四柱推命鑑定士 悠岑(ゆうしん)

四柱推命鑑定士 悠岑の現在と過去


幼少時代・・・私は宮城県のある家庭の四人姉妹の三女として生まれました。
生後二週間後にいとこの家へと養女になりました。
そこでは小さい頃から可愛がって育てられ、何の不自由もない生活を送っていたのです。
小学生の3年生の時に友達と歯医者に行き、その時健康保険証を友達と見みながら
「友達の○○ちゃんは、長女とかいてるから一番初めに生まれたんだぁ~。
だけど私は『養女』?・・・そっかぁ~一人っ子だからかぁ。。
○○ちゃんには弟がいるし、そういう意味かぁ~」って自分だけ思っていたのです。
そしてある時学校の帰り道、男子生徒に「お前もらわれっ子なのかぁ~?」って・・・
家に帰って急いで辞書で調べたのです。
後からになってわかったのですが、男子生徒の親が子供に私の事を話していたとの話でした。


またある夜両親が出掛けている時に、当時生きていた祖母が私を呼んで
「今からしゃべっごと(話すこと)言わねって約束すっかぁ~?」って・・・
何となく嫌な感じがしたのですが、「ばあちゃんなに??」って・・内容はやはり養女の話でした。
「このごとしゃべっと(話すと)ばあちゃんお父さんと、お母さんに殺されっからなぁ~」って・・・
その言葉に脅えてしまい「ばあちゃん死んじゃう」って当時真剣に悩み、
祖母が亡くなっても誰にも話すことはありませんでした。
(誰でも信じちゃいますよね~)
それからも時々学校の帰り道にからかわれる事がありましたが、
わざとひざ小僧に砂をつけ、親には「転んだ」とウソをついて
悔し泣きした事を隠していました。(言えるはずないです。。)
また家には父親の姉がずっと生活してたのです。
30代の頃から筋萎縮性側索硬化症という難病。
両親はそちらの介護も忙しかったので自分の事を話せなかったのも事実です。。


その事を両親から聞いたのは父親の姉が亡くなり、
祖母も亡くなって私が高校に入学する前でした。
いろいろと書類が必要になるので。
その時私の反応はいたって普通、泣いたり怒ったり一切なかったです。
「こんな時に動揺したってどうにもならない」と自分でも不思議なくらい冷めた態度でした。
そんな事があり両親との口争いも多くなり、必ず出てくる言葉が「養女」または
「私たちが本当の両親じゃないから???こんな事するの???」って。
どこかで我慢してたものがプツンとキレてしまい、ある年齢に親元を離れ
結婚を機に山形県に来たのです。
その後もいろいろありましたが、それはそれで良かったと思っています。


今ではつかず離れずの関係ですかね。
そんな事を思い出しながら四柱推命での鑑定書の命式を見て、納得している自分がいます。
あたり前の話になりますが、人って嬉しかった事、楽しかった事より、
辛かったり悲しかった事の方が明確に記憶されているのですね。
人間誰でも、人生の中で自分だけのストーリーをみなさん作りながら歩いていく。
そして少しだけでもそのお手伝いができれば・・・と思っております。

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