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『贖罪の日々』について

 1994年1月17日、113号事件勝田清孝は最高裁で死刑確定致し
ました。同日、養子縁組により勝田は「藤原」に替わり、私どもは
姉弟となりました。
 処遇が確定者のものに切り替わるにつれ、証拠として押収されて
いた品々や領置されていた物が宅下げされてまいりました。
 そのなかに、3部にわたる『贖罪の日々』と題する書き物(便箋)の
写しがありました。3部を総計致しますと、380頁となります。
いずれも末尾に般若心経が綴じ合わされていました
 1審の弁護人に宛てて書いたもので(裁判所へ提出されました)、「『お便り』という形で、手記(『冥晦に潜みし日々』
創出版)に書けなかった自分の裡を吐露した」と、寂しそうに語りました。多くの人に聞いてもらいたかった、そんな胸中が
透けて見えるようでした。寂しそうな表情を、しばしば見せる藤原でした。
 しかし、読んでみますと、私に語ってくれたこと(打ち明けてくれたこと)の多くが、書かれていません。母親の事、少年
院での事、妻とのこと等々、悲しいことの多くが書かれていません。
 この明かせなかったことが、実は、勝田清孝の真実の人間性であり、犯罪に至る真実なのではないか、と感じていま
す。
 藤原清孝が刑死しましてから7年余の歳月が経過いたしました。
 清孝の真の悲しみや闇に迫ることはできませんが、『贖罪の日々』をなぞり、順次、UPしてゆきたいと思います。
2008年花の季節に 来栖宥子


『贖罪の日々』目次
順次up
1
 1,お便り
 2,小さい時、姉と私は 
 3,こうして1年間は 
 4,母屋の鍵の隠し場所を 
 5,友人の買って貰った
 6.心底から勉強嫌い 
 7.本校へ通学する村の子供達にとって
 8.六年生になった頃の私は
 9.本校へ通学するある朝
 10.中学生時代の私をお話しようと思いまして
 11.3年生となって、就職か進学かという岐路に
 12.私が高校生になった頃は(非行)
 13.欲しいと思えば直ぐにでも欲しがり(高校退学処分・少年院送致)
2
 1.少年院上がりという烙印を
 2.こうして職場を転々とする私は
 3.昭和43年9月頃でした。
 4.レンタカーの不正貸し出し=料金拐帯