『児童文学の境界へ 梨木香歩の世界』 藤本英二

プロローグ

 

 現代児童文学の出発点をどこにおくか。ほとんどすべての研究者が一九五九年に発表された佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』を、その出発点の一つにあげている。

 僕は神戸の大倉山の市立図書館の児童室で、この本に出会った。家から図書館までは歩いて三〇分以上かかったはずだ。国鉄神戸駅からまっすぐにのびるゆるやかな坂道を、湊川神社(楠正成を祀ってあるので、地元では楠公さんと呼ばれていた)の塀にそって上っていくと、やがて大きな木々に囲まれた古い石造りの図書館にたどりつく。受付を通り、大人の閲覧室を抜け、板張りの廊下を奥のほうに進んでいくと、小さな児童図書室があった。ここで僕は出版されてまもない『だれも知らない小さな国』を手にとった。僕の記憶の中では、これが初めて図書館で借りた本だ。

一九五九年は大衆児童文化史上エポックの年でもある。この年、子ども向きの週刊誌「少年マガジン」「少年サンデー」が創刊された。それまで子ども向きの雑誌は「少年画報」「ぼくら」「少年」「日の丸」「冒険王」などすべて月刊だった。僕はこれらを一冊ずつ貸し本屋で借りて読んでいた。赤胴鈴之助、まぼろし探偵、月光仮面、鉄腕アトム、鉄人28号など、漫画のヒーローの活躍は一ヶ月周期でゆっくりと僕たちの元に届けられていた。発行日が近づくのが待ち遠しかった。そのサイクルが一週間になれば、情報速度も情報量も格段に増加する。やがて月刊誌は次々と休刊、廃刊を余儀なくされ、大衆児童文化の王座を週刊誌にあけわたすことになる。そのように流れが変るところに僕たちは立ち会った。

大倉山の図書館と家の中間地点に新開地があった。遊園地、映画館、演芸場、ストリップ劇場、食堂、飲み屋が軒を連ねる、神戸の古くからの繁華街、歓楽街、新開地。その南のはずれにある小さな本屋で、ブックスタンドに並んでいる「少年マガジン」「少年サンデー」を初めて見た。そして、この本屋で、僕は『だれも知らない小さな国』の続編に当たる『豆つぶほどの小さな犬』(一九六二年)を買ってもらった。たぶん、小学三年の頃だ。

第三部にあたる『星からおちた小さな人』(一九六五年)が出版されたとき、僕は既に中学二さ年生、引っ越して神戸の西のはずれ垂水で暮らしていた。毎日本屋にでかけるのが日課になっていたが、この第三部の出版には気づかなかったし、既に読書の関心も、宮本武蔵、徳川家康、エドガー・ライス・バローズ、エラリー・クイーン、小松左京……と、別のほうに向かっていた。児童文学の読者は中学二年の夏休みまでという古田足日の考えに従うならば、その頃僕はもう児童文学を卒業していたことになる。

 一般的にいっても、子どもの本を読む年齢・時期というのがある。それは一人で本が読めるようになる小学校入学の前後から、僕らの世代なら上限はやはり中学二年の頃までだろうか。五、六歳から十三、四歳の頃までが児童文学年齢だといえる。この七、八年ほどの間に出会う同時代の日本の児童文学は、世代によって当然違う。例えば子どもたちに絶大な人気があり五〇巻ものシリーズになった『ズッコケ三人組』の第一巻が出たのは一九七八年だ。僕の児童文学読書時期を大きく外れているので、視界にも入ってこなかった。

 結婚し、子どもが生まれて、絵本を読みきかせることはあった。やがて子どもが自分で文字を読めるようになると、一緒に図書館へ出かけ、親は親、子どもは子どもでそれぞれ読みたい本を借りるようになった。娘や息子が読んでいる本を部屋で見かけることはあったが、僕自身は児童文学の世界から遠ざかっていった。だから、ルドルフとイッパイアッテナ、バッテリー、ビート・キッズ、地獄堂霊界通信シリーズ、パスワードシリーズ、名探偵夢水清志郎シリーズ、などが子どもの本棚に並び始めても自分が手にとることはなかった。そうして何年かがたった。

 五〇歳を超えて、あらためて児童文学に関心を持つということがなければ、僕はこの『だれも知らない小さな国』に再会することなどなかったかもしれない。四〇年以上の時を隔てて再読した『だれも知らない小さな国』は、かつてのままの風景だった。もちろん、あの頃はあまり気にもとめずに読み飛ばしていて、ああこんな風に書いてあったのか、と気づいたこともある。(これが戦争をはさんでの物語であった点など)しかし、あの頃幼い自分が感激し、そして今もう若くはない自分が感動する箇所は、同じだった。

 小学三年の夏休み、<ぼく>はもちの木を探して、一人小山にのぼり、奇妙な三角地を見つける。この場所が気に入った<ぼく>は、夏休みの間、何度も遊びに来ているうちに、おばあさんから、小さな「こぼしさま」の話を聞くことになる。そして夏の終わりにこの三角地で、ひとりの女の子に出会う。女の子がなくしたくつを探してやっていたとき、<ぼく>は流れていく赤い運動ぐつの中に、「小指ほどしかない小さな人が、二、三人乗っていて、<ぼく>に向かって、かわいい手をふっているのを見たのだ。」これがコロボックルとの最初の出会いだった。

 やがて、<ぼく>はコロボックルと仲良くなり、小山を買い取り、コロボックルの国を作ろうと考える。電気屋として働く<ぼく>は、幼稚園の若い女の先生と知り合いになる。そして、あの小山の三角地へ行く。おちび先生ははいていた片ほうのくつをぬいで、川に流し、<ぼく>に「さあ、とってきて!」と言った。

《わけがわからないまま、ぼくは小山をとびだした。細道をかけていくと、くつはすぐに見つかった。だが川にはいらなければとれなかった。しかたなく、すばやくはだしになって、つめたい水の中におりた。

 くつをひろいあげて、ぼくはひさしぶりに流れの中を歩いて、そのまま段々岩に近づいていった。

―どういうつもりで、むかしの女の子のまねをしてみせたのだろうー。

   ぼくは歩きながらそう考えた。くつを流した女の子の話はさきほどおちび先生にもきかせたばかりなのだ。あのときは、こうやってくつを持って帰っていったら、女の子が岩の上から消えていた。

 ―あの人も消えるつもりかなー

 ぼくはふと心配になった。

 しかし岩の上のおちび先生は、真剣な顔つきで、ぼくを待っていた。その目が大きかった。そのときぼくは、流れの中で棒立ちになった。おちび先生が、なぜこんなことをしたのか、いきなりわかったからだ。

 ―そうか、そうだったのか!―

 からだじゅうが、かっと熱くなってきた。岩の前につっ立ったまま、おちび先生を上から下まで、あらためて、ゆっくりとながめた。

「きみがーあのときの女の子か。」

大きくうなずいて、おちび先生は顔をくしゃくしゃっとさせた。ぼくはぼうっとして、なにをいったらいいのかわからなくなった。》

 人は自分の好きな物語のパターンというものを持っているのだと思う。「幼いときに出会った人と大人になって再会する」という物語は、僕にとって、そしておそらく佐藤さとるにとっても、大切な物語のパターンなのだ。例えば、『てのひら島はどこにある』(一九六五年)においても、ほとんど同一のパターンが繰り返されている。(再会した二人がやがて結婚するというところまでそっくりだ)

 僕がこれから語ることになる梨木香歩は、この『てのひら島はどこにある』を子どもの頃の愛読書の一つにあげていた。そして、梨木香歩の作品『からくりからくさ』の中にも「再会の物語」は、ひそやかに埋め込まれている。児童文学の重要なモチーフの一つは、間違いなく佐藤さとるから梨木香歩へとバトンタッチされているのだ。そして、「再会の物語」は梨木香歩の言う「マトリョーシュカ的な」人間観と通底しているはずだ。そのことについては具体的な作品に即して語りたいと思う。

 そうだ、一つ言い忘れていた。梨木香歩の生まれたのは、『だれも知らない小さな国』の出版された年、現代児童文学のスタートした年、一九五九年である。そのとき僕は七歳だった。

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