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おくりびと


 この映画のことを初めて知ったのは、モントリオール世界映画祭でグランプリを取ったりして話題になる前。
強烈に心惹かれたにもかかわらず、中々劇場に足を運べなかったのは、自身の出不精もさることながら、
「何だかおっかねえだ・・・」と尻込みする思いが情けなくもあったから。
「死」=「穢れ」という偏見(勿論、頭では否定してるんだけど・・)と
出来るだけそういうことに目を背けていたいっていう臆病な本音がそこにあったと思う。

 しかし、色んな課題(何の課題やねん?)が片付いた後、
ありがたい事にまだ梅田ピカデリーで上映しており、最終日直前のレディースデイにやっと・・。
観に行って本当に良かった!ちっともおっかねえことなかったし、
「おくる」ことや「おくられる」ことも、決しておっかねえことじゃないって心から思えた。
これこそが、映画「おくりびと」の狙いでもあったろう。
仮に「死」=「穢れ」だとしても、厳かで清廉な納棺の儀式はそれを見事に清めてくれるというものだ。

 映画は主人公が納棺師となったいきさつはすっとばし、いきなり納棺の儀式から始まる。
ちょっと意外だったけど、これは大正解。舞台は真冬の山形。庄内平野の静謐で真っ白な雪景色。
そして、本木雅弘演じる納棺師の、「おくられびと」への繊細で美しい所作に魅せられた私は、
早々に「おっかなさ」から解放されたばかりか、自然とこの仕事に敬意を抱くことが出来た。

 実際、映画の中の人々(遺族)も、粛々と執り行なわれる納棺の儀を目の当たりにすると、
愛する人を失ったやり場の無い悲しみも慰められ、納棺師の彼に感謝と尊敬の念を抱く。
そして、元々オーケストラのチェロ奏者だった彼が、失業のため故郷に戻り、
「年齢問わず、高給保証!実働労働時間わずか。旅のお手伝い」
(説明不足ではあるが、嘘でも無い。もっとも「旅のお手伝い」は「安らかな旅立ちのお手伝い」の誤植らしい)
という求人広告に惹かれて、ウッカリ会社訪問してしまった“NK(納棺)エージェント”の、
ちょっとトボケた社長(山崎努)に押し切られるように就いてしまった、
最初は不本意極まりなかったこの仕事に次第に誇りを持つようになるのだ。

 ところが、ちゃんと納棺師の仕事を見た人は理解するんだが、
「身近な人の死」なんて基本的に非日常的なことだから、多くの者は偏見を持ったまま。
悲しい事に、旧友(杉本哲太)でさえ彼と縁を切ろうとするし、
ウェブデザイナーの仕事も東京での生活もあっさり捨て、イヤな顔ひとつせず夫についてきた、
理解あるはずの妻(広末涼子)も一度は実家に帰ってしまい、
妊娠に気づいて戻って来ると、生まれてくる子供の為にも、
そんな「汚らわしい」仕事はやめてくれと懇願する。

 ここで「あんたね・・モックンのすんばらしい仕事ぶりを見てないから、そんな事言うんだよ!」と、
叫びたくなった人はバービーだけではあるまい。すると、Good timingな(映画的にネ)ことに、
旧友の母親(吉行和子)が突然倒れて亡くなる。
昔っから銭湯をやってた彼女とは、モックンも旧知の間柄。
妻のことも紹介して、「こんなめんこい子もらって」と言われた矢先のことだった。
悲しい場面だが、妻と友人に、納棺師の仕事を知ってもらう絶好の?機会となる。
彼らの思いが一気に「蔑み」から「敬い」に変わったことは言うまでもない。
そんな心情の変化を、「ごめんなさい。あなたのこと、誤解してたわ」とか
「すまねぇ。俺はお前にひどい事言っちまった」なんて台詞じゃなく、
涙をいっぱいためた「瞳」ですべてを語らせたのも正解!

 キャスティングも絶妙。主役の本木君はもちろん、
脇を固めるベテラン俳優陣も皆すんごいイイ味出してた。
けど、少し不満が残ったのは妻役の広末涼子。
最初はモックンの年齢に合わせて30代後半の女優を探した所、ピッタリの人がおらず、
滝田洋二郎監督の馴染みである広末になったそうだけど、
私は鈴木砂羽なんかが適役だったんじゃないかなって思う。
本木君が若く見えるから二人並んだ時の違和感はなかったけど、
広末だと、「めんこい」のは良いけど、何だか青い。
唯一の濡れ場も、初仕事(なのに死後二週間放置された老婆っていう超ヘビィな・・)の後、
精神的にまいりまくった夫が暖かい肉体を求めたって状況なんだけど、
あんな女子高生みたいに平らな下腹部じゃ、ちっとも暖かくね〜!ちっともエロくね〜!
勿論、あからさまにエロかったら趣旨が変わってくるけど、
一度実家に戻った妻が戻ってきた原因の妊娠って、恐らくこの時の・・でしょ?
だったら、もっと心に残る、じんわりとエロいシーンにした方が良い。
だって、生きるって事がエロスなんだもん。
人の死を真正面から捉えた映画だからこそ、
その対極にあるように見えて実は隣り合わせにある「生」を、
山崎努がフグの白子焼きを「これもご遺体だが旨いんだ。困った事に」と言って
食べるシーンがとてもいい感じだったように、
エロティックな部分も、もっと印象的に描いてほしかった。
この映画の「生」の部分に大きく関わる存在として、
広末ではやっぱり物足りなかった。困った事に。

 最後に、主人公にチェロを習わせたり、「石文」ってやつを教えたり、
作品の重要アイテムを提供?しながらも、彼が幼いうちに女と失踪してしまったという父親が、
映画の終盤近くまで姿を現さないのに存在感は抜群で、
やっと対面した時は既に遺体だったのは、この映画にふさわしい展開だった。
その父親役が峰岸徹(10月11日に永眠)だった事は、
作品とは別の部分で感慨深くて・・。若い時から好きな俳優でした。
 峰岸徹さんのご冥福を祈ります。合掌。


追伸

本木君がチェロを演奏する姿も素敵でした。
音色的にも、ビジュアル的にも、他の楽器はあり得ないと思うほど、
チェロはこの作品にハマっていました。

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