映画感想〜「近松物語」
2005.11.10
「」は映画タイトル・雑誌コラムタイトル
<>は引用文

 <西鶴のものはまだ他にも沢山やりたい。当時の制度の中で人間や女を描けるならね※1>これは「西鶴一代女」を振り返っての溝口健二監督の言葉だ。
 上の記事が掲載されて約6ヵ月後<大映の溝口健二監督が私に逢いたい、という電話があって(中略)用件というのは、近松の「大経師昔暦」の映画化についてであった※2>とある。「大経師昔暦」というのはこの映画の原作となった近松門左衛門の人形浄瑠璃脚本タイトル。また井原西鶴も「好色五人女」のなかでこの物語を扱っており映画の原作として生かされている。この二作品については新作映画・鑑賞の知識※3は解りやすく解説がされており、映画芸術※2にはより詳しい内容が記されている。

 溝口健二の人と芸術※4。その26回目<「大経師昔暦」撮影あれこれ」>。著者は依田義賢。
 依田氏は「近松物語」のシナリオづくりを<大騒動でした>と書いている。人と芸術を読んでいると、溝口監督作品のシナリオづくりはいつも「大騒動」なのではと思ってしまうが、依田氏はわざわざそう書き残している。
 近松と西鶴の二つの原案を織り交ぜ脚本にする難しさ、当代切っての大スター長谷川一夫の出演によるしがらみ、監督からの鋭いダメだし。「大騒動」となった要因が改行もなく綴られたこのコラムは読み物としても大変おもしろい。なかでも茂兵衛が序盤で風邪をひいて寝込んでいるという設定の妙を思いつく件には頭がさがる。

 大騒動のすえに完成した映画について依田氏は<この作ほど、精密な検討が加えられて、映画化されたものはありません>とし<整調された溝口さんの作品としては最上の出来ではなかったでしょうか>と結んでいる。依田氏をして<最上の出来>と言わしめた「近松物語」の当時の作品批評は概ね好意的である。
 しかし、早坂文雄氏の担当した音楽にはついては<歌舞伎的な音楽の効果がちぐはぐになり、ときには失笑をさそう場面するある※5>、<(音楽効果が)ぼくたちの考える近松の気分とはちがってしまった※6>など、否定的な意見が多く見受けられる。
 またその音楽を評価しているものでも<浄瑠璃や芝居の柝を使っての音楽は、すこぶる効果をあげて成功※7>とするぐらいで深い考察にはいたっていない。
 そんななか「近松物語」の音楽※8という短いコラムには、早坂の音楽は伝統的邦楽器の表現を具体的にしめしたとして、新しい映画音楽の可能性に言及している。
<ツケ、太ザオ、鼓、太鼓、三味線などの、それぞれ独立した音が、独立したことによって、どのくらいの表現張力をしめすか、「近松物語」はその問題をもっとも具体的にしめした>

 その言及は18年後の「近松物語」その一音の倫理※9のなかで証明されている。
<「近松物語」の音楽は(中略)早坂文雄が発見した日本の伝統音楽のひとつの創造である。(中略)下座音楽(歌舞伎の伴奏音楽)を利用した音楽ではなく、あくまで下座音楽のもっている独特な音の世界をかれが新しく発見し、それを映画音楽として創造しているのである。>。
 タイトルに挙げられている「一音」とは<太棹三味線の一撥、横笛の一吹き、大太鼓の一打による一音は、その一音だけの存在そのものが複雑であり、それ自体ですでに完結しているともいえる>音であり音楽であるとしている。
 伝統楽器の一音に意味を見出し、また一音と一音の「間」にも音楽的な意味を見出す。<(「近松物語」でこころみたのは)日本の伝統音楽の一音の構造を映画音楽へもちこみ、映像と音との新しい関係を実験し創造するということでもあった>。
 ここでは省略するがこの後、映画のなかで「新しく創造された一音の構造」がいかに使われ、それがどのよう効果を生んでいるかについて書かれている。

 音楽についての引用が長くなったが、古典を題材に江戸時代の町屋を舞台とし、歌舞伎的様式を織りこんだこの時代劇が「新しさ」を確実に携えた作品であることを、ここから発見することができる。
 辻久一氏が<(監督にとってこの映画題材は)自信のある土俵だ、という意識が早坂に託した音楽の工夫のほかにどぎつい野心をひらめかさなかった※10>といえば。 南部圭之助氏は<(「近松物語」にみられるショット、アクション、小道具、古典擬音などを)今までの溝口作品にはあまり見なかった「近代装備」と私は、無理にでも見たいのである。いってみれば、「雨月(物語)」が外国で消化され、御当人自身も欧米へちょっと行って来て(中略)これだけの近代性への順応性を輝かせたとみれば、この老巨匠の精神にみなぎる若さに、今更感服せざるを得ない※11>という。

 監督自身の望んだ西鶴の「大経師昔暦」という古典を、自信に満ちた自らの東洋的美感をもって完璧ともいえる造形美として仕上げる。そしてその仕上げられた映画には「新しく創造された音楽」が難なく取り込まれている。
 <溝口のえがく世界は古い。しかし、その描き方は決して古くないどころか、ある意味では非常に新しい※12>。
 この文章は監督の死後5年後に書かれていることから、多分に海外での溝口監督への評価が影響されていると思われる。そのエキゾチスムに頼らない「新しさ」を発見したのがヌーヴェルバーグの作家たちである。
 ゴダールは「溝口」※13と題された追悼文のなかでジャン=ジョゼ・リシュの言葉を引用している。
<われわれが知っている日本の映画人のなかでは溝口だけが、エキゾチスムという、魅力的ではあってもマイナーな段階を決定的にのりこえ、より根源的な次元に到達しえているのである。そしてその次元においてはわれわれはもはや、その映画人の威光は偽りのものなのではないかなどと恐れる必要はないのである>。


「悲恋ものというのだろうか。不義密通の罪によって悲劇に終わる恋を描いた1954年制作の「近松物語」。
 しかし、この映画を観ている僕を包むこの幸福感はなんだろうか? 深夜独りヘッドフォンでテレビモニターを見つめている三十男を包むこの高潮。この感動。
 家を出た茂兵衛とおさんが暗い裏町で出会う。逃げるように山を下って行く茂兵衛をおさんが追う。頭のなかで「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」という声が響く」


  上記の文章はこのコラムを書くにあたって当初、冒頭に用意した僕の言葉だ。しかし、資料をひも解きこの映画をより理解しようとしたとき、そこには僕の主観など入り込む余地などないのではないかと感じる、いや畏れる。
 二週間後、今度はプロジェクターからスクリーン投射された大画面でもう一度見る。宮川一夫の画を早坂文雄の音を長谷川一夫の動と静をシナリオをテーマをテンポを……。
 結局最後も言葉を借りてくるしかないようだ。辻久一氏が紹介している桑原武夫氏の言葉〈生理的に昂奮させられた※10〉。

※1キネマ旬報1955年1月上旬号/溝口健二・自作を語る
※2映画芸術1954年11月号/おさん茂兵衛の映画化をめぐって:野間光辰
※3近代映画1955年1月号/おさん・茂兵衛の恋愛について
※4映画芸術1963年11月号/溝口健二の人と芸術26:依田義賢
※5近代映画1955年2月新春特別号/今月の映画評:双葉十三郎
※6映画批評1955年2月号/一九五四年度の日本映画:飯島正
※7映画芸術1955年1月号/試写室からでない批評:城戸禮
※8映画批評1955年2月号:PAN・C
※9キネマ旬報1973年1月下旬号?/日本映画音楽史を形作る人々・早坂文雄 その3「近松物語」の一音の論理:秋山邦晴
※10時代映画1956年11月号/溝口健二の芸術(下):辻久一
※11映画評論1955年1月号/「近松物語」をめぐって:南部圭之助
※12キネマ旬報1961年9月下旬号/西欧人の目に映った“ミゾグチ”:登川直樹
※13ゴダール全評論・全発言11950−1967

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