たたんだ千円札


いつも 東京へ帰る朝
玄関までで いいと言っても
どうせ 買い物があるからと
母は 駅までついてくる
もったいないからいいといっても
母は 自分の入場券を買って
わざわざ ホームまでついてくる
列車にわたしが乗りこむ直前
ポケットからたたんだ千円札をだして
とちゅうで お弁当でも買ってと
わたしの手に にぎらせる

網棚に 荷物を置いて椅子にすわり
窓のガラスごしに 老いた母を見る
陽気に手をふる母を見ながら
早く 発車しないかな、と思う
列車が動きはじめたら
一度ふりかえって 母に手をふる
ふりかえるのは 一度だけにする
どんどん小さくなってゆく母を
見るのは 一度だけにする

車窓から海が見えなくなると
読みかけの 本を開く
読書に飽きて 少し眠るときは
たたんだ千円札はしおりに使う
飲み物をのせたワゴンがくると
わたしは 財布から小銭をだして
お茶と サンドイッチを買う

母がくれた千円札は
本の間に はさんだままだ

夕暮れのアパートへ帰りついたら
パソコン机の引出しの奥の
ビスケットの 空き箱にしまう
たたんだ千円札でいっぱいの
あの 古びた木の箱に

    詩集「最後のだっこ」より



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