四柱推命鑑定士 悠岑(ゆうしん)


あたいの心に今でも深く残っている
あたいと養母のお話・・・・
そっとしまっておこうと思ったが


大震災の前の年だったろうか・・・
朝早く自宅の電話が鳴った。こんな時間に誰だろう・・・・
あたいが育った家の向かえの家のおばちゃんからだった。
「○○○ちゃん、お母さんがね今救急車で運ばれていったから、早く病院に行って」
電話を置いた後、正直またか・・・・と思った。
養母は25年「腎不全による人工透析」をしている。
今まで人工透析の副作用というか、透析をしている為に
色々な箇所に支障をきたし、
入退院をくり返していた。だからあまり驚きはなく、
「またか、今度はどこなんだろう」なんて思いながら、
病院に行く支度をしていた。
でも、前の冬頃からかなり弱っていたのは気づいていた。
その事を思い出し、少し申し訳ない気持ちが出ていた。
いつも電話で元気を振り絞って声をだしていたのだろう。

数時間後病院に着いた。
今日は日曜日なので、入り口を探すのに少々手こずった。
窓口で養母の名前を伝え、急いでその場に向かうと中には入れない。
隣の部屋に養父が看護師さんと話している姿が。
「お父さん、お母さんは?」養父の小さく丸くなっている背中が印象的だった。
ICUに入って容態は落ち着いているとの事。
入院の説明や手続きを養父にかわり自分がして、
20分くらい養母と対面しただろうか。養母の顔をながめ、少しだけ安心し、
養父を自宅まで送って一旦山形に帰ってきた。
今回は何かなんとも言えない気持ちになった。
その数日後、HCUに移された。

HCUは2人部屋で、付き添いはいらないとの事。
しかし、自分は今まで何もしてこなかった。
だから、待合室のソファーに寝に通った。
鑑定が終わり、何だかんだで22:00過ぎに病院に、
朝の4:00に病院から自宅へ。
養母が夜中、幻聴や幻覚が収まらないのである。
隣の方も他の病棟に移り、自分は養母の
HCUに寝ることが許可され、数日間夜だけ養母のもとに通った。

その後、一般病棟に移されるたのだ。
その頃も一時的に、幻聴や幻覚があったが、気になり看護師の方に聞くと、
あまりわからなそうで、はっきりした答えがかえってこない。
しかし、検査をし、何もなければリハビリをして退院と養父から伝えられる。
それでも、私は夜だけは通った。
幻聴や幻覚で騒ぐ事もあり、とにかく心配だった。
ご飯はあまり食べず、水分は1日500ミリリットルまで。
日に日に元気がなく感じる。

養父は養母と「もう少しで退院だね」と喜んでいた。
「神様が守ってくれたんだね」って、私には理解できない事もいってる。
まったく、大事にならなくてよかった。これで、自分もやっと布団で寝れる。
通わなくてもいいんだ。
とりあえず落ち着いた形なので、いつもの生活スタイルに戻った。

退院後の生活をサポートする為、
病院の方と話しを進めていた時だったか、
養父が病院から呼ばれた。
その後、すぐに私へ連絡が入り、また病院へ向かった。
検査の結果、25年人工透析してきた体はもうすでに終わりにきている事。
心臓の弁の働きが悪く、いつ止まってもおかしくない事。
大腿骨の付け根に透析のシャントというものを付けられるが、
今の病院では手術が無理。また、手術が成功しても半年しか透析ができない事。
養母が高齢の為、手術の間体がもつかわからない事。

養父は「お前が決めてくれ。俺には無理だ。病院には行きたくない。」
と言うあり様だ。
病院のドクターとの待ち合わせ時間より早めに今日は着いた。
あと30分という時間が妙に長い。
いよいよドクターとの話しが始まる。
「もう○○○(養母)さんの体は透析にも耐えられない状態です。
もうここまで頑張ったんだから、終わりにしましょう。娘さんのご希望は?」
淡々と話すドクターに思わずムカついた。
私が初めに出した言葉は「だめです」何を言ってるのだろう。
本当に子供っぽい。もっとマシな言葉は出なかったのか。
ドクターと私の無言の時間が続いた。
「ここの病院で手術できないのであれば、半年でもいいので手術してください。
ドクターヘリでお願いします。」ドクターはその後かなり真剣な顔つきで
「アナタは○○○(養母)さんの苦しみわかるのですか?
手術をする間ももたないかもしれません。
手術も成功するかわかりません。
成功してもまっているのは、○○○(養母)さんの
苦しみだけですよ。よく考えてみてください。」頭の中が真っ白になってしまった。
しばらくの沈黙が続いた後ドクターが、
「○○○(養母)さんに直接きいてみましょうか?
本人はまだしっかりしているし、わかっているから。」
私はただただ、うなづくしかなかった。

病室ではちょうど退院に向けてのリハビリを行う為、
作業療法士の方2名が来ていた。
ドクターと私が入って行き、リハビリを中止してもらった。
養母は穏やかな表情で起きていた。罪悪感みたいなものが
私の中になぜか出てきて、私自身倒れそうになった。
それでも自分に冷静に冷静になれ・・・・って。ドクターが静かに
養母の所に行き養母の目線に立ち、少しずつ話をしていき、
本人に選択をゆだねた。
養母の答えはノー・・・・何もしない
「先生、私ねもう痛いのとか苦しいの嫌だ。もういいから充分。」
養母のしっかりした声にドクターは深くうなづいた。
私は、その場に居れなくなり、走って逃げだした。私の弱虫。


涙が止まらない。どうしたらいいのかわからなく、
近くにあった緑色の公衆電話にしがみついた。
何事もないようにみんな私の周りを通りすぎて、
笑い声が聞こえ、すたすたと歩く足音。もうやだ。

1時間近く過ぎた。勇気を出して私は養母の病室へ。
養母はニコッと笑った。
幻聴も幻覚もなく、正気な感じ。
もうきょうから透析も中止。記憶があるうちに好きなものを食べさせたい。
すぐ養母に「アイス食べる?氷アイス。ね?ね?」
「誰にもナイショだよ」私は思いっきり走った。
そう売店のアイスを買いにエレベーターなんか待ってらんない、階段を一気に
下り上って、溶けないうちに。養母は全部食べた。
その後、また幻聴と幻覚が始まった。
このアイスが養母の最後の食事になってしまったのだ。

看護師の方から、「今夜から家族の1人泊まってもらえますか?」
養父にすぐ電話をして、すべての話をした。
その後養父が病院に来たのはいいのだが、「家で待ってるからな」
そんな言葉を養母に残し、帰る支度をし始めた。ちょっと待て。
養父に「今日ぐらい泊まってあげてよ。」
養父「気分が悪くなるので、俺は帰る。
後はお前に任せる。」何?後は・・・・って
このバカおやじ。

一度山形に帰って、準備をして5日間泊り込んだ。
その時は仕事を休ませてもらった。
養母が最後に言った言葉
「あなたはいつもいつも苦労ばかりしてるね。幸せなんてなかったよね。」
言葉が出なくなってしまった。
今なら言える「昔も今もずっと幸せだよ」って。
そろそろ着替えがなくなってしまい、6日目の夜、
一旦自宅に着替えを取りに帰った。
夜の8時頃だったかな。次の日の朝一番に、病院に行こうと思った。
しかし、私が居なくなった数時間後安らかに眠ってしまった。
私の居なくなるスキをみてなのかな。

その後、養父がだんだん弱ってきた。壊れ始めたのだ。
養母は養父という大きな大きな忘れものをして永遠の眠りに行ってしまった。

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