離れんばかりに傘を横へ強く引っ張ろうとするのである。あるいは、英雄が自分の住む神界から人間界のドラマや舞踊の世界に登場するとき、傘は玄関となることも時々ある。(バリスの章で、筆者たちは傘の重要性を再びとりあげるだろう。)バリスとバロン劇に登場する傘はたいていが黒地に金色、あるいは緑地とに金色で、縁(ふち)にはフリンジがたくさんめぐらされていることもある。ランダの傘は白色で、ランダが登場する際に同行するが、時には彼女の後からついてまわることもある。またランダは、丈が高くてバナナの葉に形が似た2本の白色の旗、もしくは2本のチェックの旗にも付き添われる。P.14→その2本の旗がランダの前で下向きに交差すると、ランダが空中を飛んでいることを意味する。そのように、各色の旗や傘、槍にはいくばくかの神聖な意味があり、それらの「道具」はどの寺院の祭礼自体においてもミザンセーヌ(mise-en-scène 演出)の一環を成しているのは確かだけれども、同様に舞踊や舞踊劇が演じられる空間でも儀礼的な補助をおこなうのである。かたや、竹の柱を飾っている花々や葉、空が見える天井の内側で十字状になるよう張りめぐらされた糸にぶら下がっているハイビスカスの赤い花や椰子の葉製の凝った鳥などは、バリ人好みの装飾をあらわしているにすぎない。さらに、ほかの道具としては、チャロナランという呪術劇だけでしか用いられない雄株のパパイヤの木が挙げられる。チャロナランでは舞台空間に必ず、雄株のパパイヤの木が植えられている。雄株のパパイヤは、魔術的儀式をおこなう魔女を保護する場所として古文書で挙げられている大きな樹を象徴しているのだろう。また、チャロナランが演じられる舞台空間の端のほうには、竹製の壇を組んだ上に小さな小屋が設置されていて、地面から小屋へ竹製のはしごが架けられている。このはしごは、魔女がカーテンの内側で驚異的な姿に変身するまでのあいだ、子どもたちの特別観覧席となる。そして小屋の中に魔女の仮面があらかじめ置かれていない場合は、チャロナラン劇上演の最中に男性が仮面を肩に乗せ、舞台空間を横切って小屋へ運ぶ。さらに魔女の小屋の屋根や柱は、空気のように軽いアクロバットをおこなう道化たちの避難所としての役目も果たす。ところで、道化たちは、チャロナラン劇中のある時点で非常な危険に瀕することが必ずある。その場合、道化たちは安全を求めて舞台空間から離れた場所に立つ樹へ避難したり、よじ登ったりすることが時々あり、観客たちはその光景を見て大喜びし、歓声を沸かせる。そのような場合、自動的に舞台空間の面積は広くなり、道化たちが登った樹の立つところも舞台空間となる。なお、道化たちは視覚面においても聴覚面においても冗談を欠かすことが決してない。道化たちは自分たちの周囲に何かないかと嗅ぎまわり、自分たちの周囲を詮索している。しかしそれらの行為は魔女からの攻撃にも自分たちの防衛にも役立たないのであるが。そしていつもあるのが、すぐ手元の飾りつけから毟り取られた椰子の葉である。



 舞踊劇で、場面が変わったことを目で確認できる舞台装置のようなものは、まったくない。登場人物の繰り広げる会話だけが、森の中や海岸、市場、王宮、墓場、ある場所から別の場所へ向っている最中などに起きていることを伝える。たとえば墓堀人と農民たちが重い足取りで舞台空間を歩き回るならば、彼らは墓場へ向っているか、問題事を抱えて王へ陳情に向う最中であることを意味する。王や護衛者が登場しているならば、その場面はおそらく王宮である。大魔女のランダがいるならば墓場であり、供物を持った女性が登場したならば墓場か寺院を意味する。また、集団がある場所からある場所へ移動をおこなっている最中の道のりは、言葉で簡単に説明されるが、実際の彼らの進路は舞台空間のとても狭いスペースをはずれていく。それはまるで事態が遠くからやってきて、だんだん近づき、最後に遠くの場所に到着したという幻想を抱かせる。もっとも最初と最後はまったく同じなのであるが。いっぽう神々や悪魔たちは空中を経由して自分たち独特の道を進む。空間へのセンスや空間に結びついた感覚は、舞台空間を構成するうえで非常に重要な部分を占めるが、バリでは舞踊であろうが舞踊劇であろうがとても高度に発展している。次に、高貴な人物の従者でもある道化役たちは、物語の展開に深く関係している。道化役たちは互いにバランスをとりあううえに、自分たちの主人がどこへ行っても主人へポワン・ドゥ・ルペール(point de repère、目印、目標、目安、時間的区切り)を提供し、主人ともバランスをとろうとする。それゆえ、主人は探しているものがしっかり見つかるのかもしれない。けれども道化たちが特殊な場合の人間の家具と化して、主人をもたれかけさせすぎることは決してない。また道化たちは主人が言葉を発したあとに、時間の空白を生じさせてはいけない。P.15→時間の空白が生じる前に、従者である道化たちの耳は必ず主人の言葉を受け止めるのが常であり、従者たちは主人への支持をこびへつらいながら示し、主人を称賛する(脚注1:王は実生活では、従者を家具として自然に使う。従者たちもよろこんで王をもたれかけさせる。昔気質の村だと、高カーストの人は全員、非常に優れた人であると考えられている。たとえば有名な踊り手アナッ・アグン・スカワティAnak Agoeng Soekawati, Anak Agung Sukawatiが一座とともにテンガナンTenganan村を訪れたとき、彼はたいへん高貴な人物として受け止められた。村の中を通るとき、村長はしっかりと合掌した自分の両手の上に、アナッ・アグン・スカワティの肘を置かせ続けた。アナッ・アグン・スカワティのもう一方の手は、自分の衣装の裾を持っていた



 さて、マックス・ラインハルト(Reinhart, Max Reinhardt)がザルツブルク音楽祭(Salzburger Festspiele)で手がけたファウスト(Faust)の演出はたいへんな好評を得た。 それは期待を抱かせては、抱かせた期待を壊すという試みの非常にユニークなデモンストレーションであった。群れをなした住民たちが美しい並木道を現実的にうろうろ歩いている光景は、街が死んでいる印象を与える。混雑した街中からせめて不平不満の声くらいは沸き起こるが、彼らは眼下でおぼれかかっている男優を心配する声を上げようとはしない。また、庭にはとても誘惑的な生花が咲いている。しかしその生花が2組の恋人たちへばかばかしさを信じさせ、郊外の藪の中ではげしい追跡を繰り広げさせたのは明らかである。我々はラインハルト演出のファウストで、舞台のリアリズムがイリュージョンを殺しているということをやっと理解しはじめた、あるいは、再び理解するだろう。そして我々が学んだことは東洋に遡るのである。バリの舞踊劇の舞台装置は、観客の心の中にある。たとえばトペン劇を思いかえしてみよう。するとトペン劇には、舞台空間で決して演じられない或る場面があることを思い出す。その一例として、ケン・アロック(Ken Arok)はある王宮から別の王宮へ行き、王の寝室に入った。けれども、その場面が舞台空間で演じられる場合、踊り手はカーテンとガムランのあいだから逸れた場所で踊るだけである。チャプン(Tjapoeng, Capung)は王宮の壁を登ったが、門衛の兵士に見つかると力ずくで引き降ろされ、殺された。その場面が舞台空間で演じられる場合、壁はなく、ほんの数フィートの高さの段があるだけである。そしてガジャ・マダ(Gadja Mada, Gaja Mada)が天界へ召喚されるにあたって海岸を歩いている姿を、観客はなんと明確に想像することか!もちろんこの場合は漁師たちが網を持っているのだが、よくも網を使って魚や波や船を揺らす風を表現できるものだ!(脚注2:なお、これらの言及については、ケン・アロックやチャプン、ガジャ・マダ、漁師たちが登場する本書の188ページならびに195ページ、306ページを読めば理解できるだろう。踊り手たちが心の中に作る強烈なイメージや人びとの純粋で混じりけのない想像力が、そのようにまるで現実が目に浮かぶような迫真性を生み出しているのは確実であり、どんなに金をつぎ込んで贅沢な装飾や現実的な舞台装置を作っても、そんなものでは代用できない。


  

 バリの舞台空間の照明は、椰子油や灯油を燃料とする小さなランプをいくつか使うのが伝統的であった。小さなランプは舞台空間に適切な間隔で並んでいるバナナの幹製の台の上に置かれるか、椰子の葉製の天井を支える竹の支柱からぶら下げられており、柔らかい光を放って、踊り手たちの顔や頭上で輝く冠をもっとも効果的に見せていた。ただしチャロナランでは伝統的に竹製の大きなたいまつが用いられ、踊り手たちが舞台空間へ入退場する入り口の両側と、魔女の小屋の両側に立てられる。しかし嗚呼、ヨーロッパ製のストーム・ランプ(訳注:ハリケーン・ランプ、風防つきのランプ)が放つ目もくらむようなまばゆさが、バリ人の好奇心をくらますことはなかった。かつてバリの男性は女性を盗むためならば徒歩でやってのけたものだが、今では車を借りておこなうのを好む。p.16→ランプに関してもそれと同様で、彼らはヨーロッパの友人たちの気の良さを悪用している。ヨーロッパ出身の人びとは、自分たちの気の良さを悔やんで久しいに違いない。なぜならば、ギラギラ輝く情け容赦ない照明に悩まされているのも彼らだからである。そこで彼らは椰子の実の値段が2倍に値上がった途端、伝統的な照明に戻ろうとバリの人々へ説いてみた。しかし「シックな」ストーム・ランプは王宮にも浸透し、ストーム・ランプを使い続けることができるくらい金を持っている所にも浸透している。そこで、これからはストーム・ランプを使うことが定着するのではないかと心配されているのであるが。さらにストーム・ランプは不快なほど粗雑で乱暴な光を放つので、そのほとばしり出る光のために頻繁にランプを降ろさなければならない。あるいはスリル満点に進行するシーンの真ん中で、ストーム・ランプの芯の手入れをおこなうために、または油を足すために、人びとが地面に散らばることも時々ある。その間、英雄的なバリスを踊る踊り手の周囲には影ができ、彼が身につけている羽飾りはその影の中で波打ち、光っている。いっぽう道化たちは顔をしかめ、無駄に跳ね回っている。道化たちにとってはあらゆることがネタである。もちろん人々がこの中断を不快に感じているのは、道化のせいではない。さらに王宮のような場所では、ストーム・ランプは消されるべきだろう。さもなければ、このうえもなく洗練された王ががらくたの中をうねりながら歩むことは、人びとの感覚を乱すだろう。しかしそんなことを考えるのは著者たちだけであり、バリの観客たちはもちろんそんなことを考えていない。観客たちにとっては、しょせん上演のなかの楽しい部分なのである。観客たちは流れに身をまかせている。しかも筆者たちがすでに述べたように、観客と舞踊の間柄は水と油の関係にすぎないのである。



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訳註

グラノフスキー Granowsky:アレクシス・グラノフスキー(1890-1937)。 Alexei Michailowitsch Granowski、Alexander Granowski、Alexis Granowskyとも表記される。1919年にモスクワ・ユダヤ劇場を設立。なお、マルク・シャガールは1920年からモスクワ・ユダヤ劇場の壁画を描いた。後年、グラノフスキーはラインハルトとも交流があった。グラノフスキーは映画監督としても著名で、代表作品に『O・F氏のトランク(The Trunks of Mr.O.F Die Koffer des Herrn O.F, 1931年)』、『モスコウの一夜(Les Nuits Moscovites, 1934年)』、『隊長ブーリバ(Tarass Boulba, 1935年)』などがある。



マックス・ラインハルト(Reinhart, Max Reinhardt)がザルツブルク音楽祭(Salzburger Festspiele)で手がけたファウスト(Faust)の演出:マックス・ラインハルトMax Reinhardt(1873-1943)はユダヤ系の演出家およびプロデューサー。1917年にラインハルトがザルツブルク音楽祭の企画を考え、1920年に第一回ザルツブルク音楽祭が開催された。1933年にラインハルトはザルツブルク音楽祭でファウストを演出したが、この舞台音楽の指揮をつとめたのがカラヤン(Herbert von Karajan)であり、カラヤンのザルツブルク音楽祭デビューとなった。



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