九州インド哲学

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PHOTO by KEI KATAOKA
■ 仏教学の将来のために

 自然科学の世界では,よく「基礎と応用」という二分を聞きます.このようなアピールは,もちろん,基礎科学の側からのものでしょう.建築物のイメージを使いながら,「土台がしっかりしていないと上が崩れてしまうから,しっかりと基礎を固めましょう」というわけです.つまるところ,直接には金にならない土台にも注意を向けましょうということです.まともにもっともな見解です.

 このような見方は,人文科学にも使えるでしょう.土台にお金をかけなければ,大きな構造物を建てる事など不可能です.公共の研究機関としての大学院,特に国立大学法人の役割は,より強く,この側面に求められるでしょう.実際,応用的な人文知の下には,地道な作業がつきものです.写本や古文書の調査・研究,原典テクストの批判校訂などは,その最たるものでしょう.屋上の派手な宣伝も,礎石がしっかりしていればのことです.

 建築物のイメージは,上下のメタファーを使ったものです.同じ上下のメタファーでも,企業における調達・製造・販売・サービスでは,川上と川下というメタファーが用いられます.仏教学をこのメタファーで考えて見ましょう.

 川下に位置するのは,町の本屋にあふれる仏教書です.僧侶をはじめ,職業作家や講演家による分かりやすい仏教解説・講話などなど,枚挙に暇がありません.あるいは,葬式やお彼岸などで偶に耳にする近所のお坊さんの法話も含まれるかもしれません.最近では,インターネット上の情報も含まれるでしょう.これは,われわれ庶民が直接に耳にする教えで,もっとも身近に位置するものです.近所のコンビニ,スーパー,さらに,ショールームと同じく,末端に位置しながら,我々の理解に直接に影響を及ぼします.

 川の中流に位置するのは,仏教学の専門家が一般向けに書いたものでしょう.職業作家ほど文章はこなれてはいないでしょうが,何よりも,専門知識を生かした正確な理解を提供してくれます.信頼できるソースです.少し大きな本屋にいけば,「空」(くう)の教えや「唯識」など,専門家が分かりやすく説いた仏教書が多く並んでいるのを目にします.一般の理解を向上させるのに,このような啓蒙書の役割は非常に大きなものがあります.有能・多才な職業作家といえども,サンスクリット語で直接に仏典を読むことは少ないでしょう.その多くは,専門家による仏教解説に基づいているはずです.理解のもとを辿れば,専門家の仏教理解に基づいているはずなのです.

 そのむかし,仏教学の大家である村上専精が「大乗非仏説」を唱えたとき,既存の宗派はそれを非とし,結果として村上は,一時,僧籍を離脱することになりました.事実を重んじる科学が,既存の宗教と対立したわけです.しかし今ではどうでしょう.大乗が非仏説であること,つまり,日本に数多ある仏教各派の所依の聖典,大乗経典が「仏陀の(直接の)教えではない」ことは,もはや科学的な「事実」として受け入れています.それを既存仏教への攻撃・非難と見て,反論する僧侶は見当たりません.たとえ仏陀が直接に説いたものでなかろうと,その精神が生きていれば一向に構わないというのが大方の意見でしょう.

 さらに,最新の仏教研究は,仏教学の大家,平川彰の「仏塔信仰起源説」のイメージを乗り越えようとしています.「在家者の仏塔信仰を起源とする大乗仏教」という,一昔前の仏教学の教科書の知識が塗り替えられようとしているのです.われわれの大乗仏教のイメージも,いずれ変化せざるをえなくなるでしょう.

 このように,川下の理解は,上流での変化に大きく左右されます.では,その上流は,どのような姿をしているのでしょうか.

 まず専門家が専門家に向けて書いた専門書があります.「等流」や「随眠」などなど,一般の人にはちんぷんかんぷんであろう漢訳語のジャルゴンが,そのまま出てきます.ここでは,周知のことを分かりやすく説くのではなく,未知なる領域を切り開き,新たな光を当てることに価値が置かれます.まさに知のフロンティアです.学会は,学者同士,各自の発見が正しいのかどうか,それを精査し吟味する場です.このような場所を確保することは,直接に下流に関係ないように見えて,ゆくゆくは大きな影響を及ぼすのです.河口の先にある大陸棚の豊かな海を守るためには,上流の森林を保護しなければなりません.

 川の上流にいくと,川筋は多くの支流に分かれ,一つ一つは小さな流れにすぎません.源泉を求めて上流に行けば行くほど,専門化の度合いは増し,同じ専門家同士でも,意思疎通が難しくなります.まさに,ジャングルの上流に分け入れば,ただ我一人の状態となるのです.多くの川の水が出会う河口や海において「たこつぼ」に入れば,それは非難されるべきでしょう.しかし,上流のジャングルにおいて,一人きりで探索を続けることは,或る意味,必然なのです.上流でただ一人発見したものを持ち帰れば,それは皆の大きな共有財産となります.ときどき人里に降り立ちながらも,知のフロンティアを求める探険家は,一人,ジャングルの奥深くに分け入るべきなのです.

 そのような孤独な活動を支える重要な場所として大学があります.逆に言えば,大学という公共の場なくして,そのような活動を独力で行なうことは困難でしょう.その成果を教育・研究発表を通じて,広く,一般へと影響を及ぼす責務のあることは言うまでもありません.しかし,目先の利益に捉われて,上流で森を守る人のことを忘れたとき,豊かだった漁場はどうなるのでしょうか.一見,地道な研究こそが,下流での知識の豊かさを保障してくれていることを忘れてはなりません.

 東京大学,京都大学,東北大学,九州大学など,旧帝大には所謂「印哲」の講座が設けられています.仏教学,インド学,インド哲学,インド文学,梵文などなど,名称は様々です.しかし,その目指すところは,科学的手法による批判的な仏教学の基礎付けにあります.漢訳仏典だけではなく,パーリやサンスクリット,そして,チベット資料を駆使しながら,仏教の歴史・思想史を立体的に組み立てることが目標です.そのために原典批判は欠かせません.宇井伯壽を始めとして,地道な作業が連綿と続けられ現在に至っています.

 はじめて宇井伯壽の著作を紐解く人は,その難解さに驚くでしょう.現代の口語からすると「ほとんど意味不明!」な日本語です.見方を変えれば,宇井は最も上流で研究した人といえます.実際,現在でも多くの仏教学者が宇井の研究を高く評価し,そして,そこから再スタートします.現代の仏教学の枠組みを作った人物の一人なのです.写真の相貌に相応しく,重戦車で文献に体当たりしていく宇井の研究スタイルは,圧倒的な力を持ち,そして,未だにその生命を保っています.

 一宗一派に偏ることなく批判的に仏教学を基礎付けること,そして,最上流で森を守ること.九州大学においても,その伝統は守られてきました.干潟龍祥,松濤誠廉,伊原照蓮,戸崎宏正ほか,印哲の歴代スタッフが,発足以来,仏教学に必要な図書資料を整備し,同時に,多くの研究者を育ててきました.文学部の書庫に入り,印哲のラベルがついた蔵書の数々を見れば,このような宝が一朝一夕に蒐集できないことを実感できるでしょう.多くの先人の努力のもと,現在まで守られてきたのです.昨日今日で出来上がるものではありません.

 しかし現在,研究室の年間予算は縮小傾向にあります.さいわいゼロではありませんが,ゼロが沢山あるわけでもありません.数字を聞いて驚かれるでしょう.中洲の飲み屋の一日の売り上げより少ないかもしれません(笑).←笑い事ではありませんが,笑うしかない有様なのです.

 結果として,基本的な図書資料の購入すら難しい状態に陥っています.最近では,いくつかの高価な洋雑誌の定期購入を諦めざるを得なくなりました.もちろん図書が最優先ですから,研究室に備えるべき机や本棚といった設備は後回しです.まして,「冷えない割りにうるさい」冷房や,数十年前のガス暖房,また,「音のうるさい」照明など,数十年前の非効率的なものがそのままです.電気代を考えると,思い切って新しくしたほうがいいのですが,無い金は叩けません.わたしも夏は,壊れてピクリともしない巨大エアコンの上で,静かに扇風機(←これまた偉く古そうですが)を回しています.もちろん,インドの40度に比べれば,九州の30度くらいはたいしたことないのですが.

 今現在の影響は微々たるものです.しかし将来への影響は計り知れません.印哲の書庫を覗くと,「こんなものまで」と思う貴重な図書によく出くわします.先人の目利きには脱帽します.図書検索で調べればすぐに分かるように,九大印哲の蔵書には,日本に唯一九州にしかない蔵書も数多く含まれています.海外の高名なインド学者の旧蔵書をまとめ買いしたようなものも見受けられます.戦前の日本です.大金をもって苦労して買い付けたに違いありません.その努力に感謝せずにはいられません.

 九大印哲は,九州随一の仏教学研究センターであり,同時に,教育機関として機能してきました.連綿と受け継がれてきたこの火を絶やすわけにはいきません.仏教学の上流の泉を守り,森を守るため,我々に何ができるのでしょうか.目先の利益に飛びつき下流で鮭を乱獲し,流れを堰き止めたつけは,いずれ回ってくるものです.われわれの共有財産を守るために今行動しなければなりません.


■ 寄付制度について

 国立大学法人九州大学では,企業などの団体だけでなく,学問に理解ある個人からの御寄付も受け付けています.九州大学の寄付金制度は以下のように定められています.(http://www.kyushu-u.ac.jp/society/kihukin/index.html)
1)受入れの対象となる寄附金は、次に掲げる経費のいずれかに充てることを目的とする現金及び有価証券です。

 (1) 学術研究に要する経費
 (2) 教育研究の奨励を目的とする経費
 (3) その他本学の業務運営に要する経費

2)寄附金の使途の特定は、寄附者が行います。ただし、寄附者が寄附金の使途を特定していない場合は、総長がこれを特定します。
九州大学文学部インド哲学史講座における「仏教学・インド学の基礎的研究」のために使うことも可能です.大学全体での受入手続きは次のように定められています.
1)寄附の申込希望がある場合は、寄附金申込書(様式任意)を関連する部局に御提出下さい。

2)寄附の申込を受けた部局長は、次のいずれにも該当すると判断される場合に、総長に受入れを申請します。

 (1) 寄附の内容が本学の教育研究上有意義であること。
 (2) 寄附の内容が適当であること。
インド哲学史講座の場合,所属する部局は文学部(人文科学研究院・人文科学府)となります.

 もちろん,(「特定の経典の研究」など)著しく使途を限定したものは受け入れられません.「仏教学関係資料購入」など,一般的な使途の限定は可能ということになります.実際,現在の研究室予算ではとても買えない高価な全集(大型資料)など,本来そろえるべき資料は多くあります.また将来の仏教学を支える学徒が自由に使える共用パソコン(情報関連機器)も,研究室に二台(2006年12月現在)では寂しい限りです.

 研究室で発刊している雑誌『南アジア古典学』は,執筆者各自の持ち寄った僅かな資金と印哲OBの寄付(雑誌発刊費用)で細々と続けています.資金は僅かですが,その心意気は高貴です.九大関係者に限らず,他大学の若き学徒にも投稿機会の広く開かれた実に珍しい「研究室」雑誌なのです.編集責任者の一人として,少しでも長くこの雑誌を続けていきたいと考えています.

 なお,寄付における税法上の優遇措置は寄附金5000円以上よりとなっています.
3.税制上の優遇措置
本学への寄附金は、所得税法上の寄付金控除の対象となる特定寄付金又は法人税上の全額損金算入を認められる指定寄付金として財務大臣から指定されているものです。寄附金の入金確認後、確定申告時に必要となる「領収書」を寄附者に送付いたします。
九州大学における寄付金に関する問い合わせは,

    財務部経理課外部資金管理係  zakgaibu@jimu.kyushu-u.ac.jp
    TEL 092-642-2173
    FAX 092-642-4302

またはインド哲学史研究室あるいは片岡宛に直接お問い合わせください.

    九州大学(箱崎地区)
    〒812-8581 福岡市東区箱崎6-10-1
    電話:092-642-2111(箱崎地区代表番号)

 寄付申し込み用紙(様式任意)はこちらからダウンロードできます.


(寄附に関する公式の規定は九州大学における寄附金の取り扱いについてへ)