ratugede

INTRODUCTION
はじめに

Beryl De Zoete & Walter Spies
『Dance and Drama in Bali』
p.1-p.45
1973(Reprint) Kuala Lumpur :
Oxford University Press
Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938
ratuayu
その6・ 2009年4月3日更新・ DDBHome
はじめに−その1                p.1〜p.7(32)
はじめに その2               p.7(33)〜p.11(23)
はじめに その3               p.11(24)〜p.16(17)
はじめに その4               p.16(18)〜p.19(25)
はじめに その5               p.19(26)〜p.22(7)


p.22の8行目から

『Dance Style』(後半)

   さて、役柄ごとにふさわしいラグ(lagoe, lagu 話しかた)があり、全部でたくさんの数にのぼる。たとえばプナサールのラグは堂々としており、声域の広さと荒っぽさを多少目立たせたその話し方は注目に値する。プナサールは低い声でゆっくりと唱えるように話しつつも、高いしわがれ声で叫んだり笑ったりして変化をつけるのである。また、ジャンルごとにも異なるラグがある。歌が大部分を占めるアルジャでは、音の高さを非常に変化させたイントネーションに特徴がある。のちの記述では、洗練された男性と女性の役柄が、まるで曲線をそっと柔らかく描くように情感たっぷりと台詞まわしをする様子や、バリスの踊り手がさざめくように笑う様子、魔女ランダや超自然的役柄が説明しがたい響きを放ちながら話す様子、場合によってはおんどりに似た甲高い鳴き声がきわめて優雅な声から起きる奇妙な様子などについても、取り上げる予定である。



 筆者は踊り手たちのそういった動きかたや話しかたの様子を、さまざまな舞踊のパッセージを描こうとする記述へ試みるつもりだ。しかし明らかに、そういうことはサウンド・フィルム、つまり音つきの動画でのみ可能なのである。なぜならば、踊り手たちの各ステップが音楽のリズムに合っている関係、それが何よりも大事なことであり、同時にそれが実際に舞踊へ生命をもたらすからである。多種多様に組み合せて実演される動きの数々やスタイルの微妙な違いは、音楽を伴っているからこそ、きわめて意味があるのだろう。したがって、踊られてこそ初めて、踊りの言語として現れるバリ舞踊の多種多様に富んだ動きの文法を、ここではおぼろげに示すことだけしかできない。けれども、申し分のないものに対して少しでも近づこうと、文章を使って分析をおこなうのもムダではないだろう。そこでここでは舞踊劇の1ジャンル、ワヤン・ウォン(Wayang Wong)に登場するラーマ(Rama)の動きのフレーズを記述してみ.ることにする。なおワヤン・ウォンについては後に章を設け、もっと幅広く記述する予定である。



 ワヤン・ウォンでラーマが登場する時の踊りかたは、イグル・サンビラン(igel sambiran) と呼ばれ、そのうちサンビランは「カイン(kain)をもてあそぶ」という意味をあらわす単語、ンガビル(ngambir)に由来する。なおカインとは縫いあわされていない布の総称で、この布を使って下半身をいろんな方法で巻きつけて装う。登場時のラーマは、一歩進む前に大きく外へ開いた片足で地面を軽く打ち、それからゆっくりと前方へ向かって進む。ラーマは身体の両側で、両手を見た目のうえで少しアクセントをつけるように握っている。そしてステップから次のステップへと進む間に、あたかも予期していたかのように、アンサル・ブアン(angsal boeang, angsal buang, アンセル・ブアンangsel buang)と呼ばれるアクセントが起こった。それはブアンという言葉のとおり、「投げ捨てる」あるいは「放棄する、やめる、拒否する」という意味のアクセントである。しかしアンセル・ブアンを記述できるのは、実際のアンセル・ブアンそのもの以外にありえない!そしてアンセル・ブアンのもたらす効果と印象は、ラーマの前進がなかなかうまくいかないように見えることである。まるで踊り手は勘で進むかのように前進をためらい、躊躇している。



 ラーマの踊り手はアンサル・バティス(angsal batis, アンセル・バティスangsel batis)というポーズもとる。これは足のアクセントであり、ガムランのシンバル類であるチェンチェン(tjeng- tjeng, cengceng)が、アンサル・バティスを強調するフレーズを奏でる。次にラーマは身体の横から両腕を広げながら離し、カーブを描きながら両腕を肩の高さへ挙げた。そして内側へ曲げると、まるで冠を調整するかのように、指で額に触れた。事実、それはプナカス・ガルン(penakas galoeng, penakas galung)、すなわち「冠に触れる」と呼ばれる動きである。→p.23引き続き彼は、さきほどとは逆に、手のひらを後ろへ向けながら、両腕を大きく下へカーブさせる。



 そしてラーマの右手は自分のサプット(sapoet, saput, サプットは男性のカインを指す単語)をつかむと、自分の前で斜めに広げる。これがイグル・サンビランの大きな特徴であり、その動きにちなんでこの動きはイグル・サンビランと名づけられた。同時にラーマは手をねじるような動きをおこなって、サプットをカーテンのように扱い、まるで隠れ場所から覗くような行動をとる。その行動はアワサン(awasan、見る)と呼ばれ、「目配りをおこなっている」様子を表現している。さらにアワサンとともに、頭の動きがおこなわれる。その頭の動きはエンゴタン(engotan)といい、頚部を左右に動かす。バリ舞踊ではさまざまな速さでエンゴタンがおこなわれるが、時には迅速におこなわれるので、その場合は分析できる動きというよりも、短時間で起きた振動のように見える。ウダイ・シャンカール(Uday Shankar) の舞踊団を観たことがある人にとっては、エンゴタンが珍しくないだろう。ウダイ・シャンカールの一座は、マラバール地方のカタカリ舞踊で誘惑のニュアンスをもたせるために、エンゴタンと同じ動きをおこなっていた。かたやバリの場合、エンゴタンはおそらくウダイ・シャンカールと同じような意味を持っているのかもしれないが、たいていはもっとはっきりとした光景を伝えているのではないかと筆者は考える。またエンゴタンは、雄牛が左右を見ている様子を描写したものと言われているのである!



 ゴングはフレーズの終わりで鳴らされるが、その間のフレーズの長さは注目に値する。ゴングが鳴らされるまでの間に、ラーマはクカウィン(Kekawin、歌詞は古代ジャワ語)を唄う。ラーマはくねくねとした、気弱そうであいまいな動きのスリョッグ(seljog, 頭と肩のアラベスク)をおこないながら、プナレック(penarek)を発する。プナレックとは、好奇心の強い雄鶏が天や上方を指して鳴く甲高い声のことである。多かれ少なかれ、その時のラーマは交互の足でバランスをとる。そしてプナレックのあとも、彼はまぶたを半分閉じた状態でくねくねした動きを続け、右腕はアラベスクに伴って動かしながら、左手は脇の下で衣装をつかんでいる。しかし以上の記述は、1人のラーマ役が踊ったフレーズの1つをとりあげたという、部分的な分析にすぎない。しかもラーマは誰かと一緒に踊っているのである。文章で記述する困難は、現実の踊り手たちが繰り広げる素晴らしい舞踊を見たあとに、それを言葉で表現しようと試みる人ならば誰でも、その際に直面する計り知れないほど複雑な課題のうちの、ほんのわずかにすぎない。しかも踊りのパッセージと密接に結びついている音楽を抜きにして記述しようとするのだから。



 ところで著名な中国人が、好評を博する大英博物館にてKu Ka’i-Chih、すなわち顧ト之(こがいし)の有名な画巻を見せられたとき、彼はこの最高傑作に対し「決まりに従った絵ですね」と言った。「表現」という言葉に慣れ親しんでいて、芸術作品を目にするとまず「表現の質」を期待する我々にとって、彼の発した言葉は、やや冷淡な賞賛のように思える。しかし実際は、芸術作品の中の最良で重要な質は、鑑賞者の心の中にある伝統や基準と一致する。その残りの部分は個人の鑑賞眼に依り、極めて伝統的な芸術では、芸術家の個性と同じくらい、人目につかないある部分を占めている。そして驚くばかりに生き生きとしたバリ舞踊の技法の伝統は、疑うまでもなくバリの目ききたちがいるから作られたと、筆者たちは強調し続けてきた。バリの目ききたちとはもちろん、バリ人舞踊家たちのことであり、彼らはヨーロッパのクラシック・バレエの目ききたちと同じように、舞踊を見てまず「決まりに従っているかどうか」を判断するだろう。おそらく、良い踊り手と平凡な踊り手の違いは、実のところ少ないのではないか。もしも彼が卓越した芸術家でなければ、他の素晴らしい芸術家たちが注目され、少なくとも彼は埋もれてしまう。或いは逆に彼が卓越していれば、何者も彼を埋もれさせてしまうことはできないという、あらゆる時代を超える芸術のように。p.24→それにもかかわらず、どう見てもバリではある踊り手と別の踊り手のあいだに、大きな特異点や相違がある。伝統的なテクニックを持ち合わせていない踊り手が、自分の能力を明らかにするなどとうてい出来ないのだが、伝統的なテクニックの熟練だけではなく、完全に役柄の「アティテュード」や容姿になりきる能力の熟練度にも相違がある。舞踊劇や舞踊で肝心なことは、踊り手は普段とは別の新しい生を生きなくてはいけないことである。バリの舞踊や舞踊劇での人物役は、演者個人の私的感情を顔に表わさない。それよりも、演じている役柄独特の表情を表現しようとする。普段のバリ人の表情は穏やかだけれども、舞台空間上とは比べものにならないほど柔軟なので、舞台空間上の踊り手たちの表情は文字通り「別の考え」、あるいは踊り手の心の中に描かれているものによって、改めて型作られているのである。もしも、傘の後ろから前方へ向かって前進するバリスの踊り手のそばに居合わせたならば、彼の頬がぶるぶると震えて、縮まったりふくらんだりするのがわかるだろう。また彼の眼は一心に何かを凝視している。バリスの踊り手の顔のかたちは変化する。それはまるで、彼の顔の中にある何かが型を作っているかのように。



 そのようにバリの舞踊が極端に個人に関係しないことは、一部の人びとを苛立たせ、しかもバリ舞踊は表現のために考えられるありとあらゆる適性を伴っていることから、それら一部の人びとにとっては衝撃的かもしれない。しかし既に述べたように、個人の気質といったものは、別の媒体へ変換されるのである。不思議なことに、観客と別の媒体のあいだにある何かが踊り手の体をいくぶん改め、洗練させる。バリの人びとが言うところの「別の考え」が入って新たな媒体物へとなっていく過程はもちろん、卓越した踊り手や演者たちに発生する。そして恐らく「別の考え」とは、我々が言うところの’great’だろう。さらに仮面舞踊劇の場合はさておき、バリでは化粧や顔につける何かが、人を演者へと変身させることはない。たとえば、容貌の衰えた老いた男性が踊りだすと、彼の身体が描くラインは若い女性そのものとなる。そばかすだらけの鼻の低い若者が踊りだすと、彼は愛らしい横顔をもつ、とても優雅で高貴な英雄になる。しかも彼らは全く化粧をしていないのである。また、クビャル(Kebyar)という舞踊の高名な踊り手マリオ(Mario, I Nyoman Maria)が、コバルビアスの著作に掲載されている自分の写真を見たとき、彼はこう叫んだ。「すごい踊り手じゃないか。どうして今まで私は彼が踊るのを見たことがなかったのだろう!」しかし彼はその写真が自分であることを知ると、驚きながらも笑って喜んだ。それはきっと彼自身が、「別の考え」の媒体になっている時の自分の顔を見たことがないからだろう。マリオは普段の自分の顔しか知らない。マリオは踊り手として舞台空間に登場する瞬間の直前まで、すなわち踊り手としての態度に急変するまで、普段の生活の彼は控えめで、でしゃばらない。一方、当のコバルビアスはマリオについてこう言った。「幾夜もマリオが踊るのを見たあと、ある日、1人のとても静かな若い男性が私に会いに来てくれた。しかしまさか、もの静かな若いその男性が、あのマリオだとは。私はわからなかった」と。これによく似た経験は何度でもある。デモーニックな力の権化を見事に見せた踊り手が、踊り終わってしばらくしたあと、仲間と一緒におしゃべりに興じながらキンマたばこを噛んでいる。あの踊り手が実はどこにでもいるような小柄な農夫だったとは、信じられない光景だった。



 さて一部の人びとは、レゴン(Legong)というジャンルの2人ペアの踊り手たちの表情が、憂鬱そうに見えると感想を述べている。たとえばある人はレゴンの2人の表情について「wehmütig」、つまり「悲しみに満ちている」と言う。事実、バリの舞踊や舞踊劇では道化役たちをのぞいて、歓喜の表情というものがいっさい見られない。その逆に、打ちつけるしぐさや乱暴なしぐさを伴いながら、伝統的な形式にのっとった泣きの表情や悲嘆の表情、怒りの表情で、悲哀を表現している。そして怒りをのぞき、感情を爆発させることは全くない。従って、歓喜が見られないことは、確かに特筆すべきことだろう。しかし人間役ではなく、猿たちや、ランダのような超自然的存在の奇怪な表現にのみ、歓喜の表情が見られる。p.24→また、レゴンの踊り手たちの顔はたいてい無表情だが、たまに微笑を浮かべて輝くこともある。けれども、だからといって踊り手たちが私的に微笑んでいるわけではない。それよりも、もしもレゴンの踊り手たちが、踊っているあいだにまるで台風のように表情をダイナミックに変化させたりすれば、レゴンの踊り手たちの見開いた眼はまるでブタ(boeta, buta 脚注:悪魔)と同じ表現となり、観客へ恐ろしい印象を与えることになっただろう。あるいは、バリのさまざまなジャンルの舞踊のなかでも、音楽に対する個人的な感情を表現しているのに近いと思われるのが、クビャルというジャンルの踊りであるけれども、クビャルの踊り手は自分の個人的感情で顔の表情を変化させているのではない。クビャルの踊り手の身体には隅から隅に至るまで、伴奏音楽が生きた状態で流れ続けているのであり、クビャルの踊り手の表情は1個人としてではなく、楽器として反応しているのである。もしもクビャルの踊り手が1個人として自分の感情を表現すれば、その踊り手が時折見せる反応の激しさは、観客をゾッとさせ、退屈させるに違いなかっただろう。クビャルの踊り手の身体は単に、新しい楽器的媒体となっているだけなのである。そして筆者は思うのだが、どの踊り手も程度の差こそあれ、自分の役柄にとりつかれているはずであり、たとえバリといえども、自分の役柄にとりつかれる能力というものは、きっと踊り手によってたいへんな差があることだろう。それが「アティテュード」、つまり態度や感じ方とは決めてかかれない場合、たとえば仮に儀礼の場や舞踊の場でもないならば、我々はその行為を魔物から本当に憑依されている状態の代わりか、無意識状態の代わりで不完全なものと思うだろう。そして「とりつかれている」とみなすだろうか?日本には’demon at the heart’ という表現があり、日本語でkokoro-no-oni(心の鬼)という。時おり「踊り手がその役柄を演じているのではなく、踊り手にのりうつった魔物が演じている」と感じる人びとがいる。そう感じるのは我々の中にある、あるがままの無意識に直接接したからであり、ふつうその種の感覚は全く埋もれているか、狂人の奇抜な思いつきで表面化するかの、いずれかだ。



p.25の17行目まで


  

訳註


ウダイ・シャンカール(Uday Shankar) の舞踊団:ウダイ・シャンカル Uday Shankar。生年1900−没年1977。インドの舞踊家および振付家。ムンバイで舞踊を学んだのち、ロンドンの英国王立芸術学院(Royal College of Art)に留学。留学中にアンナ・パブロワの『Krishna and Radha』の振付・演出を手伝った。1929年に帰国後、舞踊団を結成し、1930年代にヨーロッパやアメリカを巡業。舞踊団には弟のラヴィ・シャンカールも所属していた。ウダイは、インドでの勤務経験を持つ農学者・農業経済学者レオナード・エルムハースト(Leonard Knight Elmhirst)を介して、ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)と交流があった。なお余談であるが、レオナード・エルムハーストと彼の妻ドロシーはタゴールの思想に影響を受け、地場農業や地場産業の復興、独創性に富んだ考えを養う場を求めて、1925年にデボン州ダーティトンに建つ廃屋寸前の屋敷と土地を購入して修復をおこない、翌年にダーティントン・ホール・スクールを、1935年にダーティントン・ホール・トラスト(Dartington Hall Trust)を創設した。1930年代にエルムハースト夫妻は陶芸の指導者としてバーナード・リーチをダーティントンに招き、リーチは10年間滞在した。のちの1952年にはリーチが濱田庄司や柳宗悦を招き、ダーティントン・ホールで国際工芸家会議を開催した。ダーティントン・ホール・トラストでは陶芸や農業のほかに各種の芸術や文化に関するイベントがおこなわれている。ちなみにノラ・ジョーンズ(Norah Jones)とアヌーシュカ・シャンカール(Anoushka Shankar)はラヴィ・シャンカールの娘。



顧ト之(こがいし):顧ト之(こがいし)は東晋時代の画家。有名な画巻とは大英博物館所蔵の女史箴図(じょししんず)を指している。しかし大英博物館所蔵の女史箴図は模写であるといわれる。



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