湯島知る人ぞ知る美味いもの処
酒席「太郎」
2006年4月28日

通勤客で混雑する夕刻の千代田線を、湯島駅で降りた。

久方ぶりである。若いころは湯島にきたら、下って御徒町・上野方面の歓楽街に足を踏み入れ酔いしれることが多かった。悪い仲間がたくさんいて、誘ったり誘われたり・・・そこここの角に、怪しい国籍の外国人女性がたむろして、呼び込みを繰り返すのは今も昔も変わっていない。

そんな喧騒とは正反対の静かな住宅街に入った。

こんなところにと思う路地裏に、とはいっても著名な神社の石段の脇に、蛍光灯の明るい看板が闇に浮かんでいた・・・。

暖簾をくぐると、待ち人はカウンターの入り口に近いところに陣取っていたが、わたしを確認すると片手を少し挙げて迎えるしぐさを見せた。もう一人、隣に麗しい方が腰をおろし、なにやら楽しくお話をしていたようだ。

「わたしも少し前に到着したところで、これが最初のビール!」と相棒はまだ細かな泡の残るジョッキを口に運んでいる。わたしはカバンを背面の棚に押し込んで「どうも、遅くなって・・・」と一言ご挨拶。二人の間に割り込む形でどっかと座り込んだ。

「今日は少し蒸し暑いから、わたしもビールをお願いします!」

大きな声で、忙しく立ち働く女将に伝えた。こういうときはきちんと伝えないと、互いに損をする。頼んだ食べ物が通っていないときほど悲しいことはない。口も胃も、もうすぐ料理が出てくると信じて準備しているのだから、この肩透かしは異常にこたえる。もっともこの店は、肝っ玉の座った女将が腹に気合を入れてやっているから、そんなことはおきっこない。そしてほとんどが常連さんで、気心が知れている。「あの人は隣の兄ちゃん、この子は同級生。あの爺さんはうちの旦那の幼友達!」なんていう客ばかりなのだ。

この日のお通しは「数の子と大豆」の煮物。これは夏のビールのお供、塩味が効いていてさっぱり感がいい。

奥の座敷をのぞいてみたが、概して年配者が多い。4人とも髪の毛をどこかに忘れてきたようなご老体グループが怪気炎をあげている。町内会のご隠居さんだろうか。だいたい、年寄りほど顔の色艶がいい。テカテカと光り輝く額に精気がみなぎっている。

<常連さん>

隣にネクタイを締めた御仁が一人で座って、盛んに女将に話しかける。常連然としているが、こちらにも気を遣ってくれて、変ないやみはない。ただ、一人で飲む酒はつまらないもの。当然話し相手が欲しい。

かれはカワハギのお刺身をつまんでいる。刺身の量からして大きなカワハギに違いない。

「白身魚の中では一番好きです。脂分が少なくてさっぱりしていますから。」とのたまう。カワハギの刺身なんてなかなか食べられるものではない。高級魚だ。小皿に正体不明が乗っている。

「これはアンキモですか?」とわたし。

「いえ、カワハギの肝ですよ!女将のサービスで・・・」

「えーっ?ずいぶんたいそうな量ですね。これも珍しい。なかなか普段、口に入りませんよ!」

「そうかもしれませんが、わたしは苦手なんですよ。脂がしつっこいもので。・・・もしよろしければどうぞ・・・残すのは女将に悪いので・・・全部食べてください!」

女将の目の届かないところでわたしたちはそれを完食してしまった。

<旬の野菜のてんぷら>

さて、わたしたちは“野菜てんぷら”を頼んだが、そのてんぷらたるや新鮮な山菜のオンパレード。

「これはこごみ、これはタラの目で、これはなんだろう?」

隣の御仁が言葉をはさんだ。

「それは野カンゾウ・・・こっちのは白い花が咲くオオバウルイですかねえ。あるいは紫花のハナウルイかなあ?」
 「実はドクダミもてんぷらにすると美味しいんですよ。あの臭いが消えて・・・」
 植物学者のようにやたらと詳しい。

相棒と「なにしている人だろうね?」とヒソヒソ話をしたが、職業が読めない。サラリーマンではないし、どこかの団体職員かなあ?大学教授っぽい雰囲気もあるが、それとも違って俗っぽい。まあいいや。

女将はこの連休後半には「黒姫に山菜取りに行くんだ!」とおっしゃった。趣味と実益と、健康までもたらしてくれる山菜取り。「ですから、こうやってお安く食べていただけるのよ!」は理屈が通っている。シャキシャキっとした気風(きっぷ)はそのままてんぷらの揚げ方にも現れている。下町の飲み屋はこうでなくてはいけない。

<江戸っ子女将>

「いらっしゃーい、もう○○さん、見えていますよー!どうぞどうぞ、奥へ!」
 威勢がいい。元気をもらえる。
 女将のキャラクターで客をもてなしてくれる店は、客筋も良くて、だいたい繁盛している。

たまに寄らせてもらう吉祥寺「たろう」のママは山の手奥様の品があって、好対照だ。
 「どちらか、ご旅行なさいました?」から始まる四方山話に育ちのよさがにじみ出る。話が楽しくて、いつも長っ尻になってしまう。

京都先斗町の京子ママは猛烈な忙しさのなかで気配り目配りがプロフェッショナル。すべてを掌握しているが、こぼれるような笑顔を常に絶やさない。それでいて会話は的をはずさない。

そんな女性たちがカウンターのなかで活躍するお店は酒も美味しい。



平目を揚げて甘酢で味付け

そして、湯島のこの店の女将は、人間国宝の講談師・一龍斎貞水さんの妻でもある。さばけていて、ざっくばらん、率直なところは下町育ち。それでいて枠からはみ出ない客商売の礼儀をわきまえている。人生の酸いも甘いも・・・いろいろと苦労はされてきたのでしょうね、きっと。

同級生の酒屋が届けてくれたという「特殊な植物油」を利用しているといって、その直方体の油缶を見せてくれた。「普通のてんぷら油よりお値段もはりますけど、お客様の健康のことを考えればこっちのほうがいいですよねえ。」と屈託がない。

ほんとうにてんぷらがさっぱりしていて美味しいのだ。

<たかがころっけ、されど・・・>

その脂で揚げたコロッケもおいしい。



最近はいろいろな種類のコロッケと出合うようになった

具にホタテとエビが入り、山芋でつないでいるのかと思ったが、「つなぎはサトイモですよ!」。サトイモの粘りの食感がいいのと、具との相性がいい。しつこからず、淡白すぎず、中庸の味。

この店はなにを食べても一味違う。

煮魚は目の前の大皿に鎮座する銀ムツを所望した。お腹が当たり前に空いていたので、その分厚さにそそられて「これもお願い!」と。白身魚の淡白な旨味が十分に閉じ込められていて、量といい味といい・・・いいのです。

平目の縁側(エンガワ)はよほど大きな平目のものだろう。分厚くて脂がすごい。これは刺身でというより、鮨ネタとしていただきたいぐらいだ。その点タイの刺身がよかった。

下町の常連が通う人情酒場でもあった。

住 所 東京都文京区湯島3−32−3  
TEL 03-3837-9007
休 日 日曜・祝日
営業時間 17:00〜22:00

<完>


<付記>

一龍斎貞水さん。”東海道四谷怪談”で有名な講談師。
 本名、浅野清太郎さん。昭和14年東京都生まれ。30年先代一龍斎貞丈師に入門、貞春として本牧邸で初高座。41年真打昇進、6代目貞水を襲名。昭和50年度「芸術祭優秀賞」。「赤穂義士本伝」や「四谷怪談」は秀逸。人間国宝。


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