| 肉体を持って生まれてきたわけ |
| 天界は、すべてエネルギーの世界です。 あらゆる物質的な束縛から解放され(人によって 地獄の世界があるという方がいらっしゃいますが、 私には視えないので、今はそういう世界がないもの としてお話します)、食にも困らず、生活にも困らず、 人間関係にも、仕事にも困ることがありません。 自分が思えば、思ったものが目の前に出てきますし、 自分があそこに行きたいと思えば、思った瞬間に 行けてしまうような場所です。 ですから、何もおそれずに、何も気にかけることなく 自分の思いのままに過ごせる世界なのです。 では、そんなに居心地の良い場所から、あえて、 この世に生まれてくる意味は何なのでしょうか? この世とあの世の違いは “肉を切れば血が流れる” ということだと思います。 そして、肉体が死ぬことへの恐怖を持っている。 肉体の死=この世の終わり を表しているのであって、今生でなんとしても やり遂げねばならないという思いにさせられる。 実際には、輪廻転生があるとしても、そのことは 大抵の方が気付かないで死ぬように出来ている。 このことは何を意味するのでしょうか? つまりは、 肉を切れば血が流れるということを体験しに来るのであり、 期限付きの人生によって、必死にさせられる ということなのです。 必死にさせられることによって、 魂の向上が少しでも早く達成されるからです。 向こうの世界では死ぬことがありませんから、 必死になる必要がないのです。 人は生まれてくる前にある約束をしてから 生まれてくることを【生まれる前にしてきた約束】の項で 述べました。 その約束を果たすことで、より一層の魂の向上が 望めるわけですが、これも、人生に期限があればこそゆえ。 肉を切れば血が流れるとは、 人生で出くわす困難であり、苦労であり、苦痛であります。 家族のことで悩み、恋に悩み、人間関係で悩み、 仕事で悩み、お金で悩み・・・、 これらのことは、すべて、自分が決めた約束を果たすために 必要な体験として与えられるわけです。 ですから、現世的俗物的な価値観によって、 どんなに劣等感を覚えるような価値判断を下されたとしても、 すべては自分にとって必要な体験であり、 どのような境遇の方であっても、 必ず、階段を一段ずつ上がっているのだと言うことを 忘れて欲しくないのです。 勿論、自分の判断で、道を踏み外してしまうことがあります。 そういうときには、守護霊様もそっちには行かないでと ずーっと言い続けていらっしゃいます。 ですが、行ってはいけない所に行ってしまう、 やってはいけないことをやってしまう、 これも人間の人間たる所以だと思うのです。 人間とは人の間と書き、人同士の間に行き交う何ものか があって、初めて人間になれるからです。 つまりは、人は一人で生きるものではなく、 お互いに助け合い、叱咤激励しながら、勇気付けられ、 癒されて、時には道を矯正されるようにできており、 これらのプロセスの中で、愛に気付き、感謝の思いがわいて 愛を深めていく。 明日が雨だから、明日の予定はあさってにしよう。 だけど、雨の中でしか出来ない体験があったかもしれません。 もしかすると、雨の中で起きた苦痛が実は生まれる前の 約束を果たすために必要な体験だったのかもしれません。 私たちは、自分が傷つかないように、 ピンチにならないように、 あらかじめ、予測できるものであれば、 早いうちに芽を摘もうとします。 それは、悪いことではないし、当然のことと言えます。 他方、面と向かうことを避けてきたことに 真正面から向き合うことは、雨の日であっても 火中の中に飛び込むことと一緒なんですが、 そうした方が早く目標が達成される場合もあります。 これは、自分で“肉を切って血を流す”行為なのですが、 このことは、実はあの世とこの世の大きな違いを体験する いい機会を自分で創るということになるからです。 そして、その体験があるからこそ、新しい自分を創造する ことが出来るのです。 壁にぶつからなければ、人間は何も考えずに進むでしょう。 壁があれば、逃げるか、乗り越えるか、少なくとも、 考えさせられます。それは、自分を発展させる最大の チャンスなのです。 避けて通るのも自由、避けないでぶつかるのも自由 Copyright(c) 2006. Healing Salon Wonderful Awake Co.Ltd. All Rights Reserved. |